二宮敬作を太田市医師会通信で紹介した

 太田市医師会通信第71号(2026年2月26日付け)に投稿し、掲載してもらいました。二宮敬作については、本ブログで書いたことがありますが、昨年秋、故郷の医院跡地を見学したこともあり、私の所属する太田市医師会の先生方にも知ってもらおうと思ったわけです。

 う~ん、やはり現物は文字が小さくて読みづらいので、医師会に送った原案文と敬作医院跡地で撮ったほかの写真をここに載せます。

我が故郷と二宮敬作

〈生まれ育った農山村〉

 私は、愛媛県大洲市の「上須戒(かみすがい)」という農山村に生まれて、15歳の春まで、そこで育ちました。コンビニない、道路の信号ない(小学生のとき隣町で初めて信号機を見た)、バスは1日1回、新聞は郵便と一緒に配達という、吉幾三の歌った「おら、こんなムラいやだ~」と同程度の過疎地で、おそらくは太田市医師会の会員の中で自分は一番の「田舎者」だと自負しております。結婚相手(妻)を初めて両親に会わせるため帰郷したとき、当時銀座の会社に勤務していた彼女がその田舎ぶりに絶句していましたね。「こんなムラいやだ~」と思ったのか、中学卒業後、いちおう向学心に燃えて県庁所在地・松山市の進学校、松山東高校に入学し、同校卒業後、東京→群馬と、日本の中を北東に移動してきたのであります。

〈歴史上の偉人と我が故郷は関係あった!〉

 「ふるさとは遠きにありて想うもの」といいますが、両親も亡くなり、故郷を出て半世紀以上経ち「ふるさと・上須戒」を思い出すことは殆どありませんでした。ところが、一昨年、何の拍子か、ネットで「上須戒」とあのシーボルトが関係あることを知ってたいそう驚いた次第です。

 生を受け、上須戒保育園→上須戒小学校→上須戒中学校と15年もの間、上須戒に住んでいましたが、親や兄姉たちからも、小学校・中学校の先生からも、もちろん友達からも、そんな話を聞いた記憶がないことが??であります。

〈歴史に残る二宮敬作〉

 「シーボルト事件」(※)の後に、恩師シーボルトに頼まれその娘イネを養育したのが、幕末の理学者・蘭方医の二宮敬作(にのみやけいさく1804~1862)です。彼は、妻イワの故郷・上須戒で、1831年(天保2年)から3年ほど蘭方医を開業していました。ここで薬草を育て、上須戒の村人たち(私の高祖父母も?)を診療していたのです。

※シーボルト事件・・・江戸時代後期の1828年(文政11年)に、ドイツ人医師フィリップ・フランツ・フォン・シーボルトが、日本国外への持ち出しが禁止されていた「大日本沿海輿地全図」などを持ち出そうとして発覚し、国外追放処分を受けた事件。シーボルトに地図を贈った幕府の書物奉行兼天文方筆頭高橋景保をはじめ多数の関係者、蘭学者が幕府によって処罰された。

〈二宮敬作について無知だった〉

 シーボルトといえば、日本史で少し勉強した程度で、妻の「お滝さん(楠本滝)」くらいなら聞いたことがあるものの、その娘「楠本イネ」(日本女医第1号(産科医))、弟子の二宮敬作、その妻イワなんて聞いたことがなかったのです。イワさんの実家が「西」というらしいですが、小学校の同級生に「西田」「西山」「西川」という名字の人はいたけど「西」なんて名字、いなかったなぁ・・・。

 ちなみに、二宮敬作は、富士山の標高を日本で初めて測量した理学者でもあり、高野長英や大村益次郎といった歴史に名を残す人物とも親交があったということです。

〈二宮敬作とシーボルト〉

 二宮敬作は、愛媛県大洲市の隣、今の八幡浜市の磯崎に生まれ、15歳のときに「百姓の子は百姓に限る」という親の反対を押し切り医師を志して長崎へ留学し、蘭語・蘭方医学を学んだ後、シーボルトが教える鳴滝塾に入りました。シーボルト先生の門弟となり、懸命に医学を学んだわけです。

 後年、シーボルトは、シーボルト事件で日本追放になった際、お滝さんとの間に生まれた娘イネを敬作に託しています。ということは、師匠シーボルトが多くの弟子の中で敬作を最も信頼していたのではないでしょうか。シーボルトが遂に日本を離れる時、漁船に乗って来た敬作と洋上で涙の別れをしたという話は、まさに感動的ドラマだと思います。(ドラマと言えば、1977年、大村益次郎が主人公のNHK大河ドラマ「花神(かしん)」で二宮敬作が登場しています。大河ドラマファンの方ならご記憶にあるかも。ちなみに敬作を演じたのは、私も大好きな昭和の名優・怪優の大滝秀治です。)

 更に、日本追放から30年後に再来日したシーボルトと敬作は再会します。娘を立派な女医に育て上げてくれた敬作への感謝でシーボルトは感涙したということです。この話も胸を熱くしてくれます。

〈二宮敬作の医院跡を訪れた!〉

 昨年11月、久しぶりに愛媛に帰る機会(墓参り等)があり、その際、念願だった「二宮敬作居住跡」見学をして来ました。私の実家や通った小中学校(今はどちらも廃校)よりもずっと川上に位置し、当時の河邊少年が立ち寄った記憶がないような場所に開業していた医院の跡があり、地元の教育委員会作成の古びた「二宮敬作住居跡」案内板が立っていました。残念ながら住居の中には入れなかったのですが、ここは妻イワの出生した家でもあり、間口7間、奥行4間の規模でもとは中二階が備わっていたとのことです。

 「あぁ、ここで二宮敬作先生は、私の祖先や上須戒の住民を診療してくれていたんだ」としばしの間、感慨にふけ、約二百年前を偲んだのであります。

〈NHKさんへの要望です〉

 2027年、群馬が終焉の地である幕末の偉人・小栗上野介忠順が主人公のNHK大河ドラマが放映されるそうですが、いつか二宮敬作が主人公の大河ドラマか、あるいは敬作が養育した、日本初の女医・楠本イネ(医師国家資格を得た初の女医は荻野吟子)が主人公の朝ドラかやってくれないかなぁなどと思うものであります・・・。