「世界史」で読み解けば日本史がわかる(前編)
・・・・・・・・・・・・・河辺啓二の勉強論(29)

〈積ん読していた名著を発見〉
「積ん読(つんどく)」は、私でなくともしている人は多数いると思う。書店に行って、「あ、これおもしろそうだ」と思って購入するも、仕事多忙で買った本を忘れてしまい他の本とごちゃ混ぜになってしまうことが多々あり、忸怩たる思いである。今回の本も乱雑に置かれている本の山から「あ、こんな本買ってたんだ」と見つけ出したものである。発行日が平成29年9月10日だからかなり以前に買った著書だ。ちょっと読め始めるとおもしろくてやめられない。こんなおもしろい本を何年も放っておいた自分が愚かだった。
世界史も日本史も、興味あるものの、今ひとつちゃんと勉強した自覚がない。年老いて理数系の学問から人文系の学問に興味がシフトしている私にとって、「世界史で読み解けば日本史がわかる」とは誠に「読みたい!」思いを炸裂させるものである。第1章の「縄文時代」から第9章の「太平洋戦争」まで、各章で〔従来の日本史観〕〔世界史から読み解く日本史観〕を見事に解明してくれている。著者は河合塾の世界史の先生だが、そこらの大学教授顔負けの碩学だと思う。
〈縄文時代〉
―縄文時代は本当に貧しい未開の時代だったのか―
縄文文化は、「1万年にもわたって進歩もなく、停滞した、貧しく原始的な社会」ではなく、農業に移行する必要が全くないほど「豊かで平和で安定した社会」であった。縄文文化というより「縄文文明」で、私らが少年時代習った「世界四大文明」(最近では死後になりつつあるらしい)よりはるかに古くから高度に発達した文明といえる。このことは、2022年夏に北東北の世界遺産巡りした際に思い知らされていたので、驚きはしない。
北東北の世界遺産巡り | 河辺啓二 kawabekeiji.com
本章において、慧眼の著者曰く、「ヨーロッパにおいて科学が発達した大きな理由は、彼らの生まれ育った自然環境にあるのであって人種の優劣ではない」と。食べ物や水など豊かな自然の恵みが乏しいヨーロッパで「自然を征服する歴史」の中から科学が育まれたということなのだ。対照的に、自然の恵みの豊かなアジアの農耕民に科学が発達する土壌が希薄だったという話に納得せざるを得ない。
〈仏教公伝〉
―「項羽と劉邦」の戦いが与えた影響―
私の大好きな「項羽と劉邦」物語・・・それが仏教伝来に関係するの?と思ってしまう。実は関係があったと思い知らされた。もし・・・がおもしろい。
もし、項羽が劉邦に勝っていたら→軍神のごとき項羽が匈奴に負けるはずがない→匈奴は中国に手が出せず、中国から歳幣(さいへい。貢ぎ物のようなもの)が得られず、中央アジアへの進出ができない→中央アジアは平穏であるため諸民族の民族移動が起こらず→クシャーナ朝が北インドを征服することなく、大乗仏教は成立せず→大乗仏教成立なくば、仏教はいつまでもインド人だけの難解な「民族宗教」として存続→日本に伝来しない
う~ん、こじつけと感じる人もいるかもしれないが、歴史の泰斗のIF論だけに、私は頷いてしまう。
〈室町時代末期〉
―戦国の動乱は地球規模の動きだった?―
戦国時代は、室町幕府の統制力の弛緩、相次ぐ凶作・飢饉、将軍義政の優柔不断と無能、そこから発展したお家騒動(応仁の乱)によって到来したとされ、私もそう信じていた。
実は、この時期、世界の各地域はタイミングを合わせたかのように、14世紀まで一時代を築き上げた国家や体制が15世紀前半までに衰退し、1世紀以上混迷と混乱を窮め旧体制が衰え滅びていき、やがて16世紀後半までに新体制、新勢力によって再び繁栄期を迎えるというのだ。
室町幕府→戦国時代→織豊(しょくほう)政権
明朝初期→明朝中期→再興明朝
チムール帝国→チムール衰亡期→サファヴィー朝
ヨーロッパ封建社会→ヨーロッパ宗教騒乱→ヨーロッパ絶対主義体制
この15世紀後半~16世紀後半は、天文学的には「シュペーラー極小期(1420~1570年)と呼ばれる太陽活動が著しく低下時期と一致、つまり「小氷期」到来により世界的規模で自然環境が激変し、従来の統治システムでは運営できなくなって「動乱の世」となったのだ。この気候寒冷化によって農業が大打撃を喰らい、慢性的な不作・凶作となり、飢饉が頻発し、国家体制が揺らぐこととなったと考えれば合点がいく。やがて「小氷期」が去って再び温暖な時代へ向かい始めたときに、織田信長が現れたのは偶然ではないということなのだ。う~ん、なるほど・・・。
〈戦国時代〉
―加藤清正、大谷吉継が死んだのはコロンブスのせい?―
7世紀ごろに西アジアの砂漠の片隅に生まれたイスラム教が、比較的短い期間でアラビア半島から北アフリカ、イベリア半島、中央アジアまで拡大し、更に14世紀にはバルカン半島まで広がってしまう。イスラームに挟撃される形となった当時のヨーロッパは「ユーラシア大陸の西の辺境にあって大変貧しい地域」で、茶・絹織物・陶磁器・香辛料等奢侈品の類いは殆ど入手できず、アジアから輸入したらしい。そこで、ヨーロッパ人は、イスラーム商人を介さずにアジアと直接交易できないかという強い想いが「大航海時代」を導いたのであった。
このことはヨーロッパ人にプラスばかりでなく、マイナスも与えてしまった。コロンブスがアメリカ大陸からヨーロッパに持ち込んだとされる梅毒という、当時治療不可能の感染症なのだ。日本で初めての梅毒症例が1512年らしいので、コロンブスのアメリカ大陸発見(1492年)よりわずか20年後、種子島鉄砲伝来(1543年)より30年も前に日本にヨーロッパから梅毒罹患者が来ていたことになる。加藤清正、大谷吉継など錚々たる戦国武将が梅毒で亡くなったという。もし梅毒が日本に「上陸」していなかったら戦国時代史以降の日本史は変わっていたに違いない。
〈宣教師の来日〉
―彼らがやってきた本当の目的とは―
日本におけるキリスト教布教の歴史も、日本史の枠の中で見ていてはいけないようだ。島原の乱は反乱軍視点で語られ、さも弾圧した幕府軍が「悪玉」のように語られやすいが、本当だろうかと考えなくてはならないのだろう。
学校の教科書では「先進技術を持ったヨーロッパにとって、時代遅れのアジアを征服するのは容易であった」のようなことが書かれ、私たちはそう思っていた。実は別法だった。ヨーロッパ人のアジア・アフリカ圏への「陰湿な侵略の手口」が解明されている。
1 まず、目を付けた地に「軍」ではなく「宣教師」を派遣する
2 次に、頃合いを見計らって、宣教師が商人を連れてくる
3 最後に軍事制圧
しかし、3まで行って彼らが直接軍事力を行使するような自らの手を汚すことはせず、宣教師の努力で既に根付いてきた現地の信者(ライスクリスチャン)たちを最大限利用するのだ。キリスト教を盲信する彼らの自分たちの手先として使い、同じ民族同士で殺し合わせて国力を削いでいく。秀吉や家康が行ったキリシタン弾圧は結果的にライスクリスチャンの一掃に繋がり、それが日本の植民地化を防ぐ一助になったことは間違いなく、島原の乱を取り締まった幕府の対応は極めてまっとうな「正当防衛」であったということだ。首肯せざるを得ない。
〈江戸時代の滅亡〉
―イギリス宗教弾圧が日本を救った?―
17世紀、国教徒(アングリカン)を推すイギリス王室は、新教徒(ピューリタン)を大弾圧し始めた。これにより、新教徒たちは、当時まだ発見されて間もない新天地「アメリカ」に向かうこととなる。有名なのが1620年のメイフラワー号事件だ。その後、独立戦争を経てアメリカ合衆国となり、「西漸(せいぜん)運動」を始め、西海岸を目指し、1848年にはそこに到達。鯨油を得るための捕鯨船が太平洋を横断するも、補給基地が必要となり、そして1853年のペリー来航となる、アメリカが西海岸に到達してなんと5年しか経っていない!
実は、帝政ロシアは、アメリカ合衆国成立(1783年)の半世紀も前から日本征服を狙っていたらしい。確かにその後の歴史に見るロシア→ソ連の態度から頷ける。しかし、ロシアがもたもたしているうちにアメリカが高速で西漸してくれたおかげで、ロシアが極東支配を本格化させる30年も前に開国することができてロシアに対抗しうる近代化への時間的余裕ができたという。そう考えると、ロシアでなくアメリカの「たった四杯の上喜撰」は日本にとって僥倖だったと言える。もし、日本の開国がアメリカでなくロシアによって行われたならば、第二次世界大戦末期から終戦期にソ連が日本国民に対して行った蛮行がこのときされていただろう、ロシアの植民地となっていただろうと想像に難くない。
日本にとっての僥倖がもう一つある。この時期にちょうどアメリカで南北戦争(1861~65年)が起こり、日本を相手する余裕がなくなって時間的猶予が与えられたことは世界史で学んだが、更に有り難いことがあったのだ。南北戦争後大量の新型銃火器が在庫となり、これを坂本龍馬が「死の商人」グラバ-から買い付け薩長に流したのだ。その兵器のおかげで兵士の数では劣勢だった新政府軍が旧幕府軍に対等までの戦いをし、最後は新幕府軍の「錦の御旗」が決め手となって旧幕府軍は敗れ、江戸幕府は滅びることになったのである。もしもアメリカで南北戦争が起こっていなかったら、もしも戦後に膨大な最新銃の在庫を抱えていなかったら、明治維新はどうなっていたことだろうと思う。日本と全く関係のないところで勃発した内乱(南北戦争)が巡り巡って倒幕を円滑に進める一助となったのだ!
以上をまとめると
「地球の裏側の小さな島国イギリスで起こった宗教弾圧から始まった負の連鎖は、水面に広がる波紋のように大西洋を乗り越え、北米大陸ではインディアンに甚大な不幸や悲劇(このことについては日本人はアメリカ現地人に謝罪と感謝をしなければならないのだろう)を撒き散らしながら西へ西へと進み、やがて太平洋をも乗り越えて、250年後の日本を揺るがす「大厄」となってふりかかりました。しかし、こうして太平洋側からきた「大厄」も、日本海側を振り返ったとき、「ロシアに亡ぼされることを防ぐ『僥倖』」となったのです。」
いやぁ~目から鱗が落ちるとはこのことだなぁと感じた次第である。

