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医師に求められるものとは?

2009.12.27

・・・・・・・・・・・河辺啓二の医療論(3)


〈医師となって14年・・・〉

おじさん医学生を経て医師となって14年の月日が流れた。
もう何万人の患者さんを診療したことだろう。亡くなった方も多数いる。拙著「おじさん医学生奮闘記」にも述べたが、研修医時代、最初の受け持ち患者さんが亡くなったとき、涙が出てしかたがなかった。当時39歳だった私より2歳若いベテランの指導医に笑われたものだ。以後、受け持ち患者さんが亡くなる度に私の涙の量は単調減少した。

そして、開業医になっても、診療していた患者さんが年当たり数人から十数人、お亡くなりになる。私の顔には涙は全くなっている。


〈「医師は変人」麻生発言は実は正しい?〉

以前、当時の麻生首相の「医師は変人」発言が少し話題になったが、通常の感覚から言うと、確かに医師はすべて変人だ。上述のとおり、知っている人が亡くなっても、その家族が悲しんでいるのを見ても、全く涙が出ない。まるで「冷酷人間」だ。「人の死」というものが日常茶飯事である医師という職業に就いている以上、ある意味「冷酷人間」にならざるを得ない。お恥ずかしい話だが、私はもともと涙もろいほうだったと思う。時には映画やTVドラマの感動的シーンで涙腺がゆるくなることは、今でもある。しかし、眼の前にある「人の死」に対しては、なぜか冷静になってしまう。医師につきまとう「職業病」かもしれない。医学生のとき、父が亡くなり、開業医になって間もない頃、母が亡くなった。さすがに実の親が死ぬとき涙が出た。しかし、火葬場で父の遺骨拾いをしたとき、これは○○骨、これは□□骨、などとつぶやきながら骨を拾う自分があった。無意識に解剖学(骨学)の復習をしていたのだ。この頃から「医師=変人」の準備段階だったのだろう。


〈もう一つの麻生発言も実は正しい?〉

麻生発言で、もう一つ医療に関し物議を醸したものがある。たしか、自らの健康に留意しないで酒やタバコで病気になる人と、そうでない人が同じ金額の健康保険料を支払うのはおかしいといった内容だったと思う。私は、別に麻生ファンでも何でもないのだが、この意見も、ある意味においては正鵠を得ている。

内科医をしていると、高血圧、糖尿病、高脂血症などの「生活習慣病」の患者さんを毎日のように診察する。患者さんによって病気への対応は様々だ。一生懸命、食事療法・運動療法あるいは禁煙に取り組む方もいれば、その正反対の方もいる。アメリカ流ではないが「自己責任」の観点から言うと、医師からいくら注意されても、タバコ・大酒・肉食・運動不足の習慣を改めようと努力しない人にはペナルティー的なものとして、保険料あるいは病院窓口負担金の増額があっても当然かもしれない。たとえば、努力して生活習慣を変えないでずるずると「好き放題」のことをして病気が悪化した人は、窓口負担金を現行の3割から5割に引き上げるとか、もっと極端な場合、10割負担とか・・・。このようになると、「こりゃたまらん」と多くの患者は真面目に生活習慣を改めることだろう。

しかし、以上の「施策」は、実行となると、極めて難しい。まず、手続き的に言うと、誰が当該患者の生活習慣が改善したと判断するのか。担当医ができるだろうか。いちいち、保険料変更や窓口負担割合変更を患者ごとに行うとしたら、健康保険組合や市町村や病院窓口事務員の事務量はパンクするに違いない。次に、医学的見地から言っても非現実的だ。そもそも病気というのは、「生活習慣病」といっても、(癌もそうだが)生活習慣だけで生じるものではない。半分くらいは遺伝的要因があるとされる。実際、親が高血圧や糖尿病の場合、子供も同じ疾患をもつことをしょっちゅう見かける。「家族性高脂血症」のため、20歳くらいから高脂血症薬を服用し始める人もいる。「遺伝性」と「生活習慣性」とを線引きすることが極めて難しい。各個人にDNA検査でもすれば、病気の遺伝的素質を見出すことができて、この前引きが容易になるかもしれないが、全国の成人全員にこの高額なDNA検査ができるはずがない。


〈医師にとって最も重要なのは注意力〉

さて、「変人・奇人」の医師にとって、最も重要な資質とは何であろう。医学的知識、手術の技術、患者とのコミュニケーション力、患者への思いやり、あるいはCOOL HEADとWARM HEART・・・どれも重要だが、私は「注意力」だと思う。要するに「ミスを犯さない」ということだ。医師にとって、毎日何十人もの患者を診るため、一患者は医師から見て何十分の一に過ぎないのだが、当該患者から見れば、その医師が100%なのだ。したがって、手抜きやミスがあってはならない。外科の手術において、このことは極めて大きいが、一般内科医だって、薬剤の種類や投与量につき最大限に神経を使わなければならない。「あ、しまった」は、医療の世界では許されない。だからこそ、医師の報酬は相対的に見て高額に設定されているのだろう。なにも私立医科大に行って高い授業料を払った、その「もとを取る」ためのものではないのだ。

もっとストレートに言うと、お勉強ができても「間抜け」な人は医師には向いていないということになる。


〈医師になる過程で注意力は試されているのか〉

 そこで、考えられるのが、現行の医学部入学試験→医学部教育→医師国家試験→研修医制度の中で「注意力」が試され、向上させられているだろうか、ということだ。

入試と国家試験、要するに「試験」だが、筆記において、ある程度は試されているといえるかもしれない。たとえば、医学部入試で最も差のつく数学。医師の仕事で数学を必要することはほとんどないが、医学部に入るためには、おおむね最重要教科となってしまっている。数学の計算で、注意力がないとミスを犯し、減点となる。他の教科でも、同様なことが言える。「正答がわかっていたのにうっかりして間違った」ということは「全くわからない」ということと同等扱いとなるのが、ペーパー試験なのである。「うっかり」は医療では許されない。ペーパー試験で、ある程度は「注意力」の低い人間を排除できることになると思う。(個人的には、このような数学や英語といった教科以外に、注意力を試す適性試験が入試に課せられるべきだと考える。)

医学部での教育ではどうか。定期試験や実習で「注意力」が少しは鍛えられるだろう。だが、ふるい落としほどの効果はない。

医師になって直後の研修医制度だが、ここでは、もう「医師」なのだから、ミスを犯してはならない状況に突入している。注意力散漫な医師に担当された患者は地獄だろうな・・・。