真相報道 バンキシャ! (日本テレビ)

2009/ 2/ 1(日) 18:00~18:55

官僚の天下り問題につき、VTR出演。

後に知ったが、日本テレビ視聴率No1を続ける「笑点」直後ということもあってか、なかなかの人気報道番組だ。

そんな人気番組に出演チャンスが来た。1月30日(金)昼に電話があり、翌31日(土)夕方に取材と決まる。東京から何人ものスタッフが私のクリニックまで来てくれた。2006年6月の「太田総理」のときのよう。5時から7時過ぎまで、私の診察室でインタビューを受けた。その間、ほとんどカメラは回っていた。

その約20時間後にオンエアされた。TV局の仕事の苛酷さがよくわかる。あれから東京に帰って(取材後夕食でもとスタッフを誘ったが、帰って編集あるからと断られた)寝ないで編集したことだろう。

元官僚ということで、私のほか、元財務官僚の高橋洋一氏と元文部官僚の寺脇研氏がVTR出演していた(3人で「VTR共演」?)。予想どおり、2時間の取材で実際の河辺啓二登場放映時間は、ほんの1~2分だっただろうか(正確に計っていない)。後日、友人から「3人の中で河辺さんが一番出ていましたよ」と言われたものだ。

出演者 : 福澤朗 / 菊川怜

太田光の私が総理大臣になったら…秘書田中 (日本テレビ)

 2008/11/21(金) 19:00~20:54

マニフェスト:「ムダな省庁を潰して官僚を半分にします」

スペシャル版も含めると、今回8度目の「太田総理」出演(2006年1回、2007年3回、2008年4回)。そして、これが最後の「太田総理」出演となった。

今回も、やはり元官僚ということで出演。今回の非政治家・元官僚は、私といつもの中野雅至氏(元厚生労働省)、そして岸博幸慶応大教授(元経済産業省)の3名であった。私以外のお二人は、この後も、当該番組をはじめいろんなメディアで活躍されている。ほかに、今は政治家でないが、元宮城県知事で慶応大教授の浅野史郎氏も元厚生官僚だ。

今回ほど、私にとって「惨敗」の収録はない。今回は2時間拡大版であり、その中の1コーナーとして扱われた。いつもより長い収録時間・放映時間なので、出演者の国会議員・芸人たちにとって大いに売り込むチャンスだった。
しかし、私は、なぜか「絶不調」だった。中野さんや岸さんがどんどん発言しているのに私は黙りこくってしまった。どうせ挙手しても、今度の議長アナは当ててくれないとでも拗ねていたのか・・・(笑)

八田亜矢子さんが友人の尊大官僚に言及しているとき「東大卒なんて大したことない」「キャリア官僚になるための試験なんて大したことない」とでも発言すりゃよかった。

地方分権の話になったとき、ザ・たっちが出身県の栃木県の宣伝を始めた際、私もどさくさにまぎれて群馬県の宣伝をすべきだった・・・。

ところでザ・たっちのご両人、礼儀正しかった。3月のときのDAIGOのように、「TV素人」の私にきちんと挨拶してくれた。

唯一の収穫といえば、収録前の控え室での雑談(初対面の名刺交換も含めて行われる)時、浅野史郎さんと仲良くなれたことだ。私の経歴にこれほど驚いてくださった方はいない。とても気さくで愉快な方だ。

その浅野さんが、現在難病ATLと闘病されている。罹患されてから、一度だけメール交換したが、心配だ。

.〔収録は11月17日(月)夕方〕

出演者 : 古市幸子/山本一太/平沢勝栄/大村秀章/原口一博/古川元久/渡辺周/高橋千鶴子/ザ・グレート・サスケ/慶/金美齢/ケビンクローン/ふかわりょう/宮崎哲弥/猪口邦子/ザ・たっち/くわばたりえ/近藤春菜/箕輪はるか/八田亜矢子 ほか

太田光の私が総理大臣になったら…秘書田中 (日本テレビ)

2008/10/31(金)  20:00~20:54

マニフェスト:「医学部の定員を3倍にして授業料を免除します」

私としては、医療問題2度目の出演。

実は、毎回、出演の前にアンケートがあって回答をスタッフに送るのだが、今回は最初「医学部の定員を10倍にして授業料を免除します」の案だった。こんな非現実的なこと、と回答したものだが、収録に行くと、事前打ち合わせでは「2倍」、スタジオに行くと「3倍」と変更されてあった。スタッフもずいぶん悩んだだろうなと推測された。

今回、私は非常に惜しいことをした。私自身授業料免除で医学部を卒業していることを話せば画面に多く出たはずだった。収録後、ケビンさんとお茶しているとき、彼に指摘され、気づいたものだ。

上記のアンケートには、「授業料免除で卒業した」と書いておいたのだが、どうもスタッフには無視されたようだ。

というか、前回(3月)のときまでと違って、遠慮がちな性格の私にとって「太田総理」は不利な番組となった。以前は、収録前の打ち合わせのとき、プロデューサーから予め送ったアンケートの回答を踏まえて「河辺さんは○○と発言してください。」と発言の場面を与えてくれたりもした。それが、ほとんど消失した。

更に、手痛いのが、女性レギュラーの変更だ。人気者だった山本モナさんがかの不祥事でいなくなった。何度か出演した私のことを覚えてくれて、「河辺さん、今日のネクタイ、素敵ですね」なんて言ってくれたこともあった。更に、議長役の女性アナがご懐妊して交代した。彼女も、私のことを覚えていたはずで、交代後の議長女性は、あまり私を指してくれなくなった。せっかく私の顔と名前を覚えてくれた主要メンバーが2人もいなくなったことは残念だ。

ところで、今回も西川史子さんがいるのかなと思っていたら、友利新さんという美人女医が来ていた。あの平沢勝栄氏のご子息の奥さんとのこと。

〔収録は10月27日(月)夕方〕

出演者 : 古市幸子/宮崎哲弥/浅尾慶一郎/森ゆうこ/自見庄三郎/西島英利/山本一太/えなりかずき/古川俊治/山下芳生/櫻井充/宮島伸宜/友利新/金美齢/ケビンクローン ほか

朝まで生テレビ! (テレビ朝日)

2008/ 5/31(土) 1:20~ 4:20

テーマ:激論!「官僚国家」ニッポン

私が他局の「太田総理」に出ているのを見て、プロデューサーが出演オファーしてくれたものだ。初主演に対しては直接プロデューサーがご挨拶に来るということで、放映の2週間ほど前に、どわざわざ東京から群馬にお越しいただいた。大変温厚な方であった。

こんな歴史ある「名門番組」にパネリストとして出させていただくとは・・・。なにしろバラエティーしか出たことのない私にとって、初の報道番組、しかも、3時間という長時間のナマ番組である。

本番では、TV出演は慣れていたつもりだったので、緊張していなかったはずだが、いきなり田原さんに振られて、言葉が出ず失態を演じてしまった。
最初のうちは、私も議論に参戦するも、某議員に激しく突っ込まれ、優しい片山虎之助さんに助け舟をだしてもらったものだ。

中盤当たりから、田原さんの好きな政治ばかりの話になり、我々元官僚軍団はほとんど発言の機会が与えられなかった。

惜しむらくは、田原さんから「後期高齢者医療制度」の話が出たときに「医師の私に振られるのでは」と期待して待つも無視だったこと。議論に消極的・遠慮がちな私はいつも後悔する。

司会:田原 総一朗

進行:渡辺 宜嗣 ・ 上山 千穂(テレビ朝日アナウンサー)

片山 さつき(自民党・衆議院議員,元財務省)
細野 豪志(民主党・衆議院議員)
辻元 清美(社民党・衆議院議員)
江田 けんじ(無所属・衆議院議員,元通産省)
猪瀬 直樹(作家,東京都副知事)
太田 述正(元防衛庁、評論家)
片山 虎之助(元自治省、前自民党参議院幹事長)
河辺 啓二(元農水省,医師)
高橋 洋一(元財務省,東洋大学教授)
寺脇 研(元文部省、京都造形芸術大学教授)
中野 雅至(元厚労省,兵庫県立大学大学院准教授)
若林 亜紀(元特殊法人勤務、ジャーナリスト)

太田光の私が総理大臣になったら…秘書田中 (日本テレビ)

2008/ 3/21(金) 20:00~20:54

マニフェスト:「天下りする官僚は全ての退職金をなしにします」

天下り問題は、もううんざりという気運もなきにしもあらずだが・・・。

今回の非国会議員の元官僚は、年末スペシャルで一緒だった、私(農水省)、太田述正氏(防衛省)、中野雅至氏(厚労省)に加え、元文部科学省の山本直治氏の4人であった。

議論の中身はほとんど忘れてしまった。印象に残ったのは、これ以後人気上昇したDAIGOさんの礼儀正しさと、裸のアントキさんが収録後ガムテープで貼り付けていたマイクコードをベリッとスタッフに剥がされていた姿(痛そう~)である。

〔収録は3月10日(月)夕方〕

出演者 : 山本モナ/平沢勝栄/大村秀章/古川元久/木下優樹菜/DAIGO/八田亜矢子/若林亜紀/メッセンジャー黒田/アントキの猪木/ケビンクローン ほか

私が、いやしくも公共の電波に乗ってテレビという画面に顔を出させていただいたのは、以上ですべてだと思います。ビデオテープやDVDで録画し、残してはいるものの(初期の頃は、オンボロテレビに故障がちなビデオデッキしかなく、ましてやDVD録画機もなく、よく友人にお願いして録画してもらったものです。協力してくれた方々に感謝申し上げます。)、観返したことはほとんどない。いつも「ああ言えばよかった」「こう言えばよかった」と後悔と反省に打ちひしがれるからです。
〔将来、私が亡くなった後にでも家族に観てもらって偲んでもらえばいいかな・・・。〕

いずれにせよ、芸能人でもなく、政治家でもない、一介の町医者の私が、全国放送の、しかも、かなり高視聴率の人気番組に十何回も出演させていただいたということは、ある意味「快挙」でした。テレビ業界では視聴率1%で100万人観ているなんていうそうですが(私は数十万人ではないかと思う)、そうだとすると、(私の出た番組は10%強が多いので)1000万人もの人が私の顔と名前を観ていたことになるのですね(←ちょっと感動)。まぁ、すぐに忘れ去られていますが・・・。

以上のように、順調にTV出演を果たしたものもあれば、以下のように、話の途中でキャンセルされたもの、こちらから辞退申し上げたもの、撮影までしたのにボツになったものがあります。参考までに、ここにお示しします。

まぼろしのTV出演

●2010年5月22日(土)午後、日本テレビ・朝の報道番組「スッキリ!!」から電話来る。
24日(月)に天下り問題やるので生出演しないかと。
やはり、代診どうしようかと考えている間に、再度電話来る。
「出演交渉中だった蓮舫さんが出演することになったので、河辺さんは結構です」と。
蓮舫にかないっこないわな。(ほとんど毎朝観ている番組だけに残念。)


●2010年5月6日(木)午後に、3月27日付け朝日新聞「私の視点」の私の投稿「日本脳炎 ワクチン未接種者に配慮を」を読んだNHK記者から連絡あり。
「日本脳炎ワクチンについてNHK夕方の「首都圏ネットワーク」で報道したい。
ついては、木崎クリニックに取材に行きたい」とのこと。

その後、何度か電話とメールでやりとりする。「これから企画書を社内で上げていく」というメールをもらったが最後、以後、音沙汰なし。
企画倒れか・・・。
初のNHK出演、しかも、純粋な医療問題での出演の夢、破れたり・・・。


●2008年9月24日、テレビ朝日「TVタックル」のディレクターから電話が来る。
10月6日オンエアの官僚特集で、元官僚の1人として出てみないかと。
ただ「官僚批判する立場で発言してほしい」と言われたため、(今までの自分の官僚擁護スタンスと違うので)難色を示しているうちに、後日「出演は結構です」との連絡あり。


●2008年6月17日、テレビ朝日「大胆MAP」から電話から来る。
7月13日オンエアの転職コーナーで紹介したいと。後日、担当ディレクターとメールやりとりするも、結局辞退することに。


●2006年1月11日、年末から誘われていた、テレビ朝日のある番組(何かマニフェストのようなものを主張する番組)に出演するためのオーデションに参加した(テレ朝で)。
白衣まで着て参上。
テーマは何でもよいということだったので、持論の「理系優遇論」をぶちまけた。
審査員は丸山和也弁護士と松居一代さんだった。
私の話を聞いた丸山さんは「高校のとき、すごい優秀なやつが理系にいたけど、確かに今あまり恵まれていないねぇ」と頷いてくれた。が、結果は落選だった。
後日のオンエアでは、プレゼンテーターの出演者は有名人がほとんどで、その一人は田嶋陽子さんだった。
もし、受かっていたら、スタジオで田嶋先生に再会できたのになぁと残念がる。


●ずっと溯って、1990年頃の話。当時、東大教養学部理Ⅲ生だったときのこと。
以下、拙著『おじさん医学生奮闘記』(エール出版社)から抜粋。
「実は、理Ⅲの学生のとき、フジテレビだったかテレビ朝日だったか忘れたが、やはり官僚を辞めた人間の特集ということで、取材の話が来た。
まず、自宅に担当者から電話がかかり、私も調子に乗って政治家や官僚の悪口を言っていたら、後日是非取材したいということになり、駒場のキャンパスで待ち合わせることとなった。
当日は、生憎小雨降る天気だったが、テレビ局のスタッフが何人か来ていた。インタビューは、学生食堂の中で行うことにした。
ライトに当たって緊張したせいかもしれないが、私の話に先日電話でまくし立てた勢いがなく、インタビューアーもがっかりしたようだ。
実は、政治家批判はともかく、官僚批判は、まだ現役でいる多数の友人達に悪いと思い、あまり出来ず、更に生来の口下手さが前面に出てしまったのだ。
インタビューの後、「同級生と一緒に歩くところを撮らせてください」と言われ、若い同級生何人かと談笑しながら歩くシーンを撮ってもらって取材は終了した。
結果は、「ボツ」であった。私の代わりに通産省(現経済産業省)を辞めて父親のホテル業を継ぐことになった人のことが報じられていた。
私は、そんなにテレビに出たいとも思っていなかったので、たいして失望もしなかった。
ただ、一緒に撮影した若い同級生の中にはテレビに映りたかった人もいて、その人達にはすまないと思った。」