・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・河辺啓二の音楽論(1)
10月3日、東京・国際フォーラムの松任谷由実「TRANSIT2009」最終公演に行って来た。今年4月から始まった同コンサートツアーのまさに最終日なのだが、なんと私は強運なのでしょう、その「千秋楽」に最前列のしかもド真ん中の席であったのです。
〈私が初めてユーミンを聞いた頃〉
いったいいつから私はユーミンを聞くようになったのだろう。私にとってユーミンは「荒井由実」だった。四国の高校を卒業し、東大に落ち、浪人していたときだろうか、それとも、一浪の後東大に入って間もない頃だろうか、当時中央大学の学生だった実兄の持っていた「ひこうき雲」「ミスリム」「コバルトアワー」の3枚のLPを何回も聞いたものだ。もちろん、その頃CDなんてあるはずがなく、レコード盤に針を落として、あの「シャー」という音とともにユーミンの音楽を楽しんだ。
麻雀にうつつを抜かしていた大学一年生の頃、シングル「あの日にかえりたい」が大ヒット、続く「翳りゆく部屋」もヒット。大学の漫画倶楽部の汚い部室で下手なギターを弾きながら「翳りゆく部屋」、そしてバンバンに提供されヒットした「いちご白書をもう一度」を歌ったものだ。
1970年代の若い大学生の愛好する日本の音楽といえば、小椋桂と荒井由実である。70年代前半から売れていたこの2人に遅れること数年、70年代後半からブレイクしてきたのがサザンオールスターズであった。思うに、自ら曲を作り歌い演奏するアーティストで、30年以上も日本の音楽シーンのトップを維持しているのは、ユーミンとサザン(桑田佳祐)が双璧であろう。カラオケの歌本に掲載されている彼らの曲の多さに驚嘆するのは私だけではないだろう。ちなみに、有線放送USENのチャンネルリストには膨大なチャンネル番号が載っているが、個人アーティストだけで1つのチャンネルを占めるのは日本人で4組だけ(美空ひばり、石原裕次郎、サザンオールスターズ、松任谷由実)、外国人で
6組だけ(エルビスプレスリー、ビートルズ、カーペンターズ、エリッククラプトン、ボブデュラン、ローリングストーンズ)である。
〈ユーミンはマイケルジャクソン並みのエンターテイナーか〉
おじさん医学生だった頃から、好きな外国人アーティストが来日した際、東京ドーム、日本武道館、東京国際フォーラムなどで行われるコンサートに行くようになった。ポールマッカートニー、ローリングストーンズ、サイモン&ガーファンクル、(ビージーズの)ロビンギブ、アース・ウィンド&ファイア、ボブディラン、エルトンジョン&ビリージョイルといったところか。
そのかわり、邦人アーティストのコンサートは、ほとんど行ったことがない。数年前に地元群馬県の市民公会堂の堀内孝雄のそれを見たくらいだ。このとき、アリスが好きな私は「なつかしの」アリスソングを期待したのだが、それはわずか数曲で、ほとんどソロになっての演歌調の曲であった。ちょっと残念だった。
ファンが聞きたい昔のヒット曲はほとんど「封印」して、なるべく新しい曲を披露するという姿勢は「現在進行形のアーティスト、COMPOSER」としてのプライドなのだろう。今回のユーミンのコンサートでも、私のよく知る「荒井由実」の曲は少なく、新作アルバム「そしてもう一度夢見るだろう」の曲をはじめ1980年代以降の曲を多く披露した。通常、知らない曲が多いコンサートは退屈になるものだが、全くそうではなかった。
一つには、新しい曲なのに、昔と変わらないユーミンの作風であるため、初めて聴いたようには思えない親しみが沸いてくる曲が多い。作風が変わらないといっても、陳腐さは微塵も感じられないのだ。加齢現象で今時の歌はなかなか覚えられない私でさえも、不思議と口ずさめてしまうのである。
もう一つは、ユーミンが見せる(魅せる)ショーであるということだ。個性的なメンバー揃いのバックバンド(特にパーカッションが印象的)、バックコーラスを従え、何度も衣装替えし、踊りあり、フライ(ピアノ線で吊っていた)あり、マジック(火が燃えたり、姿が消えたり)あり、・・・と全く退屈さを感じさせない。
〈他のアーティストたちのコンサートとの比較〉
このユーミンのコンサートの直近に観たコンサートは、7月11日、東京ドームのサイモン&ガーファンクルだが、彼らはほとんど「定位置」で歌うばかりであった。
ポールマッカートニーも、おおむね「定位置」だったが、ローリングストーンズのミックジャガーは、60歳代でありながらステージの端から端まで駆けて歌うなど、サービス精神は旺盛だった。
加齢による歌声の劣化は、いたしかたないと思う。55歳のユーミンの歌声は劣化していなかった。かつて東京ドームで観たポールマッカートニーも、また、ミックジャガーも往年の歌声であった。ちょっと淋しく感じたのは、数年前東京国際フォーラムで観たロビンギブと今回のガーファンクルだ。ファルセットで「Staying Alive」「Night Fever」など大ヒット連発していたビージーズだが、ロビンギブは、加齢のためかファルセットなしで「地声」で歌っていた。ちょっと盛り上がりに欠けた。
今回のサイモン&ガーファンクルは、13年前来日の際より多く歌ってくれた(前回はガーファンクルの体調不良のため曲数が少なかった)。ただ、68歳という年齢で、20歳代に発表した「明日に架ける橋」「スカボローフェア」の美しい高音を求めるのは酷であろう。サイモンはもともと美声ではないで、若い頃と大きな変化がないように聞こえるが、ガーファンクルの声は、どうしても往年の美声より「かすれた」声になっていたことは明らかであった。
〈ユーミンコンサートの曲は・・・〉
話が逸れた。最後にコンサートで披露された曲目を紹介する。ともかく、その歌声、動き、容貌の若々しさに脱帽。
航海日誌・・・・・・・・・・・・・・・・COBALT HOUR(1975)
ベルベット・イースター・・・・・・・・・ひこうき雲(1973)
ピカデリー・サーカス・・・・・・・・・・そしてもう一度夢見るだろう(2009)
時のないホテル・・・・・・・・・・・・・時のないホテル(1980)
Bueno Adios・・・・・・・・・・・・・・そしてもう一度夢見るだろう(2009)
まずはどこへ行こう・・・・・・・・・・・そしてもう一度夢見るだろう(2009)
黄色いロールスロイス・・・・・・・・・・そしてもう一度夢見るだろう(2009)
幸せになるために・・・・・・・・・・・・acacia(アケイシャ)(2001)
やさしさに包まれたなら・・・・・・・・・MISSLIM(1974)
ハートの落書き・・・・・・・・・・・・・そしてもう一度夢見るだろう(2009)
夜空でつながっている・・・・・・・・・・そしてもう一度夢見るだろう(2009)
自由への翼・・・・・・・・・・・・・・・U-miz(1993)
青いエアメイル・・・・・・・・・・・・・ OLIVE(1979)
ジャコビニ彗星の日・・・・・・・・・・・悲しいほどお天気(1979)
Flying Messenger・・・・・・・・・・・・そしてもう一度夢見るだろう(2009)
守ってあげたい・・・・・・・・・・・・・昨晩お会いしましょう(1981)
Forgiveness・・・・・・・・・・・・・・A GIRL IN SUMMER(2006)
14番目の月・・・・・・・・・・・・・・THE 14th MOON(1976)
水の影・・・・・・・・・・・・・・・・・時のないホテル(1980)
ダンデライオン~遅咲きのたんぽぽ・・・・VOYAGER(1983)
埠頭を渡る風・・・・・・・・・・・・・・流線形'80(1978)
DESTINY・・・・・・・・・・・・・・・悲しいほどお天気(1979)
二人のパイレーツ・・・・・・・・・・・・U-miz(1993)
卒業写真・・・・・・・・・・・・・・・・COBALT HOUR(1975)
・・・・・・・・・・・河辺啓二の医療論(1)
〈現時点での「町医者」の状況〉
本日10月19日から医療従事者向けに新型インフルエンザワクチンが接種されると報道された。だから、患者さんの中には「お医者さんはいいよね。真っ先にワクチン打てて」ともらす方もいる。ところが、私ら末端医療現場の医師には、全くその気配がない。取引している薬問屋に聞いても、その問屋にすら入荷されていないらしい。今のところ、いつから接種できるか、全く見当が立たない状況である。
毎日のように患者さんから「いつから新型インフルエンザのワクチンができるのですか」と聞かれる。上述のようなお話をすると、「お医者さんがまだならしかたないわね」と納得される。
〈期待した民主政権だが・・・〉
新型インフルエンザ騒動の起きた5月、6月頃は、簡易検査でA型陽性が出たら保健所でPCR検査という精密検査を行い新型かどうか同定していたものだ。全国で多数の罹患者が出た夏以後は、PCR検査は省かれてしまい、A型陽性=新型陽性とみなすこととなった。まぁ、今や、罹患者が全国で何十万人、いや百万人に達しそうな現状では当然であろう。
政権交代があっても、新型インフルエンザワクチンに係る行政の稚拙さは従来どおりだ。とにかく遅い。アメリカではワクチン接種がとっくに始まっているというのに、この鈍速さはどうだろう。まぁ、スピードについては他の論客にお任せしよう。(途中政権交代したことは言い訳となり得るだろうが)
〈さすがは厚生労働省(←皮肉)〉
私が、特にひどいと思うのは、あまりに世間離れしている「○○万人分の接種を可能とした」としたり顔でアナウンスする厚生労働省の非常識さだ。一般人患者に対する補助措置は講じず、患者全額負担(補助もしないのに、なんで価格が決められるのか。こんなワクチン今まであったっけ?公費負担のある、三種混合や麻疹風疹なら価格設定されて当然だろうが、自費である水痘やおたふくのそれの価格設定は自由となっている。もちろん、季節性ワクチンも同様に自由価格だ。したがって、今回のワクチンと従来のワクチンの価格設定について整合性がとれていないことになる。)として、ほとんどの該当者が当然接種に来ると思い込んでいる。その根拠を知りたい。リストラされて毎日ハローワーク通いしている多くの「貧困層」にとってウン千円というのは少額ではない。事実、私の患者さんの中でも、受ければ治るかもしれないある治療を、経済的理由だけで受けられない人が何人もいるのである。「健康」はある程度お金で買うものだと言われて反論できないのが現在の日本であろう。また、「健康」に対する価値観の多様性にも留意しなければならない。パチンコではよく1万円失うのに、病院の窓口で数千円の支払いを高いと感じる人もいるのだ。
現在行っている季節性インフルエンザワクチンだって「自費」であるため「高い」と感じ、受けない人が山ほどいる。
昔から厚生労働省の役人は医療現場を知らない(どの省庁も現場知らずではあるが)。医系技官といったって、医師免許を持っているだけで、臨床経験の乏しい人が多い。
〈結局、ワクチンは残るだろう〉
畢竟、「新型インフルエンザワクチンは残るのではないか」というのが私の予測だ。野党に転落した自民党がこのワクチンの無料化を訴えているようだが、ま、これもエエカッコシであろう。結局、「ヘタな医療行政をする与党vsケチばかりつける野党」という構図は変わらないのかなぁ・・・。
私の予測がはずれてしまうことを祈念してやまない。
〈恐怖の季節が到来・・・〉
現在、私の診療所には、季節性インフルエンザワクチンの接種を受ける患者さんと新型インフルエンザに罹患していると思われる患者さんの両者が毎日多く来院される。このまま推移すれば、年末~来年には、新型インフルエンザ大流行、更に季節性インフルエンザも大流行となる可能性がある。遅れてやって来た新型インフルエンザワクチンを一般患者に接種できる頃には、「今、家族や同僚がインフルエンザに罹っています」という理由でワクチン接種断念(周囲に感染者がいるときはワクチンはできない)したり、あるいは「新型インフルエンザには先月罹りましたから」と接種不要としたりする人が続出するのではないだろうか。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・河辺啓二の政治・行政論(1)
〈われわれ外野の人間はお手並み拝見中です〉
8月末の総選挙圧勝、9月の組閣から約1か月経った。ついに日本の政治・行政が変わりそうな気配が出てきてはいる。
私の好きな漫画家弘兼憲史氏が「やってみなはれ内閣」とネーミングしていたが、同感だ。「こども手当」「高速道路無料化」「高校授業料無償化」など、財源の怪しい、甘いフレーズで選挙民のハートをがっちり捕らえ、総選挙で歴史的な大勝利を収めた民主党政権のお手並み拝見といったところであろうか。
(個人的には、莫大な財源を「こども手当」に振り分けるより、医療・介護にもっと回してくれないものかと感じている。)
〈我が国の「文系支配」はCHANGEできるのか?〉
私は、常々、拙著等で、日本の政治腐敗の一因として、「自民党文系支配」を挙げてきた。私のように理系と文系を渡り歩いて来た人間にとって、両者の実情を体験しているだけに我が国の「文系支配」には腹立たしささえも覚えるものである。
難解な数学や物理学が理解できないような人間が我が国を牛耳っていると断じることができる。政界、(私のいた)官界、産業界のどこでも、上位には法経出身者が多い。そこで、端的な例として、政界のトップ、最近の歴代総理大臣の学歴を遡って見てみよう。
麻生太郎:学習院大学政治経済学部政治学科
福田康夫:早稲田大学政治経済学部経済学科
安部晋三:成蹊大学法学部政治学科
小泉純一郎:慶應義塾大学経済学部
森喜朗:早稲田大学第二商学部
小渕恵三:早稲田大学大学院政治学研究科
橋本龍太郎:慶應義塾大学法学部政治学科
村山富市:明治大学専門部政治経済科
羽田孜:成城大学経済学部経営学科
細川護煕:上智大学法学部
宮澤喜一:東京帝国大学法学部政治学科
海部俊樹:早稲田大学第二法学部
宇野宗佑:神戸商業大学中退
きりがないので、平成以後とした。ALL文科系、しかもいわゆる政・法・経・商の社会科学卒業生ばかりである(ややウンザリ)。昭和戦後に遡っても、出身学部の傾向は同様で、東大卒の割合が高まる程度だ。異色なのは、中央工学校卒(専門学校)の田中角栄氏と水産講習所(現東京海洋大学)卒の鈴木善幸氏の2人だ。この2人も、広い意味では理系に属するが、○○大学理学部あるいは工学部卒業生でないので、あまり理系出身者とは言い難い。このような歴代首相の卒業学部を見るだけでも、いかに我が国が「文系支配」であるかがわかる。
〈「文系支配」は世界の非常識〉
今度の鳩山由紀夫首相は、東京大学工学部計数工学科の卒業生であり(昔は、中曽根康弘氏とか福田赳夫氏とか東大卒が多かったが、彼らは正確にはすべて旧制の「東京帝国大学」卒であるため、実は、鳩山氏が初の新制「東京大学」卒の首相となる)、同じ学部卒業生の私にとって待望のリーダーである。
英国のサッチャー元首相はオックスフォード大学で化学を専攻していたし、ロシアのエリツィン元大統領はウラル工科大学建築科出身だ。現職では、ドイツのメルケル首相がライプチヒ大学で物理学を専攻していた。経済台頭著しい中国の政府首脳部はほとんど理系卒、技術者出身である(たとえば、胡錦濤国家主席が清華大学の水利工学、温家宝首相が北京地質学院の出身のエンジニア)。我が国の「理系冷遇」が、世界的に見ていかに奇異であるかがよくわかる。
今回政権を奪取した民主党には理系が多い。現内閣だけでも、総理を筆頭に、菅直人副総理は東京工業大学理学部応用物理学科卒、川端達夫文部科学大臣は京都大学工学部化学工学科卒、平野博文内閣官房長官は中央大学理工学部電気工学科卒と理系出身者が4人もいる。これらの方々は、大学時代、遊び回る文系友人を尻目に、夕方遅くまで実験に追われ、難しい数学や物理学の勉強の日々を送ったことであろう。大学時代に遊び回り、就職は一流どころへ進む要領のよい文系人間が世間では地位が高くなっている日本の現状に鑑みれば、理系の苦労を体験したこれらの大臣が、これまでの文系中心の政治や社会を変えてくれるかもしれないと感じざるを得ない。
〈私が「理→文」とした理由〉
私は、工学部3年生のとき、城山三郎の「官僚たちの夏」を読んで官僚に憧れ、国家公務員上級職試験受験を決意した。行政・法律・経済の事務系(文科系)で入省したほうがエラくなることを知り、更に、専門の難解な化学よりおもしろそうな経済学で受験をすることにしたものだ。
独学だが、初めて学ぶ経済学は楽しかった。特に、ミクロ経済学では数学を駆使するのがおもしろい。しかも理系の数学よりはるかに易しい数学だ。こんな易しい勉強で受かって事務官になると、難しい理系の科目で受かった技官よりエラくなれるのが「霞が関ムラ」、我が国の行政組織なのである。
〈威張るほど勉強していないのが文系〉
文系学部卒業生は、おおむね大学受験までしか理系のことを勉強していない。私立文系にいたっては、それさえもない。各界で大きな顔をしている早慶等一流私大文系出身者の多くは、英語と国語と社会1科目のたった3科目(!)しか勉強していない。
また、良くも悪しくも、我が国に最大数の人材を供給している学部―東大法学部といえども、大学入試の数学に高校3年生レベル(現行では、数学Ⅲ・数学C)は含まれない。しかるに、東大理系の二次試験の国語は、(文系の数学の範囲が狭いのに呼応して)形式上は文系より範囲が狭いことになっているとはいえ、実質の学習範囲は全く同じである。数学という学問と国語という学問の性質の相違によるものだろう。つまり、東大入試二次試験において、理系と文系で英語が120点満点で共通問題であるほかは、以下のような配点になっており、国語の勉強範囲が同一ゆえ、総勉強量として、理系は文系より高校3年の数学の分を余計に勉強しなければならないのだ(つまり数学に関していえば、理系は文系の1.5倍、学習しなければならない)。国立大学入試における数学は極めて重要だ。勝負の分かれ目の科目であることは、経験者なら誰でもわかるだろう。この最も時間をかけて学習する科目で、文系は理系よりはるかに楽(らく)していると言える。
理系:理科120点、国語80点、数学120点
文系:社会120点、国語120点、数学80点
大学に入った後、理系も文系も教養科目を履修するが、ここでも文系の連中は更に楽(ラク)をする。上述のとおり、実験・実習の類はなく、自然科学からは「科学史」とか「生物学」とか、なんとか詰め込みで単位がとれそうな科目を履修する。彼らは数学や物理学のような難解なもの、時間のかかりそうなものは選ばない。大学レベルの数学、物理学、化学等の難しさは、高校のレベルの比ではない。その点、法学や経済学は、容易に「入門」できる。
・・・・・・・・・河辺啓二のTVドラマ評(1)
今、TVで2つもの「公務員ドラマ」が放映されている。一つは、TBSテレビ日曜午後9時~「官僚たちの夏」、もう一つはNHK土曜9時~「再生の町」だ。前者が国家公務員版、後者が地方公務員版だ。ドラマといえば、恋愛もの、青春もの、学校もの、刑事もの、そして医療もの(あと、刑事ものに若干カブるが、検事や弁護士が主人公の法廷ものがある)といったところが定番のような気がするが、公務員ものは極めて珍しい。
公務員が主人公の作品で思い出されるのは、古くは黒澤明監督の映画「生きる」、やや最近では「県庁の星」(小説、漫画、映画)であろう。私は、後者は観ていないが、前者はリメイクされたものをテレビで観たことがある。メインテーマは、公務員がどうのこうのというより、末期癌の人間の生き様、ヒューマニズムだったように思う。2006年6月、私が初めて日テレ「太田総理」に出演した際、共演者のある男性が、同じ共演者の数名の現役東大生(官僚志望)に向かって「君たち、黒澤明の「生きる」を観なさい」と連呼していたので、いつか観ようとは思っていたものである。官僚志望の彼らに観せたがっていたこの男性の真意がよくわからない。
さて、「官僚たちの夏」。このドラマは、始まる前からとても楽しみにしていたものだ。TBSも、前宣伝にチカラ入れていたし、実際、時代セットも含め大変よくできている。キャスティングもすごい。佐藤浩市、堺雅人、高橋克実、佐野史郎、西村雅彦、杉本哲太、高橋克典、船越英一郎、北大路欣也・・・よく見る役者ばかりだ。しかし、視聴者はクールだねぇ。視聴率が初回こそ(前宣伝のためか)14.5%あったが、以後はどんどん減少し、この数回は7%台に落ち込んでいる。とても残念だ。官僚バッシング吹き荒れる昨今、かつてはこんな情熱を持った官僚たちがいたことを多くの人たちに知ってほしいと思うのは私だけではあるまい。
そもそも、城山三郎原作「官僚たちの夏」は、私が、東京大学工学部生だった22歳の頃、官僚を目指すきっかけの一つであった。当時発刊されて間もない頃、経済学部の友人に薦められて読んだものだ。そして、国家公務員試験に挑戦しようと決意した。専門外の経済学を半年ほど必死に勉強した。当然、希望省庁は通産省(正しくは通商産業省。今は経済産業省)だったが、ハードルは高く、ふられた。言い訳だが、霞が関トップクラスの人気官庁だったばかりでなく、「工学部卒」の人間を事務官として理工系出身の技官より人事上優遇することができないという考えもあったように思う。霞が関ムラでは、法律・経済出身の事務官が優位であることが当然視されている。ちなみに、各省庁の採用は、人事院の行う国家公務員試験とは別建てで、当該ドラマ「官僚たちの夏」の中でもあったように、人事担当官との面接でのみ決定されるのだ。
30年前は単行本だった「官僚たちの夏」が、数年前文庫本で出ていたのを、書店で見つけ、なつかしくなり、すぐ購入し、読破した。やはりおもしろかった。あれから数年、まさかTVドラマで登場するとは予想外であった。
このようにウン十年ぶりに世の中に再登場した作品といえば、本年1月~3月、日テレ土曜9時~に放映された「銭ゲバ」だ。原作はジョージ秋山の漫画である。「デスノート」のエルや「デトロイトメタルシティー」のクラウザーⅡ世とまた違った役回りの蒲郡風太郎(がまごおりふうたろう)をカメレオン俳優・松山ケンイチが見事に演じていた。私個人としては、「世の中カネだけではない」ということを教育する「反面教師」として、この不況下、多くの人がゼニに走るご時世に、誠に時宜を得た作品だと思うのだが、平均視聴率は10%足らずであった。更に、噂によると、人を殺す場面(設定)が多く(実際のそのシーンはほとんど出ない)残酷であるという理由で、PTAのおばさま方の苦情を受け、11回放映予定が9回に削減されたという。原作では、この蒲郡風太郎、終盤、ゼニのチカラでとうとう国会議員になる。政治家の腐敗した実態を知る私としては、この極めてリアルな話を放映してほしかった。原作どおりでなかったことが至極残念である。
それにひきかえ、同じく日テレ土曜9時~に以前放映された仲間由紀恵の「ごくせん」の異常な人気はなんだろう(平均視聴率28%だと!)。私は「ごくせん」は好きでない。言葉遣いが悪い、必ず殴り合う暴力シーンがある(おまけにストーリーも脆弱で稚拙)。こんな番組が大人気の平均的日本人の知性を疑う。なんで「銭ゲバ」がダメで、「ごくせん」はよいのだ?
〔私は、西日本出身者であるためか、「~ない」を「~ねー」、つまり「ai」を「ee」と発音するのはとても下品に聞こえる。たとえば、「知らない」を「知らねー」と言われるとひどく汚く感じる。西日本人(関西人)なら「知らん」、つまり「anai」を「an」と発音する。「行かない」を「行かん」と言う。古語の否定の助動詞「ぬ」に由来する。関西の言葉が日本語として正統なのだ。〕
「公務員ドラマ」から話が広がってしまった。もう一つの「再生の町」、これも秀作だと思う。財政破綻に直面した一地方都市を再生させるために奮闘する、市役所職員たちの姿を描いた物語である。主人公役の筒井道隆が熱演している。財政再建のため、病院や福祉施設の切り捨てまでをも考える公務員の苦悩がよく表現されていると思う。「地方公務員」といえばお気楽稼業と思われがちだが、こういう真摯な方々もいるのだろう。
ちなみに、私らの少年時代の大スターだったグループサウンズ、ザ・タイガースの名ベーシスト岸部一徳が、2006年フジテレビ「医龍」の野口教授役に続き、「再生の町」の中で重要な役をこなしている。沢田研二ほどのルックスに恵まれず、若いときは人気のなかった彼が音楽以外で役者としての才能を開花させているのだ。
【ついでに】
私は、なるべくTVドラマを観ないように努めている。なぜなら、観始めると、やめられなくなり、毎週観なくてはという、くだらない義務感が生じるからである。厳選し、週に1本か2本までとしている。この5、6年では、半年ものの「白い巨塔」(2003年~2004年フジテレビ)は原作が有名過ぎるので別として、2008年フジの「風のガーデン」が最高傑作だったと思う。名優緒形拳の「遺作」というだけでなく、末期癌の麻酔科医役の中井貴一の演技が光っていた。
現在放映中のドラマで上記2本の「公務員ドラマ」以外に、もう一つ観ているものがあった(あ、3本になっちゃった)。やはりフジで火曜9時~「救命病棟24時」だ。職業柄、つい「医療もの」は観たくなってしまう。このドラマは多くの人に観てほしい。救命救急の現場の重要性、大変さを理解できない国の施策の貧困さを訴える場面が多々あり、心底共鳴している。このドラマを観て救急医を目指す医学生が増えることを願うが、それより、世論を高めて、救急医の待遇改善を政治のチカラで実現し、せめて現役の救急医が辞めないような医療環境になってほしいものだ。
・・・・・・・・・・・・河辺啓二のパリ観光記
この夏、21年ぶりにフランス・パリを訪れた。
初めて同地を訪れた前回は、若き官僚時代、スイス・ジュネーブにILOの国際会議に日本国政府団の一員として数週間滞在した際の週末観光であった(このときはTGVで行った)。
前回と今回との違いは、まず、前回は政府のお金、つまり税金が原資だった(ジュネーブまでの渡航費及びそこでの滞在費が国費であって、パリ観光については自費である)が、今回はすべて身銭だということ、次に、前回は独身で一人で1泊2日の観光だったが、今回は妻子とともに6人で観光2.5日、ディズニーランド2.0日にわたり、ほぼ5泊6日滞在したこと、そして、前回はフランス語の知識ゼロだったのが、今回はある程度(仏検3級~準2級レベル)知識があったことが挙げられる。
〈花の都は、実は煙害の都〉
さて、20年来の憧れの都市・パリであるが、予想外にdirtyな都市であった。パリの中心街の道路を歩くと、ここかしこにタバコの吸い殻が落ちている。歩きタバコのパリっ子が闊歩している。特に女性のsmokerが目立つ。幼い子供を連れ歩くも、右手に子供の手、左手にタバコなんて様はざらにあった。お父さん、お母さん、そんな小さいお子さんに受動喫煙直撃させてどうするの・・・。
〔普段、ほとんど戸外に出ず、smokeゼロの環境の中で仕事・生活している私は、タバコの煙に極めてsensitiveになっていることは否めない〕
とにかく、一視野当たりに必ず一人はタバコ吸っている印象だ。パリの中心街だけではない。ベルサイユ宮殿だろうが、今人気のモンサンミッシェルだろうが、建物内はさすがに禁じられていたが、外ではタバコの臭いがどこからかやって来るのだ。就中ひどいなぁと感じたのは、幼い子供が多く訪れている「夢の国」パリ・ディズニーランドだ。キャストが掃除するためか、路上に吸い殻はあまり見かけなかったが、(アトラクション内は禁煙だが)アトラクション外では、どんなに人込みでごった返しても誰かは煙を発していた。日本の東京ディズニーランドを見習え!と言いたい。タバコ嫌いな息子は「空気が汚い」と憤っていた。
フランス人にも、他国からの観光客(フランスは世界一の観光大国で人口6千500万に対し、国外からの旅行者は年間7千万人を超えるという)にも、私のような嫌煙者がいるはずなのだが、他人から煙を吸わされても、誰もイヤな顔をしない。もちろん、注意する人間なんているはずもない。我慢しているのかしら。
こんな喫煙大国なのに、フランス人の女性の平均寿命が、日本、香港に次いで世界第3位(84.1歳。2008年WHO統計)だとは信じられない・・・。
〈ポイ捨てする道徳心のないフランス人の名案〉
吸い殻のポイ捨てだけではない。ディズニーランドの緑地帯に空のペットボトルが何個も捨てられているのを目撃した。東京ディズニーランドの中ではほとんど見られない光景だ。キャストも手が回らないのかなぁ。
そういえばパリの街の中ではタバコの吸い殻ほどペットボトルが落ちていなかった。それには理由がある。通りに沿っていくつものゴミ袋が設置されているのだ。「ゴミ袋が設置」って?そう、ゴミ箱ではない。透明なごみ袋がリング状の金属に広げてぶら下げられているのだ。これだとあのオウム事件のように怪しいモノを中に入れるわけにいかない。これは妙案だと思う。日本の地下鉄も参考にしたらどうだろうか。
〈「赤信号一人で渡っても怖くない」〉
吸い殻ポイ捨てに罪悪感を全く持たない道徳観は、交通ルールを守らない感覚にも連結する。とにかくフランス人は、信号を守らない。信号が赤だからと待っているのは、我々一行くらいだった。赤信号でもみんな平気で横断歩道を渡る。「赤信号みんなで渡れば怖くない」どころか、たった一人でも怖くないようだ。信号無視は歩行者だけではない。私が青信号だとのんびり渡っていたら、車が突っ込んで来たので、あわてて渡り終えたことがあった。ひどいものだ。信号そのものも不親切。青信号の時間が短い上、時間が迫ると(日本のように)光が点滅することもなく、警戒音が出るわけでなく、ぱっと赤信号に変わる。脚の弱い高齢者だとどうなるのだろう・・・(ただ、訪れたパリ中心街、観光地、ディズニーランドにあまり高齢者は見かけなかった)。
〈税金の無駄遣いは日本と同じか〉
まぁ、このように「信号無視」したくなる気持ちがわからないではない。とにかく信号機が多い。日本では通常ないような、ちょっとした小径同士でも設置されている。誰も見やしない信号機に税金を投じて大量に設置する仏政府のオツムはどうなってのだろうか・・・。
パリ中心街の建物は中世風の建物ばかりで、「ぱっと見」は20世紀、21世紀とは思えないほどだ。近代的ビルが立ち並ぶ「新興」都市の東京やソウル、香港などと街の景観が全く違う。自国の文化・歴史に限りなく自信を持つフランス人の誇りの現われであろうか。(街の中に、いくつも、ナポレオン、ジャンヌダルクなど歴史上の人物の銅像が置かれてあるのも、東京等東洋の大都市と大いに異なる。)古い、又は古風に見せた建物をメンテナンスしているのだろう。建物をあんなにきれいに維持しているのに、なぜ、街路はタバコの吸い殻を放置して汚くしているのかしら、と妻は不思議がった。
〈世界に名だたるフランス料理って・・・〉
フランスといえば、フランス料理。高級レストランに行くほどの富裕層ではないので、中程度のレストラン(決して安くはない)で食事したが、イマイチの感は拭いきれない。特にビーフがお粗末。ナイフで切れにくい。味も大したものではない。食料自給率100パーセント以上を誇る「農業大国」フランスのこと、自国産の牛肉だろうが、和牛はおろか、オージービーフに劣る味だった。魚料理なら、なんとかいただける味だった。もちろん、ライスは、例のパサパサのインディカ米で食べられるものでない。帰りの機内で食べたコシヒカリのなんと美味しいことか!
〈日本ファンは増えても、日本経済の陰は薄く・・・〉
21年前にヨーロッパに来た際は、あちこちに「TOYOTA」や「HONDA」の車が走っていたし、日本人観光客も多く、日本語の表示をよく見かけた。当時の日本経済力の大きさを感じ、やや誇らしげな気持ちになったものだ。ところが、今回は、日本車はめったに見かけないし、日本語表示も少ない気がした。観光ガイドさんの話では、昨今の世界不況の中でも日本経済不調の表れか、日本からの観光客は減少しているとのこと。
〔ちなみに、ディズニーランドの入り口でもらえるガイドマップに(USAと香港にはあった)日本語版はなく、仏英西独伊蘭の6か国語版しか置かれてなかったことが、同ランドへの日本人入場者の少なさを物語っていた。〕
ただ、唯一「お、ニッポンもやるな」と感じたことがある。ルーブル美術館の中でのことだ。一番人気のモナリザ(これは込んでいた。近くに寄るのが大変)及び二番人気のミロのビーナスの展示所に「改修工事が日本テレビの援助により行われました」という掲示があり、我が国ニッポンも、かつて「エコノミックアニマル」と揶揄された時代を乗り越え、文化にカネをかけるようになったものだ(何らかの思惑はあるだろうが)と、嬉しい気分になった。
日本アニメやJUDO、更には日本食(ラーメン屋にもお客がいっぱい)のファンが多いフランスでは、日本に興味のある人は多いようで、ディズニーランドのレストランのウェイトレスさんが盛んにカタコト日本語を話すなど、微笑ましい場面によく出くわしたものだ。
更におもしろかったのは、漢字の刺青をしている若者が結構いたことだ。「愛」とか「吉米」とか、意味もなく彫っている。USAでもいたが、欧米人にとって、漢字は形そのものがARTらしい。そういえば、以前USAで「魚」と書いている人がいたなぁ。漢字の字体から見て、本場中国の簡易体でもないし、香港・台湾の旧字体でもなく、日本の漢字体のようだ。
このように、文化的には、以前より日本は欧州に「侵略」してきているようだが、経済においては劣勢のようだ。帰りのシャルルドゴール空港内で見かけた夥しいほどのTVの液晶画面は、すべて韓国のサムスン製であった。残念ながらPanasonicもSONYも1個も設置されてなかったのだ。
〈蛇足①:フランスはUSAより人種のるつぼ〉
アメリカ合衆国、特にニューヨークなど、よく「人種のるつぼ」と言われていたものだが、USA西部しか行ったことのない私から見れば、カリフォルニアなんかより、よっぽどパリのほうが「人種のるつぼ」のような気がする。旧植民地の北アフリカから来て働く黒人の数がとても多い(例えば、エッフェル塔の周りには、非合法に観光客に土産品を売りつけようとする黒人達が無数にいた)。フランスにおけるイスラム教徒の数は膨大らしく、パリ市街地には、いかにもそれらしい中近東人が歩いていたものだ。私らのような東洋人は少数派だった。
〈蛇足②:フランス人は英語をわざと話さない?〉
21年前、パリの地下鉄の切符売り場でお釣りがひどく少ないことに文句をつけるも、英語が全く通じず、頭に血が上ったことがある。今回は、ある程度フランス語の勉強もして訪れたが、実際はどこでも英語が通じた。「フランス人は英語をわざと話さない」というのはウソだとガイドさんが流暢な日本語で話していた。ただ、英語教育は日本ほど盛んでないらしい。学校でも英語が必修でなく、ドイツ語など学習する生徒も多いとか。要するにビジネスのためにしっかり英語を勉強した人たちが増えたということだろうか。
〈結語:やはり日本がイチバン!〉
やはり日本が一番。
以前に比べ公衆での喫煙者が減っているし、吸い殻をポイ捨てする馬鹿者もフランスに比べ、ずっと少ない気がする。
食べ物も日本のものが一番うまい。国産和牛より美味しい牛肉ってあるのだろうか。炊きたてのコシヒカリよりうまいお米ってあるのだろうか。
(更に言うと、日本には、あの煩わしい「チップ」の習慣がないのがよい)
ほんの20年ほど前に、今の「ブログ社会」を予測した人はどのくらいいたでしょうか。
ブログは、日記的内容の情報公開であり、自分以外のなるべく多くの人に読んでもらいたいと期待して書かれるものなのでしょう。同様の方法としては、執筆出版という手法がありますが、ほとんどの場合、そこまでに辿り着くのは難しい。したがって、ブログほど手軽に当該欲求をある程度満足させる手法はないでしょうね。しかも、執筆出版で生じるタイムラグ(原稿が完成しても、書籍の形になるまで、校正などで通常数か月かかる)がないことも、ブログの大きな長所だと思います。
世の中のブロガーには、毎日欠かさずきちんと書く人もいれば、何日も、あるいは何か月もブランクのある人もいます。本職多忙で遅筆を言い訳とする私は、できれば週1回以上、悪くても月1回以上は書いていきたいと思う所存です。