現在まで新聞や雑誌等、テレビ以外に登場した「河辺啓二」をすべて掲載しておこうと思います。とはいえ、散逸したものも多く、見つかったものから順次、以下に示して行きたいと存じます。
医師の仕事「男性有利」は幻想
朝日新聞
2018/8/29 掲載記事
 かつての「投稿マニア」も鳴りをひそめてウン年も経ってしまいました。

たまに投稿したこともありましたが、ボツ続き。以前のようにおもしろいほど採用されることはなく・・・。

まぁ、以前ほど社会的関心事が減った・・・、いや、いろいろ社会的問題は続発しているが、私自身の社会への関心が減ったのでしょうか。

つまり、多くの世の問題に一家言を持つ人間から「世捨て人」に変化しているような気もしますね。


「声」の掲載は、なんと4年ぶりとなってしまいました。

私以外にも医師も含め3人の方の意見も同時掲載されていました。
そちらは、8月30日付けのブログに載せていますので読まれるといいと思います。




手足口病 流行の兆し
上毛新聞
2017/7/6 掲載記事

 掲載前日の5日(水)に、私の住む群馬県の地元紙・上毛新聞の記者からクリニックに電話があり、ちょうど患者さんがあまりというかほとんどいなかったこともあって、アポなしの「電話取材」を受けました。

  手足口病が太田地域に多く発生しているという。

  小児専門でないせいか、今年特に多いという実感がないことを伝えました(なぜ小児科医でない私が取材対象として選ばれたか不明)。

  特効薬など治療法はないこと、原因ウイルスは複数あるため、一度かかってもまたかかることがあること、最近診る患児は、手足口だけでなく、他の部位に発疹が出る亜型のものが多いこと、発症した場合、口腔内の痛みで摂食が困難となることが最も困ることなどお話ししましたが、紙面の都合でしょう、結局掲載されたのはありきたりな予防策くらいなものでした。





愛媛新聞に久々登場
愛媛新聞
2017/6/27 掲載記事

私の生まれ故郷の愛媛県の地元紙・愛媛新聞「地軸」に、私のことが掲載されました。
このことで取材があったわけではありません。

だから、愛媛にいる私のきょうだいに教えてもらって掲載後2日経って初めて知ったわけであります。


  6月18日の「そこまで言って委員会」の放送を見た愛媛新聞の記者が、6年前の同新聞「道標」で私が執筆していたことを覚えてくれていたに違いありません。

というより、当時「道標」担当していた記者が現在この一面コラム「地軸」(朝日新聞でいえば「天声人語」、読売新聞でいえば「編集手帳」)の担当者ではないでしょうか。





「語彙・読解力検定」合格体験記
朝日新聞夕刊
2015/8/22 掲載記事

今まで多くの試験(有名・無名問わず)に合格しましたが、実は、一度も合格体験記を依頼されたことがありません 。

というわけで、今回、初めてのご依頼で、喜んで快諾した次第です。

とはいえ、この試験に向けて特別頑張って勉強したわけでもないので、やや忸怩たるものがあるのは否めないのです。

まぁ、安倍総理と並んで顔写真が掲載されるとはおもしろいですね。


「一発勝負」も時には必要
朝日新聞
2014/3/23 掲載記事

ソチ・オリンピックも終わり、大学入試シーズンも終わるこの時期に思いついたことを投稿したところ、久々に採用されました。

「声」の掲載は、一昨年5月以来、ほとんど2年ぶりです。

昨年は、1月の読売新聞「気流」掲載のみで、見事に「スミ1」でした。

1年間の全国紙掲載回数が、2010年から6回→7回→5回→1回と激減した理由は、3月24日付けのブログに述べたとおりです。





ノロ検査 全て医療保険で
読売新聞
2013/1/10 掲載記事

2013年新聞投稿第1弾は、読売新聞「気流」です。

ノロが大流行した12月に投稿したのですが、採用・掲載されたのは、(ノロ流行の)ピークが過ぎた1月10日でした。

しかし、今後いつ大流行するかもしれない感染症だけに、インフルエンザ並みに保険で迅速に検査できるようになってもらいたいものです。




「私の視点」3度目の掲載:子宮頸がんワクチン問題
朝日新聞
2012/8/21 掲載記事

朝日新聞「私の視点」に3年連続3度目の掲載となりました。

今回は、子宮頸がんワクチン充実強化策の一つとして、(産婦人科医でもない)私なりの提案をさせていただいた次第です。




原発立地地域に産業振興を
朝日新聞
2012/5/25 掲載記事

朝日新聞「声」には今年3度目の掲載です。

朝日新聞は「脱原発」の姿勢が明確なので支持できます。

原発立地地域の住民の方々が進んで脱原発できるような環境を政治がつくってほしいものです。





予防接種 医師との計画必要
読売新聞
2012/3/28 掲載記事

「同じ月に朝日新聞と読売新聞に投稿が掲載されたのは、昨年2月以来です。

今のところ3か月で(朝日・読売合わせて)3回掲載とハイペースになっています。

「投稿マニア」面目躍如?




医薬品産業が日本経済を救う
朝日新聞
2012/3/9掲載記事


中16日、2か月連続で朝日新聞「声」掲載となりました。

わずか550字程度の短文とはいえ、私の考えや意見が有力全国紙に載せていただくのは、やはり嬉しいものです。

製薬会社の皆さんにも喜んでいただきました。





少子化対策、出産環境改善を
朝日新聞
2012/2/19掲載記事


今年初の投稿掲載です。

私が特に強調したいのは、「少子高齢化社会に対応する仕組みを構築することより、少子化社会にならないように政府・国民が一丸となって検討・協力していくことのほうが適当ではないか。」というところですね。




TPP「経済優先」見直そう
朝日新聞
2011/11/16掲載記事

5月以来、半年ぶりの朝日新聞掲載です。
脱原発に対する反対論(要するに原発推進論)も、TPP推進論も、「経済最優先」とするポジションから来ていると思われてしかたありません。
NHKドラマの「ゲゲゲの女房」や「おひさま」が高視聴率を得たり、少し前には「三丁目の夕日」という映画がヒットしたりしました。パソコンもケータイもない昭和の時代(放射能汚染も気にしなくてよかったし)も悪くはないと思う日本人は私だけでないでしょう。




松山での講演会の報道
愛媛新聞 2011/10/10掲載記事
南海放送 2011/10/10報道
愛媛新聞 2011/10/10掲載記事



南海放送 2011/10/10報道



節電で女性の「冷房病」が激減

読売新聞
2011/8/6掲載記事

3か月ぶりに全国紙に掲載されました。「節電の正の効果」を紹介したわけです。

言いたいのは、快適への過度の追求は、健康にとってマイナスとなり得るということです。

原文 では「節電し過ぎて熱中症にならないように注意すること」といった内容を 入れていたのですが字数の関係で削除されました。

 




原子力安全行政組織は福島へ

朝日新聞
2011/5/11掲載記事

GW連休中に思いついたことです。


我ながら妙案だと思って「自信作」として、朝日新聞「声」に投稿したところ、

採用となり、5月11日、同コーナーに掲載されました。

エアコン依存改め暑さ寒さ慣れよう

読売新聞
2011/4/20掲載記事


東日本大震災後、初めて全国紙に掲載された私の意見です。自分自身の節電マインドを高める目的もあって、読売新聞の「気流」に投稿したところ、4月20日、同コーナーに 掲載となりました。




ワタクシが官僚を辞めた理由(ワケ)

ニューモデルマガジンX 5月号
ムックハウス:2011/3/26発売 掲載記事


久しぶりに元官僚としてメディアから取材を受けました。

「ニューモデルマガジンX」は自動車月刊誌なのですが、自動車に無関係な記事も少しは載せるらしいのです。
同誌担当者から初めて連絡があったのが、3月8日(火)。
12日(土)午後の診療終了後頃に私のクリニックに取材に来られる予定でした。

ところが、前日のあの大地震で電車 が動かず、担当の方が来られなくなり、取材中止かなとも思いました。

しかし、ちょうど、翌13日(日)に私が東京で「似顔絵検定」を受験する予定があり、電車も(遅れなが らも)通り、検定も仙台会場以外は予定どおり行われることがわかったので、上京しますと伝えたところ、検定終了後、出版社で取材させてくださいということとなり、無事取材 が行われたものであります。

  私の「似顔絵検定」のことは記事の欄外「はみ出し情報」に書かれています。ちなみに、同検定は準2級でしたが、合格できました。次は2級ですね 。




理解できない反捕鯨派の食文化

読売新聞
2011/2/23掲載記事


以前から「シー・シェパード」の活動に腹立たしい思いがあったので、今回の農林水産省の調査捕鯨中止決定を知って、このことを大きく報道した読売新聞の「気流」に投稿したところ、2月23日、同コーナーに掲載となりました。




ドロボー公務員

 


テレビ出演(官僚批判・擁護で喧嘩させていただいていた)を機会に知り合いとなった、ジャーナリスト・若林亜紀さんの著書「ドロボー公務員」(ベスト新書・KKベストセ ラーズ。2011年2月20日発行)に河辺啓二がちょこっと登場しております。






ハッピーマンデー議論を

朝日新聞
2011/2/3掲載記事


朝日新聞「声」の1月28日付け「ハッピーマンデー制度見直そう」に賛同する投稿をしたところ、2月3日、同コーナーに掲載となりました。




相次ぐ合剤降圧剤は過剰服薬になりやすい

日刊ゲンダイ
2011/2/2掲載記事


朝日新聞「私の視点」の私の投稿を読んだ日刊ゲンダイの記者さんに取材を受けました。同紙が毎週水曜に掲載している「あなたの選択は間違っている―後悔しない治療」のコーナーに載ることとなりました。



「私の視点」2度目の掲載:合剤新薬問題

朝日新聞
2011/1/22掲載記事


昨年3月27日付け(日本脳炎ワクチン問題)に続いて、朝日新聞「私の視点」に2度目の掲載となりました。今回は、後発医薬品対策で「流行」している降圧剤等の合剤新薬問題に一石を投じました。





投稿3連発again

朝日新聞・読売新聞 投稿
2010/9,10,11
  掲載記事


9
8日付け朝日新聞「声」に『「TV大事」議員 国民も反省必要』、1013日付け読売新聞「気流」に『中国の圧力屈せず平和賞授与に感嘆』、1119日付け朝日新聞「声」に『農業は経済だけでは測れない』が掲載されました。




投稿3連発
朝日新聞・読売新聞 投稿
2010/2,3  掲載記事

2月20日付け朝日新聞「声」の『技術立国へ「理工系冷遇」正せ』、3月9日付け読売新聞「気流」の『効果あるワクチン公費助成を進めて』に続き、3月27日付け朝日新聞「私の視点」に私のopinion『日本脳炎 ワクチン未接種者に配慮を』が掲載されました。


東大か医学部か
週刊朝日
2005/10/25 掲載記事

東大と医学部の両方を経験した先輩たちはどう思っているのだろう。
「東大に入れば安泰というのなら私のように転身する人間はいない」

と言うのは、群馬県太田市の木崎クリニック院長、河辺啓二医師(50)だ。河辺さんは、東大工学部卒業後80年に農水省に入省し、総務庁(現総務省)勤務を経て、33歳で東大理V(医学部)に再入学、医師になった。キャリア官僚を10年間、医師を10年間という経験から「やはり学歴より資格」と言い切る。

「10代で医学部を目指すというのは、ある意味すごく大人。私はそうなれなくて理Tに行った。東大を出たからと言って、充実した人生を送っている人ばかりではない。大企業に行っても、いまや東大というだけではトップは難しい。役人になっても課長補佐で年収300万円(当時)。結局、政治家や財務省の顔色を見ながらの仕事だし、国のためというより天下り先の確保といった『組織の維持』が重要でむなしかった」

2年ほど前、20年ぶりに理Tの同窓会があった。
「みんな大手メーカーのエンジニアや、大学教授になってましたが、結局、ほとんどが普通のサラリーマン。とても優秀だったヤツもいまは地方の現場所長くらいで、『理系はこんなもんかなあ』というのが正直な印象でした。将来の保障という意味では医師のほうがあるでしょうね。不況とはいえ、働き口もあり、相対的にはまだまだ恵まれている。小金もちには、なれますよ」

「官僚と医師はなぜ同じ過ちを犯すのか」書評
日経ビジネス
2005/01/31 掲載記事

本を出すようになって書評的なものを書いてもらうことがあります。別添ファイルは、2005年1月31日号の『日経ビジネス』(日経BP社)の書評に慶應義塾大学の有名教授が書いてくださったものです。まったく予期せず、たまたま読んだ兄からの報告やインターネット(「河辺啓二」の検索)で知ったものです。嬉しかったですね。

振り返れば徒労が霞む
AERA
1993/09/28 掲載記事

河辺啓二さん(当時38歳)は、東大医学部の学生になって5年になる。その前の10年間は、農水省のキャリア官僚だった。

「初めの1年間は必死でしたけど、2年目になるとどうも違うなぁと感じ始めて」

東大工学部を出て官僚になったのは、技術系よりも社会科学の方面に進みたいと思ったのと同時に、熱気あふれる俊英たちの群像を描いた城山三郎の小説『官僚たちの夏』の影響あった。

「あこがれましたねぇ。天下国家ために働くってのはいいなって。民間企業は結局、利潤の追求だし。純粋にそう思っていた」

農家の7人兄弟の末っ子ということもあって、農水省に入った。

しかし、天下国家のための仕事というより、天下り先の確保といった「組織の維持」に大きな精力が費やされているように映った。

ひどい時には日に1万枚ものコピーとりに追われた。夜は、特に仕事がなくても職場で何となく酒盛りが始まる。職場にいること自体を美徳とする雰囲気があった。国会開会中ともなれば、なおさらである。

お決まりの政治家の質問とりもやった。与野党問わず、資料請求があれば走り回って決済を取らなければならない。秘書にまで威張られ、なんでペコペコしないといけないのかわからなかった。本当に国のためを考えている政治家なんているのか、と思った。

緊縮財政で、予算をいかに削るかという時代。当然、面白みはない。予算を握っている大蔵省は威張っている。アンタのカネじゃないだろう、と腹も立った。


課長補佐で年収300万円

農林水産技術会議の事務局に移り、生物系特定産業技術研究推進機構の法案作りにチームで打ち込んだ。86年に成立した、民間の技術研究を後押しする制度で、深夜3時まで働き、週末も出勤という日々が数ヶ月間続いた。

優秀な同僚に囲まれての仕事で、やりがいはあったが、「物理的貧しさ」を感じた。忙しいときは、月200時間の残業で手当ては5万円。妻子を抱える課長クラスの上司は、買い出しの弁当のメニューを見つめ、結局500円以上のものに手を出すことはなかった。「給料の安さも、辞めた理由のひとつです、これでは優秀な人が民間企業に行っちゃいますよ。10年勤め、課長補佐で年収300万円なんて。アルバイトでも稼げる」

このままでいいのだろうか。役人になって身についたことって何だろう。言質を取られない文章や、閣僚の挨拶文を書く技術だけに長けて。そんなの世の中に通じない。50歳前後になり、後輩の世話で天下りして、結局役所に依存して生きてゆくのか。

自分はお人よしで、冷徹さや駆け引きのうまさといった完了に求められる資質が欠けている、とも思った。

総務庁に出向して2年目に、意を決して医者になる受験勉強を始めた。患者を治すという仕事なら社会にも貢献できるし、充実感もあるだろう。お人よしでもいい、とも考えた。

帰宅後に深夜まで勉強し、片道20分の通勤電車でも参考書を開く生活を1年続け、東大医学部に合格する。そして退職、結婚。2人の幼子を抱え、共働きをしながら医者を目指している。

官僚の地位を捨てるのは、それぞれの個人的事情も含め、さまざまな理由が絡んでのことだ。

思えば、中学生のとき、あまりに過疎地だったため、隣町の中学校と統合することとなり、その統合式の際、学校代表で挨拶したことが地域の新聞『愛媛新聞』に小さい記事ながら写真付きで報じられたのがマスコミ初登場だったかなぁと思います。(さすがにそのときの新聞は紛失している)

その後は、当時は行われていた『サンデー毎日』の東大合格者名簿(現在は個人情報うんぬんでなくなったが)に氏名のみ掲載されたものです。14年後の理V合格のときも載りました。更に、官僚新人のとき、農林水産省がなぜか当時の大蔵省、通産省と同等扱いされて同誌の「主要官庁上級職採用者氏名」に氏名が掲載されたことがあります。

本格的なマスメディア露出は、開業医になって本を出すようになってからですが、医学生のとき、『愛媛新聞』と朝日新聞の『アエラ』に大きく載せてもらいました。さすがに全国版の『アエラ』は反響が大きかったようです。後年、開業医になって理科T類の同級会に出席したとき、「『アエラ』読んだよ」と言われたものです。