ご近所「自慢」三話
〈八木節のルーツは木崎?〉
つい最近観たBS-TBS「水戸黄門第1部」再放送の中に、「八木節」の歌い手がメインのお話があった。たまたま観た木崎生まれの妻が「木崎のことを歌っている」と主張。へエ~、まさかと思った。たしかに、黄門様ご一行の旅は終わりに近づいており、「お住まい」水戸のある茨城の隣の隣の群馬を通過中ではあるが・・・。
この歌のメロディーは昔から(四国にいるときから)聞いたことがあるし、そんな全国的な歌がこの木崎に由来するのかなと・・・。木崎地区には「木崎音頭」があり、どうも「木崎音頭」と「八木節」は無縁ではないという。
そこで、ニッポニカ等で調べると、八木節のルーツは、現在の栃木県足利市にあった八木宿と同じ日光例幣使街道(※)にある宿場の木崎宿で歌われてきた木崎節(後の木崎音頭)だとする説があるようだ。
(※)日光例幣使街道・・・江戸時代、朝廷から、毎年日光東照宮に奉献するために勅使が通った道
「太田市ホームページ」には、以下のように「木崎音頭」が紹介されている。
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木崎音頭(きざきおんど)は、戦前は木崎節と言われ、夏の盆踊りに唄われました。手ぬぐいで頬かぶりし、うちわで顔をかくし、「雨が3年日照りが4年」と囃子に合わせて唄われ、一節歌うごとに一廻りして次の文句を歌う流調な節回しでした。木崎地区は日光例幣使道通行の際に大勢の若者が宿泊を余儀なくされ、旅籠屋ができ遊興の地となり、越後から多くの子女が奉公という名目で身売りされ飯盛女として苛酷な生活をしいられました。彼女たちはこのさびしさから、故郷や家族をしのび、宴席で子供の頃覚えた歌を歌ったのが木崎節の始まりと言われています。
当時の歌詞は卑俗でしたが、戦後東京音頭が全国にヒットしたことから音頭と付く歌がはやり、その流れで木崎音頭へと変わり、踊りの振り付けや歌詞も昔からの節廻しを失ってしまいました。
八木宿(栃木県足利市に所在)で生まれた堀込源太は木崎節を風土に合わせた威勢のよい節に替えて、生地の八木をとって八木節としたと伝えられています。源太は「源太一座」を組織し、周辺各地で興業し好評を博したといわれています。木崎節が八木節の元唄であることは、多くの民謡研究家にも認められています。
指定区分 | 市指定重要無形民俗文化財 |
指定年月日 | 平成9年3月31日 合併に伴い、平成17年3月28日に改めて新市の文化財として指定されました |
所在地 | 太田市新田木崎町1215-1(木崎公民館) |
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「水戸黄門」の中の八木節の歌詞に「木崎」が登場していた(現在の八木節にはない)のは、当時の歌詞を綿密に調べたTBSスタッフの尽力の賜物なのだろう。いやぁ~恐れ入りました。
〈歴史的名所が近所にあるーその2〉
ついでながら、ほかにもご近所自慢したい「歴史的名所」がある。
上記「八木節」より時代が遡って鎌倉時代後期のお話。
群馬県太田市の中に(合併前の)旧新田町エリアがあり、旧新田町は、私のいる木崎に加えて生品(いくしな)、綿打(わたうち)の3地区で成り立っていた。で、歴史的名所が生品地区の生品神社(いくしなじんじゃ)なのだ。日本史の特に中世史好きな人はご存じかもしれないが、この神社こそ、1333年、新田義貞が後醍醐天皇より鎌倉幕府倒幕の綸旨(りんし。天子の命令のこと)を受けて、鎌倉に攻め込む前にこの境内で旗揚げした場所なのだ。「新田義貞挙兵の地」とされ、境内には社殿のほか、新田義貞公像、義貞公旗揚げ塚、神木、記念碑等がある。
実は、私は、この神社の近くを車で通過することは何度かあるものの、その境内に入った記憶がないことに忸怩たる思いがある。近々見学に参る所存である。
生品神社で新田義貞が挙兵した話は、毎週末録画して観ることを最大級の楽しみとしているBS-TBS「関口宏の一番新しい中世史」(2022年12月18日付けブログ参照)でもしっかりと紹介されていた。
〈歴史的名所が近所にあるーその3〉
太田市に隣接するのが伊勢崎市。大変近く、私の生活圏内である。ということで、私の家から最も近い世界遺産―田島弥平旧宅である。群馬の世界遺産と言えば、富岡製糸場ばかりが有名だが、登録されたのは、富岡製糸場、田島弥平旧宅、高山社跡、荒船風穴の4つの資産で構成する「富岡製糸場と絹産業遺産群」なのである。さすがに地元唯一の世界遺産なので、世界遺産オタクを自負する私としては、富岡製糸場だけ見学しましたでは済まされないと考え、コロナ禍の期間(だからどこもすいていた)を利用して4資産すべてを見て回った。富岡製糸場は、はるか昔の農水省繭糸課官僚時代の出張とコロナ禍直前の鉄門(東大医学部)旅行で訪れたことがあり、今回で3度目だが、他の3資産は初めてであった。
伊勢崎市は、昨年の田島弥平生誕200年イベントを機に旧蚕種製造民家の特別公開に力を入れ、懸命にアピールしようとしている。富岡製糸場以外の3資産の入場者総数は、「富岡製糸場と絹産業遺産群」4資産総入場者数の1割程度しかないらしい。これら3資産の知名度が上がることを願ってやまない。
〈付論〉
現在の伊勢崎市に国定町という地域がある。知名度だけなら、新田義貞を上回っているかもしれない、江戸時代後期の侠客・国定忠治の生まれた上州国定村である。四国にいた少年時代から「赤城の山も今宵限り・・・・・可愛い子分のてめえ達とも・・・・・」という台詞はテレビで何度も聞いた記憶がある(三橋美智也の「名月赤城山」だったかな)。