・・・・・・・・・・・河辺啓二の映画論(3)
〈「八日目の蟬」〉
先日、たまたま出かけ先で時間があったので、「八日目の蟬」という映画を観た。角田光代の小説が原作で、「母性」をテーマにしたサスペンス作品とされている。子供を誘拐した女・希和子の5年半の逃亡劇と、事件後、大人になった子供・恵理菜の葛藤を描くものである。
映画は、それはそれでよかった。私の中での邦画ランキングでは、「ノルウェーの森」より上、「母べえ」より下って感じかなぁ。
ところが、その映画を観た直後に、同じ作品がNHKドラマで放映された。昨年放映されたものの再放送だった。昨年TV放映があったとは知らなかった。45分ものの6回分なので、実質映画の倍以上の長さのせいか、その分見応えがあったと思う(当然主要な登場人物も多くなる)。
〈映画とTVの違い〉
映画では、成人となった恵理菜(井上真央)が主人公として描かれていたようだ。ところが、テレビでは希和子(檀れい)が主人公だった。(ともに最も売れている女優を主役としたようだ。)
例えば、映画では、恵理菜と恋人・岸田(井上真央の恋人役が劇団ひとりとは・・・)との交際が多く描写されていたのに、過去の回想シーンがメインのテレビでは、成人した恵理菜の恋人役(岡田浩暉:太田市新田木崎町出身です。)は、ほんの少ししか登場していなかった。
私としては、誘拐犯であり「母」である希和子が主人公という設定のほうが引き込まれた感がある。
〈不自然な点〉
ノンフィクションにどっぷり浸かった人生を歩んできた私は、どうしても、こういうドキュメンタリーでない作品を観ると、不自然なところが気になってしまう。
原作を読んでないから、原作でどのように書かれているか知らないが、最も不自然感を抱いたのは、希和子が赤ん坊の恵理菜を誘拐する場面だ。抱っこしているうち(自分が子供をつくれない身体になったため)その可愛さのあまりそのまま自分の子にしてしまおうという衝動に駆られた気持ちは理解できる。私が不自然だと思うのは、そんな生後数か月の赤ちゃんを自宅に置いたまま(ほかに家人もなく)、しかも、家の鍵をせずに両親そろって外出してしまうことだ。このことは、映画でもテレビでも同様のシチュエーションで描かれていた。施錠もせず、赤ん坊をベッドにひとり寝かしたまま出かける親っているのだろうか・・・。
あとは、恵理菜の赤ん坊・幼女時代と大学生時代という、どうしても15年という年月の差があるため、もともとの成人役の登場人物がその分「老ける」必要があるのだが、例えば映画で写真館の主人が15年後全く変わっていなかったことがやや不自然。まぁ、60歳代も70歳代もあまり変わらないということか。ただ、15年前に1度だけ撮影に来たお客を、しかも15年経って成人して顔が変わっているにもかかわらずこの主人が覚えているという設定はムリがある。
更に、付け加えると、上述のとおり、人気女優・井上真央の恋人役が劇団ひとりというのはいかがなものか。もっと二枚目が演じると思われていたのでは・・・。(それにしても井上真央は大女優になりそうだ。今、朝のNHK連ドラ「おひさま」で明るい「太陽の」陽子を演じているが、この映画では(数奇な半生を経ているだけに)暗い人物・恵理菜を見事に演じていた。)
〈顛末がいまひとつ・・・〉
映画では、結局成人した恵理菜は、希和子と再会していない。というか、警察に逮捕された後の希和子は描かれていない(時間の都合上か)。テレビでは、恵理菜が小豆島行きフェリーの岡山港で再会したかのように見えたが、やや尻切れトンボの感は否めない。原作がどうかわからないが、どちらも、その後の恵理菜と希和子の接触は極めて曖昧とされており、私たち観る者の想像に任されているかのようである。
・・・・・・・・・・・河辺啓二の音楽論(4)
〈大震災直前の楽しみごと〉
あの「3.11」以後、「それどころではない」生活、心理状態が続く。実は、大震災直前の、2月26日(土曜)にダリル・ホール&ジョン・オーツのコンサート(日本武道館)、3月6日(日曜)にイーグルスのコンサート(東京ドーム)を楽しんだ。その5日後にあのとてつもないことが起こるとは・・・。
〈ダリル・ホール&ジョン・オーツ〉
ホールは1948年生まれ、オーツは1949年生まれというから60歳代になっている。もともと、オーツのほうは、リードボーカル曲が少なく、存在感が小さく容姿的にも目立たなかったためか、昔とあまり変わってないように見えた。ホールのほうは、あの甲(かん)高い声はおおむね健在だったが、外見は、若い頃のリーゼント頭で細面のヤンチャなニイちゃんのイメージが激変し、ふくよかな顔したオジサンになっていた。
何もヒット曲=名曲とは限らないが、全米第1位の曲がいくつあるかが、大物アーチストかどうか見極めるいちおう客観的な指標だと考えてよいだろう。
彼らは、アルバムでこそ第1位がないが、シングルでは、なんと6曲もある。
以下に、それら有名曲を列記する。
1977年 Rich Girl
1981年 Kiss On My List
Private Eyes
I Can't Go For That (No Can Do)
1982年 Maneater
1984年 Out Of Touch
他にも第2位や第3位の曲もあるし、1985年にポール・ヤングがカバーして全米1位になった Everytime You Go Away は、彼らがオリジナルだ。
まぁ、彼らの全盛期は、1980年代前半だろう。当時役人時代前期だった私にとって、馴染みがあったのは、Kiss On My List、Private Eyes、Maneater の3曲で、その中でも最も好きなのはManeater であった。日本人全般的に言うと Private Eyes が最も親しまれている曲だろう(以前テレビCMで使われたことがあるからか)。
1980年以来これまで何度も来日してコンサートを行っているようだが、私が観たのは今回が初めてである。今回の武道館でのコンサートでは、往年のヒット曲のほとんどを披露してくれたが、トータル約100分(午後5時過ぎ~6時40分頃)とやや短い気がした。でも、聞きたい曲はすべて聴けたし、まぁ満足。
〈イーグルス〉
オリジナルメンバーのドン・ヘンリーは1947年生まれ、同じくグレン・フライは1948年生まれというから、こちらも60歳代になっている。解散期も含めると40年もやっているためか、シカゴのようにメンバーチェンジが頻回にある。しかし、メンバーの年齢幅の大きいシカゴと異なり、過去メンバーも現在のメンバーも、皆1946年~48年生まれと同年代に固めている。
こちらも、全米1位を見てみる。アルバムで5枚も、ベスト盤も含めると6枚もあるのには驚く。
1975年 『呪われた夜』
One Of These Nights
1976年 『ホテル・カリフォルニア』
Hotel California
1979年 『ロング・ラン』
The Long Run
1994年 『ヘル・フリーゼズ・オーヴァー』
Hell Freezes Over
--- 再結成アルバム
2007年 『ロング・ロード・アウト・オブ・エデン』
Long Road Out Of Eden
1976年 『グレイテスト・ヒッツ 1971-1975』
Their Greatest Hits 1971-1975
シングルでの第1位は、以下の5曲で、その数ではホール&オーツと拮抗している。
1974年 The Best Of My Love
1975年 One Of These Nights
1976年 New Kid In Town
1977年 Hotel California
1979年 Heartache Tonight
日本人に馴染みの強いTake It Easy(あるテレビ番組で使用されていたようだ)は、最初のシングルヒット(1972年)だが、全米12位止まりであった。もっと意外なことは、Hotel Californiaに次ぐくらい親しまれる名曲Desperado「ならず者」(1973年の曲で、カーペンターズから平井堅に至るまで幅広いミュージシャンによってカバーされている)が、同タイトルアルバムが全米41位止まりで、更にはシングルカットされていないということである。ビートルズでいえば、リンゴがリードボーカルの凡庸なシングル盤 Act NaturallyのB面だったYesterdayを思い出す。
さて、震災5日前の3月6日のコンサートであるが、午後5時過ぎから始まり、6時過ぎにいったんブレイク。15分ほど経って再開し、終了したのは、8時過ぎであった。なんと3時間以上にも及ぶ長時間コンサートであった。日本人アーチストでは小椋佳やアリスで長時間コンサートを経験したことがあるが、外国人アーチストでこんな長いコンサートは初めてであった。サービス精神旺盛なポール・マッカートニーやローリング・ストーンズでも2時間強だったと思う。
彼らは60歳代とはいえ、歌声、演奏ともに、1970年代の全盛期とあまり変わらないものがあった。こんな大物グループの素晴らしいコンサートなのに、東京ドームの観客席が一杯になっていないことが残念だった。ポールやストーンズのときほど観客が多くなかった。私は行っていないが、ボン・ジョヴィでも東京ドームの席はお客で満杯だったとか。
〈震災後の大物アーチスト来日は?〉
イメージ的には、ホール&オーツより古いイーグルスだが、実は両グループとも同年代であった。前者が1980年代にヒットを連発したのに対し、後者は1970年代が全盛期だったからそういうイメージになってしまったようだ。というか、イーグルスもビートルズもストーンズもサイモン&ガーファンクルも、みな、名曲・ヒット曲を連発したのは20歳代であった。ところが、ホール&オーツは、結成こそ20歳くらいだったが、Kiss On My List以後の大ヒット曲量産態勢になったのは30歳を過ぎてからであった。
私は幸運であった。なぜなら、もし、あの震災がもう少し早く起きていたら、これらのコンサートは中止となっていたに違いないから。震災当日の3月11日に来日したシンディ・ローパーは、予定どおりコンサートを行い、会場で被災者支援の義援金を募った。彼女は日本での評価を上げた。
しかし、それ以後、有名外国ミュージシャンが来日したという話が聞かれない。「フクシマ」(東電福島第一原発からの放射線漏れのこと)が原因だろう。やっと9月にTOTOが来日するという話を聞いたところだ。
・・・・・・・・・・・・・東日本大震災(8)
〈東日本大震災の衝撃〉
私たち日本人は、約70年に1回、従来の価値観、人生観を変えてしまうような「大事件」「大変革」を経験するものなのだろう。1868年前後の明治維新、1940年代前半の太平洋戦争、そして今回の大地震・大津波・原発事故だ。戦後、オイルショック、バブル景気、阪神淡路大震災、リーマンショックなど、何度となく大きな局面に対峙してきた日本であるが、今回のことは、明治維新や太平洋戦争に匹敵するほど社稷を揺るがすものだ。被災者以外の多くの日本人にとっても、身内の死亡など個人的なことは別として、人生上最大のショックではないだろうか。
「世界一清潔で好かれる国」から、わずか一か月で「放射能汚染大国の嫌われ者国家」へ転落した感が否めない。国際的信頼を失墜した日本は、震災からの復旧・復興とともに、その回復に向け、戦後の焦土から奇跡的復興を遂げた時代のように、真摯な国民性、勤勉性を取り戻し、国民が一丸となって努力していかなければならない。
〈「脱官僚」で政権を得た民主党〉
「霞が関の官僚は、勉強はできてもバカばっかり」
菅直人首相が首相になる前、言い放っていた言葉だ。確かに「学校の勉強」と「頭のよさ」は似て非なるものであることは理解できる。
その首相が、「脱官僚」ばかりでは二進も三進も行かなくなり、「皆さんに協力していただきたい」などと徐々に官僚に擦り寄るようになってきた。そうこうしているうちに「3.11」が起きた。
民主党は「脱官僚」を旗印に、一昨年、国民の圧倒的な支持を得て政権の座についた。自民党政権時代の政治は官僚主導だと断じ、政治家中心の政治主導を実現するための改革を進めた。明治時代から続く事務次官会議を官僚支配の象徴だとして廃止し、政務三役と称して一府省当たり三人以上(大臣、副大臣、政務官)の国会議員を各府省に送り出し、「政治主導」をアピールしてきた。
〈過度の官僚排除が招いた悲劇〉
しかし、事務次官会議の廃止で首相官邸と各省庁との連携が悪くなったことは否めない事実だ。この事務次官会議に代わる新しい仕組みができないまま、大震災に直面してしまった。政権についてまだ二年も経たないうちに、戦後最大の国家的危機を迎えるとは不運であるかもしれないが、そのあまりに稚拙な対応ぶりに多くの国民が憤慨し失望している。 (「歴史」にifはつきものだが、もし、自民党政権のときに「3.11」が起こっていたらどうだっただろう。毎年首相が代わった自民党政権末期の際ならば、現首相と同様、強力なリーダーシップは望めなかったに違いない。しかし、当時は、事務次官会議が機能しており、今よりは各省庁の連携がとれていたため、少なくとも、もっとマシな対策ができていただろう。)
官僚の排除に拘り過ぎて対応が後手に回ってしまった結果の一つが、原発事故の放射能汚染拡大という大惨事であると言っても過言ではない。
民主党内閣が官僚を過度に排除してきたために、どの組織にどんな装備・人材があるかといった情報を把握できていなかった。政府内に入って来る政治家は同じ省庁に長くはいない。しかし、官僚はその省庁で何年もいて、その業務に精通しているし、他の省庁とも縄張り争いはするものの、それなりの連携ができている(例えば、現地で獅子奮迅の活躍をしてくれている自衛隊・警察・消防も、広義の官僚組織に含まれるものである)。今回の被災対策や原発事故対策で、この優れた官僚組織が有効に活用されていたとは思われない。
〈各府省連絡会議で官僚活用を〉
民主党は、過度の官僚排除が招いた惨劇を反省すべきである。今後は、震災後開催されるようになった、事務次官会議の復活とも言われる各府省連絡会議を、政治と行政の隙間を埋めるとともに府省間の連携の緊密化を図る恒常的な場とする必要がある。そして、「政治主導」で萎縮したといわれる官僚たちの士気を高め、その能力を有効に活用することが肝要である。例えば、今回の国家的危機には、災害対策基本法、激甚災害法、原子力災害対策特別措置法など既存の法律だけで対処することは困難であるため、復興基本法など複数の特別立法の早期公布施行が望まれるが、そのために、立法技術に長けた官僚たちを存分に活用することが期待される。
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以上の内容を修正して、2011年5月15日付け愛媛新聞「道標」に掲載しました。
実際の記事は、別コーナー「愛媛新聞「道標」」に載せております。
・・・・・・・・・・・・・東日本大震災(7)
業界を規制する原子力安全・保安院と振興する資源エネルギー庁が同じ経済産業省の組織という状態を放置してきたのは、「政・官・業」癒着の悪弊にほかならない。
今回の社稷を揺るがす大惨事に遭ってやっと保安院を経産省から分離する動きが出てきた。原子力安全行政の重要性・専門性に鑑みれば、(今回活躍の乏しかった)内閣府の原子力安全委員会と保安院を統合・一元化し、内閣府・各省庁から独立した強力な組織に早急に再編すべきだ。
その新組織が置かれる場所は、福島県内が最も適当だと考える。新組織発足後当面は、県庁所在地の福島市とし、放射能汚染収束後は、福島第1原発のなるべく近くの市町村に再配置するのがよい。ほぼ半永久的に監視続けなければならない同原発の近くで、危機感を保持しつつ、今回の失策をいつまでも忘れず、我が国原子力平和利用の「メッカ」として、(事故後も原発推進の国が少なくない)世界にお手本を示してほしい。
故郷に帰れない原発周辺住民の心情と不安を思えば、新組織の福島への配置は再定住早期実現、地域の復興・発展に弾みをつけるものだと期待される。
東京一極集中解消の一助にもなる。福島・東京間が物理的に比較的近いこと、交通網の充実、更にITの発達により、新組織が東京になくとも、業務上の支障はほとんどないのでないだろうか。
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上記の内容を5月5日(木・こどもの日)に朝日新聞「声」に投稿したところ、翌週9日(月)に同紙担当者から連絡が来ました。若干の手直しを受け、11日(水)、同欄に掲載されました。この「福島県内に原子力安全行政組織を置く」というのは、連休中に思い付いたもので、我ながら妙案だと考えるのですが・・・。現実的には難しいでしょうが、朝日新聞に載せてもらったということは、全くの「砂上の楼閣」ではないのではないかと思います。現に、ある福島県の方が喜んでくれたと仄聞しました。
・・・・・・・・・・・河辺啓二の医療論(10)
〈不足する子宮頸がんワクチン〉
子宮頸(けい)がんを予防するワクチンの供給が全国規模で不足している。国の2010年度補正予算に盛り込まれた子宮頸がん等ワクチン接種緊急促進臨時特例交付金制度を受けた措置により、ワクチン接種全額公費負担が、各地方自治体で次々と行われることとなり、需要が急増し、製造が追いつかなくなったためだ。同ワクチンは、昨年11月から来年度まで、中学1年~高校1年の女子を対象に、接種費用の約5万円を公費で全額負担することが決定している。
子宮頸がんは、日本では年間約8500人が罹患し、約2500人が死亡する女性特有のがんである。子宮頸がん予防ワクチン(サーバリックス)は、発がん性HPV(ヒトパピローマウイルス)の中でも特に子宮頸がんの原因として最も多く報告されているHPV 16型とHPV 18型のウイルスに対する抗体をつくらせるワクチンであり、中1~高1でワクチン接種すれば、50~70%の確率で予防できるとされている。海外では既に100か国以上で使用されていたが、日本では、やっと2009年10月に承認され、同年12月から一般の医療機関で接種することができるようになった。しかし、高額の自己負担ということもあり、これまでは接種率は低かった。
厚生労働省は、安定供給が行われるまでは、新規の接種を控えるよう全国の自治体や医療機関に求める通知を出した。製造元のグラクソ・スミスクライン(GSK)によると、需要の大幅な増加が見込まれたため、前年の4倍以上となる400万回分を今年1年間で製造する計画を立てたが、今年1、2月だけで100万回分近い需要があり、製造が追いつかなくなったという。GSKは「1、2月に予想を超える需要が生じた。供給不足はわれわれの責任で大変申し訳ない」と謝罪している。安定供給は7月末から8月ごろになる見通しだという。
〈又しても拙劣なワクチン政策〉
このワクチンは、初回接種から1か月・5か月の間隔で計3回接種しなければならない。今回の供給不足で、接種計画が大幅に変更せざるを得なくなり、この標準間隔で接種できない人が多数出てくるおそれが生じている。
子宮頸がん発生率を減らすワクチンとして官民挙げて推奨・喧伝したのはよいが、受けたくても受けられない人が急増した。このような事態となったのは、ひとりGSKの責任ではなく、公費になれば需要急増は確実であるのに、供給体制が整う時期をにらんで公費負担時期を決められなかった国に責任はないのか。また、国は、輸入される同ワクチンの計画的増産をメーカーに依頼できなかったのか。
現段階では生産は十分確保されているのに、輸入されて私たち医療機関に届くまでまだ何か月もかかるのは、途中に各種審査を経なければならないためだという。その過程で最も期間が長いものは、80日間もかかる「国家検定」だ。検定項目がはるかに多いメーカーの「自家検定」のほうが30日間だというのにあまりにバランスが悪い。「民」は急いで働け、「官」はじっくりとやるからと言わんばかりではないか。「国家検定」も「自家検定」並みに短くすれば1か月以上早く接種することが可能となる。需要予測が読めなかった厚生労働省は、接種対象者や医療機関を混乱させたことを反省し、従来のようなのんびりした仕事ぶりは改めてほしい。
「想定外」の言い訳を連発した今回の福島原発事故ほど深刻ではない問題ではあるが、改めて政府の認識の甘さを感じるものである。
・・・・・・・・・・・・・東日本大震災(6)
今回の福島第一原発事故は、科学を過信し、便利・快適な生活を追求し過ぎてきた私たち現代日本人への警鐘とも受け取れます。
もちろん、「想定外」の言い訳を連発してきた政府や東京電力の大罪は見逃せませんが、私たち国民も、あまりに「電気に依存し過ぎる生活」をしていたことを認識しなければなりません。一般家庭においては、過度の照明やパソコンの点けっぱなしも注意しなければなりませんが、やはり最大の「節電源」となるのは冷暖房であるに違いありません。
私の年齢以上の世代では、幼少期、冷暖房などという贅沢なものはなく、夏は、団扇を扇ぎ、電化製品としてはせいぜい扇風機があったくらいなものです。冬は、火鉢や炭火の行火(あんか)で寒さを凌ぎました。ときには風邪をひいたものです(逆にこのことで免疫が強くなり病気しにくい身体になったとも言えます)。
ところが、最近の若い世代の人たちは、ちょっと暑ければすぐエアコン冷房、ちょっと寒ければすぐエアコン暖房のスイッチを入れます。ヒトは(病気のときは除いて)少々の環境の変化に順応できるようにできています。このような微少の環境変化に耐えないような習慣を付けてしまった若い世代の人たちの身体は、弱くなり逞しさが欠けてきているような気がしてなりません。
暑さに我慢し過ぎて熱中症になったり、寒さに耐えすぎて肺炎になったりしては困りますが、軽度の暑さ・.寒さには慣れていくようにしてはどうでしょうか。
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上記の内容を4月10日(日)に読売新聞「気流」に投稿したところ、12日(火)に同紙担当者から電話があり原稿修正の確認がありました。それから1週間掲載されなかったので「今回はボツかな」と諦めていたところ、20日(水)に、同欄に掲載されました。
・・・・・・・・・東日本大震災(5)
〈お粗末な原子力安全行政〉
そもそも、業界を規制する原子力安全・保安院と業界を振興する資源エネルギー庁が同じ経済産業省の組織というのにムリがある。
このような「規制」と「振興」の争いは、中央省庁間では頻繁に起こっている。例えば、食品に関しては、業界振興は農林水産省、業界規制は厚生労働省が担当し、私が農水省にいた頃、よく両省はケンカしたものだ。(BSEがきっかけで食品安全委員会ができたが、果たして国民の期待に応えているのだろうか)
しかし、同じ省庁の中でのケンカは馴れ合いになる。なにしろキャリア事務官は、同じ省内を数年ごとにあっち行ったりこっち行ったりと異動するため、つい最近までいた部署と真剣にケンカできなくなるものだ。つまり、保安院と資エネ庁は「なあなあ」になっていたのではないか。
〈文系エリートの面目躍如の西山審議官〉
この数週間でテレビで見かける筆頭は、政治家では枝野幸雄官房長官、官僚では経産省原子力安全・保安院の西山英彦審議官であろう。現役官僚でこれほどテレビに映った人はいただろうか。
「審議官」というポストは中央官庁くらいでしか聞かないので、民間企業の方々にはわかりにくい「偉さ」だろう。中央官庁の官僚は、ヒラ→係長→課長補佐→課長→審議官→局長→事務次官というのが、通常の昇進コースだ(私は課長補佐で退官した)。民間企業によくある「部長」というポストがある部署もあるが、企業ほど一般的ではない。だいたい審議官というのは局長の次のポストと考えられている。
原子力安全・保安院のトップは「院長」(←病院長ではない)で、その下に次長、その下に5人の審議官がいるから、西山氏は同院でナンバー3か4当たりの地位なのだろう。その彼が今や同院の顔として、スポークスマンになっている。
一般のテレビ視聴者の中には、彼を原子力の専門家と勘違いしている人もいるだろう。(弁護士出身の官房長官も科学技術に詳しいとも思えないが)彼も、法学部卒の事務官で、つい最近着任するまで経産省通商政策局の審議官としてAPECやTPPなどを担当していたらしい(更に、その2年前まで資源エネルギー庁で原発振興の旗振り役である電力・ガス事業部長を務めていたようだ)。
このように全く違う分野のポストに異動させられても、その日から、何年もそこにいるかのごとく言動するのが腕の見せどころで、経産省のみならず霞が関のキャリア事務官の「得意技」とも言える。とはいえ、専門性の高い原子力工学に関して法律事務官がどれほど理解しているのかはなはだ疑問である。
〈遅すぎる組織再編論〉
今回の大惨事に遭ってやっと政府内に保安院を経産省から分離する動きが出てきた。遅きに失した感は否めない。原子力安全行政の重要性・専門性に鑑みれば、(強い権限があるはずなのに)今回お粗末(弱体)ぶりを露呈した内閣府の原子力安全委員会と保安院を統合・一元化し、内閣府・各省庁から独立した強力な組織に再編すべきだ。
・・・・・・・・・東日本大震災(4)
〈原子力で思い出すこと〉
工学部4年生のとき、某大手メーカーに就職内定していた同級生が「オレ、原発で働くんや」と話していた。その顔には、少し悲壮感があった。私も含め、ほかの友人たちも、内心「大変やなぁ」と感じていた。
放射線被曝の恐怖は、医学生のときに経験した。放射線医学(放射線で検査や治療を行う医学)の履修で放射線防護実習というのが義務づけられており、何日間か、放射性物質のある核医学施設に通った。防護服も着た。見えない、匂わない放射性物質に被曝しないよう神経を尖らせた記憶がある。
これまでの私の人生で、原発で働く人や放射線被曝の恐怖と接した印象深い経験は、この2度くらいだろうか。スリーマイル島やチェルノブイリは、対岸の火事くらいにしか思わなかった。
〈福島第一原発事故は人災〉
福島第一原発事故は、極めてショッキングだ。もちろん、巨大地震・巨大津波による被害も戦後最大の惨事だが、この原発事故は将来何十年にもわたって国民の健康に影響を及ぼしかねない「人災」であるだけに、私たちの憤りは頂点に達している。
この「人災」を惹起させたのは、昔からある政府と業界の隠蔽体質及び両者の癒着であることは明らかだ。
私が政府内の人間だった頃、(今回ほど深刻ではないものだが)情報を隠すことは、実際に幾度か経験した。その大義名分が「国民に無用な混乱・不安を起こさせるべきではない」ということであった。その精神は今も全く変わっていない。
東京電力の幹部は、歴代社長は生え抜きだが、副社長以下、通産省(現経済産業省)からの天下りが相当数いる。現役の官僚は、本省局長や事務次官まで上り詰めた先輩がいる組織に対して、制度上は指導する立場であるにもかかわらず強く物言いができない。このことも、私は、役人時代いやというほど経験したものだ。官僚社会というのは年功序列の最たるものであり、先輩はあくまで後輩の上の立場にある。自分のことを君付けや呼び捨てにできる先輩に強く言えない。だから、経産省は、東電にとって名ばかりの監督官庁となっていたのではないか。
〈「政・官・業・学」の「原子力ファミリー」〉
5年ほど前に『政治家がアホやから役人やめた』という本を書き、同著の中で、首都圏の水源である利根川上流の産業廃棄物不法投棄問題は、腐敗政治家と保身官僚と利益至上主義の業界の「政・官・業」=悪のトライアングルの仕業だと報じた。
今回は「政・官・業」に加えて、学者=「学」が加わる。原子力のような専門性の高い領域では、原子力工学の学者たちもこの悪のトライアングルに加わり「政・官・業・学」の「原子力ファミリー」を形成する。原子力発電がなくなれば、原子力工学研究のニーズや予算が激減する。だから彼らは「御用学者」となり、原発推進する政府の施策に荷担することとなる。要するに、電力業界という巨大利権に群がる商工族国会議員を筆頭とするこれら四者が強固な共同体を形成しているのだ。
〈唯一の被爆国が世界最大の放射能汚染国になるのか〉
政治家と官僚と業界(と学界)の癒着がいたる領域で蔓延っているのが我が国の現状なのだ。政府と東電が、国民の生命・健康より自らのメンツと利益を優先させた、その結果がこの放射能汚染恐怖なのである。
世界で唯一の被爆国が、戦後の経済復興の一役を担った原子力発電の扱いを私欲により杜撰にしたため、今後世界最大の放射能汚染国になるかもしれない。不可逆な事態を生じさせた政府と東電の罪は根深い。
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以上の内容を少し修正して、2011年4月10日付け愛媛新聞「道標」に掲載しました。
実際の記事は、別コーナー「愛媛新聞「道標」」に載せております。
・・・・・・・・・・・・・東日本大震災(3)
3月18日付け朝日新聞「声」の欄に、「国会議員は今こそ汗水流せ」と題して非常に共感できる投稿が掲載されていた。
私たち一般国民には、「日常」の仕事や生活があり、義援金を送るとか、計画停電やガソリン不足で不便な生活を強いられることに耐えるとかといった面でくらいしかなかなか被災者の方々への協力ができない。
人気芸能人や有名スポーツ選手たちが、更には大企業の経営者らが、次々と多額な寄付を行ったり、義援金集めに頑張ったりする姿は、誠に喜ばしく感じられる。多くの外国でも同様な行動が盛んになっている報道を聞くに、「人間って捨てたものじゃない」と、とても爽やかな気持ちになるものだ。
国会議員は、国民から負託されて、私たち国民の血税が原資の多額の歳費をもらって「国民のために」働く人たちのはずである。テレビ等で報道されないだけかもしれないが、彼らが被災地に行ってなにか活動したとか、募金活動を先頭に立って呼びかけているとかといった報道はほとんど聞かない。(例えば被災地岩手県選出の某超大物議員)
震災前、あれほどテレビ画面に出ていた有名国会議員や有名地方政治家の方々の顔がさっぱり見なくなった(あきれた「天罰」発言くらいだろうか)。もっぱら現政府に属する政治家の顔ばかりだ。
与党だの野党だの言っていられない非常事態なのだ。政府外の国会議員も、現場で不眠不休で必死で活動される自衛隊等の人たちに任せきりにしないで、なにか私たちを感動させてくれるような、「さすがは私たちの選んだ政治家だ」と感じさせてくれるようなアクションを起こしてくれないものか希望するものである。
・・・・・・・・・・・・・東日本大震災(2)
〈「地震大国で原発推進」にはムリがあったか〉
今回の大惨事で国民の原発不信は頂点に達している。もちろん、放射能濃度の高い現場で懸命に活動されている東京電力職員、自衛隊職員、消防士等の方々には頭が下がる思いだが、電力会社の「安全より経営優先」姿勢や隠蔽体質、そして政府の不十分な危機管理体制など、批判されるべき問題点は山ほどある。今後の日本の電力供給を今までのように原子力に依存することで国民のコンセンサスを得ることは、もはや極めて困難だろう。
石油等天然のエネルギー資源が乏しい我が国において、地震大国でありながらも原子力発電が推進できたのは、その世界に冠たる優れた科学技術力によるところが大きい。その「安全神話」が完全に崩壊した。これまでもトラブルを起こしつつもなんとか大事故・大惨事を起こさずやって来られたことは、実は幸運だったのかもしれない。
しかし、今後は原発縮小への道を歩まざるを得なくなった。静岡の浜岡原発や愛媛の伊方原発周辺の住民の不安は、日増しに増大してきている。自前の天然エネルギー資源に乏しく、原子力発電も縮減されるとなれば、電力需要を減らすしかない。電力需要を減らすことは様々な経済活動を縮小させることとなり、ただでさえ悪い景気を悪化させ、GDP低下は免れないが、そんなこと言っていられない現在、「経済より安全」の原則は貫くべきだろう。
〈サマータイム導入の可能性〉
最近は、テレビ等でも数々の省エネキャンペーンが行われており、私たち国民の中にも「省エネマインド」が醸成されつつあることは好ましいことであるが、国を挙げての省エネ対策として、サマータイムを導入するのはどうだろうか。
サマータイム(SUMMER TIME)とは、デイライト・セービング・タイム(DAYLIGHT SAVING TIME)ともいい、夏の間、太陽の出ている時間帯を有効に利用する目的で、現行の時刻に1時間を加えたタイムゾーンを採用する制度だ。
そもそも、現代人の生活は、明るくなる時間帯の早朝にはまだ活動せず、暗くなる時間帯の夕方~夜に、こうこうと明かりを点けて、仕事や娯楽を行っている。1時間でも前倒しにすれば、かなりの電力節減・省エネ効果が期待できるのではないだろうか。
欧米では、毎年3月~10月・11月に実施されており、日本でも1948年~51年に行われたことがあり、その後も再導入の話があったものの、種々の反対意見もあり、実施はされていない。しかし、今回ばかりは多少の反対派も目をつぶってくれるだろう。
反対意見の中には、例えば子供たちの「従来の生活リズムが崩れる」など医学的な指摘もあるが、大部分の人は順応していくだろうし、健康上の不具合が生じる場合、政府が医療機関にガイドラインを示すなどして、保健所や医師等が個々に対応すればよいのではないか。
また、日本列島は東西に細長いために日の出・日の入りの時刻に大きな差が生じることに関しては、例えば、暗い時間帯に学童たちが登下校することとなる地域には特例的にサマータイム制度を適用除外するなど柔軟に対応すればよい。
その他、時計や種々の電化製品の時刻調節など煩雑な問題も起きてくるが、国民全員で我慢することは、日本人の国民性からいって容易なことに違いない。
計画停電もなく、今回の震災の影響の乏しい西日本の方々も、今回の戦後最大の国家的困難に鑑みれば、皆さん協力してくれるのではないだろうか。