「俺は100歳まで生きると決めた」

・・・・・・・・・・・・・河辺啓二の音楽論(26)

〈80歳代の星〉

旧ブログで2009年11月29日付け「加山雄三は70歳代の星」( 加山雄三は70歳代の星)を書いてはや15年も経ってしまった。70歳代どころか80歳代後半になっても、人前で歌う歌手を引退しても、やはり加山雄三は我ら中高年男性にとって憧れであることに変わりがない。タイトルがいい。何歳まで生きられるかは神様以外知る由がないはずだが、自ら「100歳まで生きると決めた」と言い切るところが実に清々しい。

副題が「まだやりたいことがある。だから若大将は生きる。」で「年齢を重ねて再びチャンスを摑み、命の危機も乗り越えた、最高の幸福論」としている。「幸福論」とはいえ、書いてあることはほぼ自伝のようなものだが、加山雄三だからその生き様―自叙伝が「最高の幸福論」になるのだ、とファンの私は思うのだ。

超有名人たちとの交友歴もおもしろかったが、読み終わって、強く印象に残ったことが3つほどある。

〈住環境、そして食生活〉

人気スターの子供として生まれ育ったサラブレッドであることはよく知っていたが、海に囲まれた、空気のよい環境で育ち、成長期に新鮮な魚、貝、海藻を毎日食べていたという。大病を経ながらも87歳であの元気と若さを維持しているのは、この幼少期の食生活が主因の一つであることは間違いない。子供の時、将来なりたい職業は漁師だったという。

〈なぜ優れた作曲才能が育ったのか〉

加山雄三というと、真っ先に浮かぶのはエレキギターを弾きながら歌う姿で、ピアノ演奏を見せた「海 その愛」は、その後のヒット曲の印象だった。が、実は、ピアノが先で、ギターはずっと後で習得したものらしい。というのは、もともと父親の影響で少年期からクラシック音楽に傾倒し、ピアノを習っているのだ。ユーミンより、桑田佳祐より早くシンガーソングライターとして頭角を現した、その作曲の才能は、もちろん天賦の資質もあるだろうが、幼少期の音楽環境によるところも大きかったに違いない。「俺の音楽のルーツはベートーヴェン」というほど、父親のベートーヴェンなどのレコードをこっそり聴きまくっていたという。同じようにベートーヴェンに影響を受けた日本人音楽家は多いらしく、例えば「上を向いて歩こう」はピアノ協奏曲第5番「皇帝」の影響を受けているんだと・・・。

〈これぞ内助の功〉

 とっくに大スターになっている加山雄三がそれほどのスターでもなかった松本めぐみと結婚したときに結構騒がれたことは、私も少し記憶がある。まぁ、「スター度格差」結婚ということだったかなぁ。でも、この加山雄三の選択は極めて「正解」だった。若いとき、親戚の莫大な負債を背負わされた不遇(極貧?)時代の夫を支えたばかりか、高齢になって、脳梗塞、小脳出血と立て続きに大病(脳血管障害)に襲われた際にこの奥さんの迅速な対応のおかげで助かっている。もしこの対応が遅かったら、命を失っているか、大きな後遺症が残っていることだろう。「カミさんは神様だ」と明瞭に感謝の意を表している。

〈100歳まで生きて〉

天才的な音楽の才能をはじめ、多彩な芸術的才能、スポーツ万能の優れた運動能力(料理もできるらしい)、そしてあのルックスなどなど・・・やはり憧れの「日本一かっこいい爺さん」なのだ。宣言どおり100歳まで生きてほしい。