・・・・・・・・・・・・・・・・・河辺啓二の旅行記(9)
〔「人生の下山期」だからこそ旅行する〕
この夏、13年ぶりにアメリカ合衆国を訪れた。自分自身がだんだん年老いてきており、五木寛之のいう「人生の下山期」に入っていることを自覚するこの4、5年、まとまった休みを利用して大好きなヨーロッパまで出掛けるようになった。もちろん十年以上前から韓国・香港・台湾といった定番の近隣観光地は旅行しているが、(3日、4日で行って来られるこれらの国・地域と違い)欧州となるとどうしても1週間は仕事を休まなければならず、欧州旅行はなかなか実現できなかった。やっと10年前フランスに行ったくらいだ(2009年8月21日付けブログ参照)
〔欧州大好きな理由〕
欧州は魅力で満載だ。高校で学んだ世界史の圧倒的内容を占めるのは欧州の歴史だし、美術・音楽といった芸術、そして文学、すなわち文化の豊富さ。更に街並みの美しさに加えて山や川の素晴らしい自然景観も魅せてくれる。食べ物もイタリア等ラテン系では楽しめる。おカネと時間さえあれば何度でも行きたい。ただ、観光地は、通常坂道など何時間も歩く。高齢になって足腰が弱ったら厳しいから今のうちに行こうねとよく妻と話している。
〔美味しい東アジアの食事〕
アジアも悪くない。4、5日もあれば、かなり観光できる。欧州だと(乗り継ぎもあったりして)往復で2日間かかるが、韓国・香港・台湾当たりなら飛行機での移動時間がはるかに短い。アジアのいいところは、食べ物がまずはずれないことだ。中国(上海、北京)やタイも訪れたが概ね美味しい。欧州だとドイツなどゲルマン系の国や中欧の国で旨い食事にありつけるかどうかやや難しい気がする。
〔やはりフロリダディズニーは広大〕
さて、13年ぶりのUSA。2006年は西海岸カリフォルニアのディズニーだったが、今回は東海岸フロリダのディズニーである。もちろん、(欧州好きの)私が希望したわけでなく、2006年同様ディズニー「オタク」の子供たちの要望に応えたのである。
とにかく広い。13年前のカリフォルニアディズニーのときのことは殆ど忘れたが、こちらのほうが広大だ。東京の山手線の内側分あるという。いくつもパークがあるが、主な4パーク―エプコット、ハリウッド、アニマルキングダム、マジックキングダムを1週間くらいかけて回った。(せっかくなので、途中にディズニー以外のユニバーサルオーランドとケネディ宇宙センターも訪れた)
さすがに、東京ディズニーランド・ディズニーシーを凌駕するものであった。東京、香港、カリフォルニア、パリ、上海に次いで私にとって最後のディズニー、フロリダディズニー(これでディズニー「世界制覇」(笑))であるが、やはりその広大さ、施設・アトラクションの多様さでこれまで訪れたどのディズニーの印象もかすむくらい圧倒される。
〔フロリダディズニーで印象的なもの〕
東京のものと同様のアトラクションももちろんある(マジックキングダム)が、最も強烈に印象的なのは、アニマルキングダムだ。フロリダ全パーク中、このパークが最大面積らしいが、「動物園」どころか、サファリパーク、いやそれ以上だ。アフリカの草原・森林をクルマで移動しているのかと思うくらい、自然の中に放たれた象・キリン・ライオン・サイなどを間近に見る。作り物でない植物と動物の自然さ、量に驚いてしまう。アニマルキングダムは「自然」だけではなく、通常のアトラクションも多数ある。その中で最大人気アトラクションは、あの大ヒット映画の「アバター」だ。あまりに話題だったので、以前、DVDだかブルーレイを買って観た映画だが、確かに映画の中同様、飛んでいるような錯覚を堪能したものだ。日本で「アバター」アトラクションはできないのかなぁ、凄い人気になるのは間違いない。今東京で「ソアリン」が大人気だが、こちらではエプコットの中にある。「ソアリン」を初めて上海で乗ったとき感動したものだ。もちろん、ここエプコットでも乗ったが、「アバター」を経験すると感動が薄らいでいってしまった。
もう一つ、おもしろいなぁと感じたのは、エプコットにあるワールドショーケースという、いろんな国のお店やレストラン、建物が国ごとに分けて設置されている、さながらミニ万博のようなコーナーである。アメリカ、イギリス、フランス、ドイツ、イタリア、中国、日本など、概ね「主要国」とされる国だが、小国とも思えるノルウェー館がある。そこには「フローズン」というアトラクションもあり、これが理由で「主要国」に並んで入っているのだろう。なにせあの大ヒット映画「アナと雪の女王Frozen」だものね。日本館の中には、日本食が食べられるレストンや「三越」のお店があって結構賑わっていた。
〔フロリダディズニーでの「公用語」〕
各パークの入口等には、東京同様、パーク案内地図(ガイドマップ)が言語ごとにどっさりと置かれている。昔パリディズニーでは日本語版はなく、仏英西独伊蘭の6か国語版しか置かれてないため寂しい思いをしたが、こちらでは、英語、スペイン語(中南米向け)、フランス語(お隣カナダの一部)、ポルトガル語(南米ブラジル)、ドイツ語、そして日本語版があり、嬉しくなった。パリにはあったイタリア語とオランダ語はなかった。更に嬉しいことに、エプコットのガイドブックは、どの言語版も表紙に日本館の「宮島厳島神社の鳥居」が写っているのだ。
(ちなみに、ガイドブックにはないイタリアだが、ワールドショーケースにはイタリア館が存在感を示していた。代わりにガイドブックにはあるスペイン語だが、「スペイン館」はなかった)
記事一覧
13年ぶりのUSA
軍艦島に上陸
・・・・・・・・・・・・・河辺啓二の旅行記(8)
「平成→令和」の連休を利用して家族旅行したが、今回最も印象に残ったのは長崎県の世界遺産「軍艦島」(正式名称は端島(はしま))だ。ここが世界遺産に登録されてから興味はあったが、今回やっと実際に観て島の地を踏み歩くことができた。
そもそも長崎県を訪れたのは何年ぶりだろう。愛媛県にいた中学生時代の修学旅行以来かな(ウン十年ぶり)。官僚時代、九州に出張で来たような覚えがあるが、何県を訪れたか記憶が定かではない。農林水産省というところは何しろ地方が行政の重きとなるので、北は北海道から南は沖縄(石垣島)まで日本全国いろんなところに出張させてくれた。その記憶も時の経過とともにあやふやになってしまった。
せっかく長崎県に来たからと、やはり世界遺産のグラバー園や大浦天主堂をも見学したが、運悪く、メインの旧グラバー住宅は工事中だった。
さて、軍艦島。常盤ターミナルというところから乗船、船に乗って、やがて軍艦島の見える箇所で周遊、その後上陸。そこの案内人(コンシェルジュ)が凄かった。「成人式は4回済ませました」という年齢にも関わらず、まさに矍鑠(かくしゃく)、背筋はピシっとし、すたすた歩き、また、マイク持っての解説がとてもおもしろく、上手。ここ軍艦島の炭鉱で働いていた人で今も観光案内している現役が2人いて、この方がそのうちの1人らしい。この素晴らしいガイドのお蔭で昭和30年代にタイムスリップした感があった。元の波止場まで戻るまで約3時間の楽しい「軍艦島ツアー」であった。
以下は公式HP「軍艦島上陸クルーズ」(www.gunkanjima-cruise.jp/about.html)からの抜粋。
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日本の近代文化を支えた端島(軍艦島)
1810年(文化7年)ごろ、端島(通称:軍艦島)で石炭を発見。
それから80年ほど経過した1890年(明治23年)、三菱社が島全体と鉱区の権利を買い取り、本格的に石炭の発掘が開始されました。
端島炭鉱の石炭はとても良質で、隣接する高島炭鉱とともに日本の近代化を支えてきました。
石炭出炭量の増加に比例するように島は急成長を遂げ、1960年(昭和35年)には5,267人が住んでいました。
当時の人口密度はなんと世界一。東京人口密度の9倍以上とも言われるほどでした。
島内には、病院や学校・寺院・神社・派出所や映画館・理髪店などが立ち並び、島の施設だけで何不自由のない完全な都市として機能していた。
しかし島の半分以上は鉱場。
その残りの土地に病院や学校・寺院・神社・派出所や映画館・理髪店などが立ち並んでいたため、建物と建物の間はとても狭く、島全体が家族のように仲良く暮らしていました。
繁栄を極めた軍艦島でしたが、、主要エネルギーであった石炭がその座を石油へと移ることにより衰退の一途をたどります。
1974年1月15日に閉山、この年の4月20日に全ての住民が島から離れ、軍艦島は無人島となりました。
地元観光も悪くないー鬼押出し園、白糸の滝
・・・・・・・・・・・・・河辺啓二の旅行記(7)
最近の私の旅行・観光といえば、主に海外にしている。理由は、行かれた方は経験されていると思うが、海外観光先ではとにかく歩く、それも坂道や階段だ。国内観光でもある程度はそうだろう。しかし、昔訪れた、フランスのモンサンミッシェルの階段の多さには結構参ったし、今年の夏のイタリアのポンペイ遺跡もかなり歩き続けたものだ。これから老いていく一方の私は、まだ足腰が元気なうちはできるだけ海外旅行に行きたい、国内の温泉旅行などは、もっと身体が弱ってからでいいやという方針なのである。
とはいえ、地元・群馬県(都道府県別魅力度ランキング最下位争いで逆に有名かな)の観光地にあまり行ってないので、9月の終わり頃、天気のよい週末に「上信越高原国立公園・鬼押出し園」、「嬬恋郷土資料館、鎌原観音堂」、そして「白糸の滝」を家族で半日かけて観光してきた。
「鬼押出し園」は、1783年(天明3年)の浅間山の大噴火の際の溶岩流で形成されたものだ。実は「鬼押出し園」を訪れたのは初めてではない。今からはるか40年以上前の高校2年生のときに修学旅行で来たことをおぼろげながら覚えている。松山→信州(善光寺など)→「鬼押出し園」→東京(このとき生まれて初めて「東京」を見た) というルートだったと思う。訪れた観光地はほとんど忘れたが、善光寺と「鬼押出し園」はなぜか覚えている。全国的にはあまり知名度は高くない「鬼押出し園」を覚えていたのは、このごつごつした大きな溶岩の大きさ、多さが十代の心に強く印象に残っていたからだろう。
「嬬恋郷土資料館」には、この浅間山大噴火に起因する「土石なだれ」によって埋没した鎌原(かんばら)村から発掘された品々が展示されていた。その中に、この夏にポンペイ遺跡で見たものとそっくりの噴火犠牲者の人型があったので驚いたが、レプリカと知って(当たり前か)納得した。
「鎌原観音堂」は、大噴火で埋まった鎌原村でわずかに生き残った人の多くがこの観音堂の逃れて助かったことから、現在は、厄除け観音として崇められているという。
最後に訪れたのは「白糸の滝」。全国的には、花の都静岡のほうがはるかに有名らしい。しかし、群馬の「白糸の滝」も侮れない。広大な「鬼押出し園」に比べかなり狭いエリアなためだろう、(もう夕刻になる時間帯なのに)観光客が「鬼押出し園」より込んでいる印象だった。私らのような親子の家族連れは少なく、若者集団や若いカップルが圧倒的に多かった。もっと驚いたのは、中国人と思われる外国人観光客グループがバスに乗って大挙訪れていたことだ。へぇ~、外国人観光スポットになっているんだとびっくりしてしまった。まぁ、確かに、ここの滝や川は小さいけど美しい。
バルセロナテロ事件と1日違い
・・・・・・・・・・・・・河辺啓二の旅行記(6)
どうせ1回しか人生、頭と足腰が健在のうちはできる限り海外旅行に行こうと考えるようになったのが、この数年のこと。急死する場合は除き、多くの人は、人生の最後はベッド(寝床)で以前のように自由に動かなくなった身体で過去のことを思い出すらしい。このとき、やはり楽しい記憶が多い方がいいに決まっている。海外旅行というのは、「非日常」を具体化する最たるものだろう。
盆休みを利用して今年も欧州を訪れた。で、最後の訪問地がバルセロナ!あのテロ事件の翌日。その影響で、念願だったサグラダ(サクラダ(桜田)ではない)ファミリアには入れたものの上までのぼることは中止になり、また、事件のあったランブラス通り(予定ではここで1時間ほど自由時間を過ごすはずだった)は車窓から見ることしかできず。残念!でも1日違いでテロ事件に巻き込まれたかもしれないと思うと「強運」だったかも・・・。
「強運」と言えば、昨年8月下旬に「イタリア中部地震」という死者300人に及ぶ大きな地震があったが、ちょうどこの1週間ほど前にこの被害地域当たりを通過している。たしか、フィレンツェからローマに移動するバスだった。もし、あの大地震が1週間前に起こっていたら、私たちは巻き込まれていただろう。予定通り日本に帰れなかったかも・・・。
1発ツモで青の洞窟に入れた
・・・・・・・・・・・・・河辺啓二の旅行記(5)
この夏、イタリアを旅することができた。
官僚時代末期の総務庁(現総務省)勤務だったとき、政府代表団の一員としてILO(国際労働機関)の会議に参加した。スイスのジュネーブに1か月近く滞在し、週末ごとに観光地に出掛けていて、そのうちの1回がイタリア・ローマ観光だった。ちょうど医学部再受験を決意し密かに受験勉強を開始して間もない頃だった。数学や物理の受験本をトランクに入れてジュネーブ入りしたものの、一度も開けることがなかった。なにしろ生まれて初めての海外だったから。ということで、ほぼ30年ぶりのイタリアである。
ミラノから入り、ベネツィア(ベニス)、フィレンツェ、ローマと約1週間かけてパックの観光ツアーだ。途中、フィレンツェでのオプショナルツアーでピサの斜塔を半日観光した。観光客でごった返すピサでは周りに多くの日本語を聞き、いかに日本人にイタリア観光者が多いか、いかに日本人がイタリア好きかを感じたものだ。
ローマでの最終日、やはりオプショナルツアーでカプリ島一日観光に参加した。朝7時に「マイバス」でローマを出発し3時間半かけてナポリに到着。船に乗って小1時間でカプリ島へ。そこの港からモーターボートで青の洞窟(Grotta Azzurra)の手前まで行き、更に手漕ぎ小船に乗り換えて洞窟に中に入って行く。このとき正午頃。洞窟の中は、ガイドブック等で見たとおり、誠に綺麗な青色の海、神秘的な雰囲気に包まれている。洞窟内では何艘もの小舟が廻っており、船頭達が大きな声でなにやらカンツォーネを歌っている。洞窟内の奥行きはたかだか50mだから、あっという間に1周が終わる。私達の乗る船の船頭は、チップを2倍払えばもう1周してくれると言う。もちろん話に乗ったが、この「営業」を船頭君は日本語で行った。イタリア人の営業努力は大したものだ。洞窟内で頑張って撮影したが、人物像は困難。やっとこのような写真を撮ることができた程度である。
無事、青の洞窟観光を終え、同島の港に戻って昼食やショッピングを済まし、ナポリ→ローマと帰ってきたが、出発地に着いたとき、午後7時半はとっくに過ぎていた。12時間強のカプリ島青の洞窟ツアーであった。実は、今回は幸運のスイスイツアーだったようだ。カプリ島の港でモーターボートに乗り換えるにもたいそう待つことがあるらしいし、更に、青の洞窟手前でずいぶん待たされた気がしたが、私達の待ち時間はまだいいほうらしい。そして何より、青の洞窟内に入れたことが僥倖だった。何しろ入り口(の穴)が狭く、私達乗客は頭と身体を船底に沈めないと頭部を岩にぶつけてしまう。天候がよくても、波が高いと進入不可能となるらしい。後日、帰国してイタリアによく行く人の話を聞くと、進入可能性の最も高い8月に5回行って入れたのは2回だけだと。1回めの「トライ」で成功するとはとてもラッキーなのだ。
エアコンなしのドイツのホテル
・・・・・・・・・・・・・河辺啓二の旅行記(4)
やっと、この夏、6年ぶりにヨーロッパ旅行ができた。前回はフランスだったので、今回はイタリア、イギリス当たりと考えていたが、仕事となかなか日程が合うものがなく、結局、ドイツ3泊・スイス1泊・パリ2泊のツアーに行くことにした。あれほどドイツ語を勉強したのに、ドイツに一度も行っていないのもナンなのでということもあった。
〈まいった、こんなに暑いのに冷房がない!〉
移動は観光バスで冷房はあったが、まさか欧州一の経済大国のドイツのホテルに冷房がないとは。これにはまいった。もちろん、どのホテルというわけではないが、ドイツ3泊のうちの2泊目のバートウィンズハイムという町のホテルには冷房が皆無。部屋もレストランもロビーもなし。聞いたところでは民家にもないらしい。おまけに、洗髪後、ドライヤーで乾かすも、あっという間に電源が消える。脱原発したドイツ流の省エネか?
〈ドイツの食といえばビールとソーセージだが・・・〉
そもそもドイツで美味しい食事など期待はしていなかった。本場ミュンヘンのビールといっても日本のビールほどうまいとは感じず。意外だったのは、ソーセージをあまり眼にしなかったことだ。ホテルの朝食ビュッフェで目に付くのは、ハムやベーコンが多種ということ。ソーセージは1種だった。
〈ヨーロッパの公衆トイレは覚悟と用意が必要〉
車窓から見えるドイツの畑はきれいに整えられている。日本の田園風景より美しいのかもしれない。だが、人間の排泄に関しては、日本のほうがはるかに快適、衛生的だろう。サービスエリアのトイレは有料。最近日本の高速道路のサービスエリアのトイレはすごくきれいになっているが。驚いたのは、人気観光スポット、ロマンチック街道ローテンブルクのマルクト広場の公衆トイレだ。ウン悪く(ホテルでなかった)便意をもよおし、やむを得ず公衆トイレに駆け込んだ。驚いたことに便座がない。もちろん蓋もなく、汚れたむき出しの西洋式便器があるのみ。人が入ると自動で蓋が開いたり、ウォシュレットはもちろん便座シート紙や殺菌噴霧器が設置してあったりする、日本のトイレとは雲泥の差だ。しかも便器の横には糞便がたっぷり付着した紙がいくつも入った円柱状のゴミ箱があった(?)。後で聞いたところによると、欧州人は、便器に尻を触れないよう中腰になって排便をするとか。本当だろうか。確かにそれならば、便座がなくても、便器が汚れていても不都合に感じない。でも腰痛持ちや高齢者には酷だろう。用心深い私は、トイレに流せる赤ちゃん用ウェットペーパーを相当量携帯していたのでこの「難」を逃れた。便器清掃や排便後の尻拭きに何枚も重ねて使ったものだ。外国に旅行される方々に忠告!このようなウェットティッシュを多く携帯しましょう。日本ほど綺麗で衛生的なトイレはどこの国(先進国でも)に行ってもないと肝に銘じておきましょう!
〈運がよければ感動的なユングフラウ〉
今回の旅行で最もよかったのは、スイスの山だ。私たちは本当に幸運だった。アルプス山脈の美しい山々(ユングフラウ、アイガー、メンヒ)の景色を間近に見られただけでなく、真夏なのに寒い標高3454mのユングフラウヨッホで積雪に触れ、絶景のアレッチ氷河も楽しめた。もし天候が悪かったら落胆したことだろう。また、いつかこの地に来て(登って)みたいものだと感じた。
〈ルーブル美術館では子供のスリ集団が暗躍?〉
3か国で最も物騒なフランス。ガイドさんから何度も何度も注意され、スリ対策を教えられた。パリ観光の必須科目のルーブル美術館。6年前と同様、「モナリザ」は大変な人混みだった。そこで見たのがスリらしいチビッコ集団だ。私たちに被害はなかったが、彼らはどう見ても不審な動きをしていた。「モナリザ」に一瞥もせず、ひたすら見物客の間を行ったり来たりキョロキョロしている。スリをしなければならないほど貧しいのに、なぜ美術館に?と思っていたら、子供は入場料タダとのこと。合点が行った。カネがかかる親達が子供を使って「稼いで」いるのだろう。
〈目の当たりに見た中国人観光客の爆買い〉
「ギャラリーラファイエット」というフランスで最大だかヨーロッパで最大だか、とにかく大きなデパートでショッピング。ここで「目撃」したことで印象に残ることが2つあった。
ある売り場で大声で言い合っている白人男性と黒人男性がいた。あれ~喧嘩してるのかなと注視してみると、白人のほうが万引き犯で、黒人のほうが私服警備員だった(どこのデパートでも、腕っ節のよさそうな黒人の警備員が多い印象)。その白人中年男は警備員に連行されてトボトボと去って行った。情けないヤツはどこでもいるものだ・・・。
最近の流行語でもある、中国人観光客の「爆買い」を目の当たりにした。人気の旅行トランクを見てみようと売り場に行って見た。売り場にはぎっしりと沢山のトランクが陳列してあった。妻とどれにしようか迷った挙げ句、もう少し他の売り場を見てからもう一度戻ろうとした。ところがである。戻ってきたのは小一時間くらい後だろうか、中国人観光客集団がまさに「爆買い」し終えようとしたところで、あんなにあったトランクがほとんどゼロになっていた。恐るべし、中国人観光客の購買意欲!
〈パリ市内のAランクのホテルのトイレは流れず・・・〉
また、トイレの話。観光最後のパリは、2泊とも市内中心地にあるAランクの某ホテル。ちょっとは期待したが、日本の一流ホテルには及ばない気がする。困ったことに、娘達の泊まったほうの部屋のトイレが流れない。フロントに連絡して修理依頼し、私たちの外出中に担当者が来たようだが、依然流れない。何度も連絡するも、「なおった」「なおった」と言うが、なおってない(←英語で十分通用する)。娘達は私らの部屋のトイレを利用せざるを得ない。何がAランクだ、と思ってしまう。
〈結語:日本のフロ・トイレがイチバン!――やはり日本がイチバン!〉
日本が韓国を見習うべきこと
・・・・・・・・・・・・・河辺啓二の旅行記(3)
今年のGWも、韓国ソウルを訪れた。
4月初めの頃は北朝鮮の動向が緊迫していて、キャンセルもあり得るかなとも思っていたが、GWが近づくと緊張感は弛緩してしまった。もともとソウル市民は、はなから北朝鮮の常套手段・恫喝外交は熟知していて、今回でも「北は、また言ってるわい」くらいの感情しか抱いていないようだった。
更に、竹島問題・慰安婦問題・仏像返還問題等、韓国政府と日本政府との軋轢など、意に介しているようには思われなかった。もちろん、中国人観光客が増えたとはいえ、いまだ日本人観光客は多く、「大口のお客様」というのもあるだろうが、ソウル市街の現地人から日本人だからという不快な扱いは全くなかった。
ソウルでは、焼き肉・マッコリ・サムゲタン・鱈スープ・市場屋台のビビンバ・ホットックなど、いつものKorean Foodを楽しんだ。
ソウルには、楽しいノンバーバルショーがある。初めて見たのは、「NANTA」という料理ショーで、その後も、「JUMP」「B-BOY」「HERO(ペイントショー)」(最後のは、今年、日本テレビの朝の「スッキリ」でナマ実演していた)など韓国語が全くわからない人間でも楽しめるショーが次々と開演されている。当然お客は日本人観光客が多い。
今回見た「Wedding」というのは、主に音楽ショーで、歌・踊り・演技・楽器演奏そして手品まで見せてくれた。10人足らずの出演者で20何個もの多くの楽器を演奏するのが見所(聞き所)だ。有名どころの洋楽ポップスのほか、日本の「翼をください」までも日本語で披露してくれた。数少ない台詞の中に日本語も登場した場面もあった。
ショーの後、考えるに、韓国人は、外国人のお客を獲得するためにすごく努力している。南大門市場の露天商のオジサンも、キムチ屋・焼き肉屋のオバサンも日本語がペラペラだ。何も日韓併合時代を生きた人ではないだろう(そんな年齢でない)。日本に、外国人が楽しめるエンターテインメントって東京ディズニー以外、何かあったっけ?駅の表示などハングルが多くなったとはいえ、いったい通行人の何割がハングル語ができるのか。外国人も楽しめるノンバーバルショーなんて東京にあったっけ?
日本企業は、国内12800万人もの市場に満足して海外戦略を怠り、その4割弱の4800万人しか人口(市場)のない韓国企業は、サムスンをはじめ、海外に市場を求め、努力し、そして成功を収めた。同じようにエンターテインメント業界でも、日本語を学び、日本の歌を覚え、日本人のお客を獲得している。韓国人の海外戦略への努力を「Wedding」に見た気がする。
韓国は「美味しい」
・・・・・・・・・・・・・・・河辺啓二の旅行記(2)
夏休みに、韓国のソウルに家族旅行をした。
韓国観光の魅力は「近い、安い、美味(うま)い」に尽きる。北海道や九州・沖縄等の国内旅行より安上がりで異国へ行ける。フライト所要時間もわずか2時間くらいで、欧米に行くのに比べ、ほとんど「あっという間」だ。
何と言っても、食べ物が、日本人、特に私には合っている。私は、「食」への執着が淡泊なほうなので、例えば海外赴任で食事がまずい国で住むことを強制されても大丈夫だろう。(医学生時代、アメリカに医学研修で夏休みに数週間滞在したときも、決して美味くはないアメリカの食事に順応していた。)しかし、「食」に拘る人は、合わない食事の毎日は苦痛だろう。現に、知り合いの中に、ハワイ旅行中全く食事が受け付けられなかった少年や、ロシア留学中合わない食事に耐えきれず予定より早く帰国した学生もいた。
今回も、必須コースの焼き肉カルビ、プルコギ、サムゲタン(参鶏湯)のほか、韓国風お粥、鱈スープ、そして市場の屋台ビビンバを食した。この屋台ビビンバは、現レートでわずか400円くらいだが、1万円のフランス料理より美味い(と私の舌は感じる)。デザートとしてはやはり市場のホットックだ。蜂蜜入りの揚げパンでたったの約60円だが、甘くて美味しい。さらにアルコールは、何と言ってもマッコリだ。今でこそ日本でもマッコリがメジャーになりつつあるが、6年前から私はマッコリのファンである。ただ、ビールは日本製に軍配が上がる。いくつかの韓国メーカーのビールを試したが、どれも、日本製ビールの味にはかなわなかった。
ソウル観光のよい点は、ホテルの受付や免税店店員のみならず、その辺の焼き肉屋のオバチャンも市場の露天商のオニイサンも、みな日本語が達者なので、言葉に苦労しないことだ。日本人観光客が主な収益源であるため、日本語をよく勉強している。ただ、最近は経済発展著しい中国からの観光客増加に伴い、相対的に日本語学習者より中国語学習者のほうが優勢となっているらしい。
日韓の仲は、今「竹島」問題で冷えていると思いきや、日本は、円高もあり「第二次韓流ブーム」となっている(第一次は「冬ソナ」のとき)。日本人も韓国人も、一般市民は、「竹島」問題は自分らに関係のない政治の話、と割り切っているというのが実情のようだ。まさに「政冷経熱」(政治関係が冷え込んでも、民間レベルの経済関係は活況を呈する)ということか。
ちなみに、私は、毎週日曜夜にNHKで放映されている「イ・サン」をかかさず観ている。こんなにも韓国ドラマにはまるのは、あの「チャングム」以来だ。現代版韓流ドラマには興味がないが、時代もののそれは好きだなぁ。とても面白いと思う。
(一方、日本では最後の時代劇「水戸黄門」が終わってしまう。寂しい限りだ。)
昔の韓流コスチュームを着た私の写真は上掲のとおり。
「花の都パリ」は「信号無視」の「喫煙天国」だった!
・・・・・・・・・・・・河辺啓二の旅行記(1)
この夏、21年ぶりにフランス・パリを訪れた。
初めて同地を訪れた前回は、若き官僚時代、スイス・ジュネーブにILOの国際会議に日本国政府団の一員として数週間滞在した際の週末観光であった(このときはTGVで行った)。
前回と今回との違いは、まず、前回は政府のお金、つまり税金が原資だった(ジュネーブまでの渡航費及びそこでの滞在費が国費であって、パリ観光については自費である)が、今回はすべて身銭だということ、次に、前回は独身で一人で1泊2日の観光だったが、今回は妻子とともに6人で観光2.5日、ディズニーランド2.0日にわたり、ほぼ5泊6日滞在したこと、そして、前回はフランス語の知識ゼロだったのが、今回はある程度(仏検3級~準2級レベル)知識があったことが挙げられる。
〈花の都は、実は煙害の都〉
さて、20年来の憧れの都市・パリであるが、予想外にdirtyな都市であった。パリの中心街の道路を歩くと、ここかしこにタバコの吸い殻が落ちている。歩きタバコのパリっ子が闊歩している。特に女性のsmokerが目立つ。幼い子供を連れ歩くも、右手に子供の手、左手にタバコなんて様はざらにあった。お父さん、お母さん、そんな小さいお子さんに受動喫煙直撃させてどうするの・・・。
〔普段、ほとんど戸外に出ず、smokeゼロの環境の中で仕事・生活している私は、タバコの煙に極めてsensitiveになっていることは否めない〕
とにかく、一視野当たりに必ず一人はタバコ吸っている印象だ。パリの中心街だけではない。ベルサイユ宮殿だろうが、今人気のモンサンミッシェルだろうが、建物内はさすがに禁じられていたが、外ではタバコの臭いがどこからかやって来るのだ。就中ひどいなぁと感じたのは、幼い子供が多く訪れている「夢の国」パリ・ディズニーランドだ。キャストが掃除するためか、路上に吸い殻はあまり見かけなかったが、(アトラクション内は禁煙だが)アトラクション外では、どんなに人込みでごった返しても誰かは煙を発していた。日本の東京ディズニーランドを見習え!と言いたい。タバコ嫌いな息子は「空気が汚い」と憤っていた。
フランス人にも、他国からの観光客(フランスは世界一の観光大国で人口6千500万に対し、国外からの旅行者は年間7千万人を超えるという)にも、私のような嫌煙者がいるはずなのだが、他人から煙を吸わされても、誰もイヤな顔をしない。もちろん、注意する人間なんているはずもない。我慢しているのかしら。
こんな喫煙大国なのに、フランス人の女性の平均寿命が、日本、香港に次いで世界第3位(84.1歳。2008年WHO統計)だとは信じられない・・・。
〈ポイ捨てする道徳心のないフランス人の名案〉
吸い殻のポイ捨てだけではない。ディズニーランドの緑地帯に空のペットボトルが何個も捨てられているのを目撃した。東京ディズニーランドの中ではほとんど見られない光景だ。キャストも手が回らないのかなぁ。
そういえばパリの街の中ではタバコの吸い殻ほどペットボトルが落ちていなかった。それには理由がある。通りに沿っていくつものゴミ袋が設置されているのだ。「ゴミ袋が設置」って?そう、ゴミ箱ではない。透明なごみ袋がリング状の金属に広げてぶら下げられているのだ。これだとあのオウム事件のように怪しいモノを中に入れるわけにいかない。これは妙案だと思う。日本の地下鉄も参考にしたらどうだろうか。
〈「赤信号一人で渡っても怖くない」〉
吸い殻ポイ捨てに罪悪感を全く持たない道徳観は、交通ルールを守らない感覚にも連結する。とにかくフランス人は、信号を守らない。信号が赤だからと待っているのは、我々一行くらいだった。赤信号でもみんな平気で横断歩道を渡る。「赤信号みんなで渡れば怖くない」どころか、たった一人でも怖くないようだ。信号無視は歩行者だけではない。私が青信号だとのんびり渡っていたら、車が突っ込んで来たので、あわてて渡り終えたことがあった。ひどいものだ。信号そのものも不親切。青信号の時間が短い上、時間が迫ると(日本のように)光が点滅することもなく、警戒音が出るわけでなく、ぱっと赤信号に変わる。脚の弱い高齢者だとどうなるのだろう・・・(ただ、訪れたパリ中心街、観光地、ディズニーランドにあまり高齢者は見かけなかった)。
〈税金の無駄遣いは日本と同じか〉
まぁ、このように「信号無視」したくなる気持ちがわからないではない。とにかく信号機が多い。日本では通常ないような、ちょっとした小径同士でも設置されている。誰も見やしない信号機に税金を投じて大量に設置する仏政府のオツムはどうなってのだろうか・・・。
パリ中心街の建物は中世風の建物ばかりで、「ぱっと見」は20世紀、21世紀とは思えないほどだ。近代的ビルが立ち並ぶ「新興」都市の東京やソウル、香港などと街の景観が全く違う。自国の文化・歴史に限りなく自信を持つフランス人の誇りの現われであろうか。(街の中に、いくつも、ナポレオン、ジャンヌダルクなど歴史上の人物の銅像が置かれてあるのも、東京等東洋の大都市と大いに異なる。)古い、又は古風に見せた建物をメンテナンスしているのだろう。建物をあんなにきれいに維持しているのに、なぜ、街路はタバコの吸い殻を放置して汚くしているのかしら、と妻は不思議がった。
〈世界に名だたるフランス料理って・・・〉
フランスといえば、フランス料理。高級レストランに行くほどの富裕層ではないので、中程度のレストラン(決して安くはない)で食事したが、イマイチの感は拭いきれない。特にビーフがお粗末。ナイフで切れにくい。味も大したものではない。食料自給率100パーセント以上を誇る「農業大国」フランスのこと、自国産の牛肉だろうが、和牛はおろか、オージービーフに劣る味だった。魚料理なら、なんとかいただける味だった。もちろん、ライスは、例のパサパサのインディカ米で食べられるものでない。帰りの機内で食べたコシヒカリのなんと美味しいことか!
〈日本ファンは増えても、日本経済の陰は薄く・・・〉
21年前にヨーロッパに来た際は、あちこちに「TOYOTA」や「HONDA」の車が走っていたし、日本人観光客も多く、日本語の表示をよく見かけた。当時の日本経済力の大きさを感じ、やや誇らしげな気持ちになったものだ。ところが、今回は、日本車はめったに見かけないし、日本語表示も少ない気がした。観光ガイドさんの話では、昨今の世界不況の中でも日本経済不調の表れか、日本からの観光客は減少しているとのこと。
〔ちなみに、ディズニーランドの入り口でもらえるガイドマップに(USAと香港にはあった)日本語版はなく、仏英西独伊蘭の6か国語版しか置かれてなかったことが、同ランドへの日本人入場者の少なさを物語っていた。〕
ただ、唯一「お、ニッポンもやるな」と感じたことがある。ルーブル美術館の中でのことだ。一番人気のモナリザ(これは込んでいた。近くに寄るのが大変)及び二番人気のミロのビーナスの展示所に「改修工事が日本テレビの援助により行われました」という掲示があり、我が国ニッポンも、かつて「エコノミックアニマル」と揶揄された時代を乗り越え、文化にカネをかけるようになったものだ(何らかの思惑はあるだろうが)と、嬉しい気分になった。
日本アニメやJUDO、更には日本食(ラーメン屋にもお客がいっぱい)のファンが多いフランスでは、日本に興味のある人は多いようで、ディズニーランドのレストランのウェイトレスさんが盛んにカタコト日本語を話すなど、微笑ましい場面によく出くわしたものだ。
更におもしろかったのは、漢字の刺青をしている若者が結構いたことだ。「愛」とか「吉米」とか、意味もなく彫っている。USAでもいたが、欧米人にとって、漢字は形そのものがARTらしい。そういえば、以前USAで「魚」と書いている人がいたなぁ。漢字の字体から見て、本場中国の簡易体でもないし、香港・台湾の旧字体でもなく、日本の漢字体のようだ。
このように、文化的には、以前より日本は欧州に「侵略」してきているようだが、経済においては劣勢のようだ。帰りのシャルルドゴール空港内で見かけた夥しいほどのTVの液晶画面は、すべて韓国のサムスン製であった。残念ながらPanasonicもSONYも1個も設置されてなかったのだ。
〈蛇足①:フランスはUSAより人種のるつぼ〉
アメリカ合衆国、特にニューヨークなど、よく「人種のるつぼ」と言われていたものだが、USA西部しか行ったことのない私から見れば、カリフォルニアなんかより、よっぽどパリのほうが「人種のるつぼ」のような気がする。旧植民地の北アフリカから来て働く黒人の数がとても多い(例えば、エッフェル塔の周りには、非合法に観光客に土産品を売りつけようとする黒人達が無数にいた)。フランスにおけるイスラム教徒の数は膨大らしく、パリ市街地には、いかにもそれらしい中近東人が歩いていたものだ。私らのような東洋人は少数派だった。
〈蛇足②:フランス人は英語をわざと話さない?〉
21年前、パリの地下鉄の切符売り場でお釣りがひどく少ないことに文句をつけるも、英語が全く通じず、頭に血が上ったことがある。今回は、ある程度フランス語の勉強もして訪れたが、実際はどこでも英語が通じた。「フランス人は英語をわざと話さない」というのはウソだとガイドさんが流暢な日本語で話していた。ただ、英語教育は日本ほど盛んでないらしい。学校でも英語が必修でなく、ドイツ語など学習する生徒も多いとか。要するにビジネスのためにしっかり英語を勉強した人たちが増えたということだろうか。
〈結語:やはり日本がイチバン!〉
やはり日本が一番。
以前に比べ公衆での喫煙者が減っているし、吸い殻をポイ捨てする馬鹿者もフランスに比べ、ずっと少ない気がする。
食べ物も日本のものが一番うまい。国産和牛より美味しい牛肉ってあるのだろうか。炊きたてのコシヒカリよりうまいお米ってあるのだろうか。
(更に言うと、日本には、あの煩わしい「チップ」の習慣がないのがよい)
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