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世界遺産「富岡製糸場と絹産業遺産群」

2019.11.17

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・・・・・・・・・・・・・河辺啓二の社会論(28)

前回の鉄門旅行の続編。
〈世界遺産・富岡製糸場〉
群馬県では、古くから養蚕、製糸、織物といった絹に関する産業が盛んであった。富岡製糸場、田島弥平旧宅、高山社跡、荒船風穴を構成資産とする「富岡製糸場と絹産業遺産群」は、平成26年(2014年)、ユネスコ世界遺産委員会で「世界遺産一覧表」に記載された。
 「富岡製糸場と絹産業遺産群」は、高品質の生糸の大量生産に貢献し、19世紀後半から20世紀にかけて、我が国養蚕業・製糸業の技術革新や当該分野の世界との技術交流に大きく寄与したものである。
〈富岡製糸場訪問は初めて?〉
この度、群馬在住ながら、初めてこの世界遺産の富岡製糸場を訪れた。が、「初めて」かどうか若干自信がない。というのは、はるか昔の若き官僚時代、群馬県の製糸工場を見学した記憶があるのだ。
〈生糸は農水省所管〉
絹織物は工業製品となるので、当時の通産省(今の経済産業省)所管であったが、蚕(かいこ)、桑、生糸は農林水産省の所管だった。かつて、生糸は、今の自動車に相当するくらい日本の超重要な輸出品であった。上級職国家公務員試験には、「法律」職や「土木」職等と並んで「蚕糸(さんし)」職という区分があり、東大農学部の蚕糸学専攻の優秀な学生が受験した。当時の農林省には「蚕糸局」という局があった。中国等からの安価な生糸の輸入の増加や絹製品の需要の低下により、養蚕業、製糸業はどんどん凋落し、かつての「蚕糸局」が1980年代には「繭糸(けんし)課」と「●●課」(課名を忘れた)の2課に縮小、「農蚕園芸局」の一部となっていた。「繭糸課長」は上級事務官が、「●●課長」は上級技官(おそらく蚕糸職)が務めていた。その頃、数年前に入省していた私は、2つ目の配属先でこの繭糸課にいた。 
〈初めてのグンマは「勉強視察」〉
この繭糸課に異動直後のことだ。「勉強」ということで、当時、全国的に見てまだ蚕糸業の盛んなほうだった群馬県に出張を命じられたのだ(グンマを訪れたのは、このときが生まれて初)。群馬県庁の担当者に連れられて、桑畑や繭倉庫や製糸工場を見学して回った。当時、中央の役人が県を視察というと、やや「旅行、接待」と揶揄される傾向にあったが、この出張は本当に真面目な「勉強視察」だった。夕食くらい(もちろん高価でない)はご馳走になったかなぁ。
実は、私の生まれ育った四国・愛媛も昔は養蚕農家が多かった。私の生家も、私が生まれる前くらいまでは蚕を飼っていたらしい。私が物心つく頃は、村で数軒しか養蚕を営んでいなかったようだ。少年だった私は、桑畑になっていた紫色の桑の実を食べたり、養蚕農家の友だちの家に上がって桑の葉をむしゃむしゃ食べる蚕(まさに「蚕食」)を眼下に観て不思議な気持ちになったりと桑や蚕は身近なものであった。このためだろうか、群馬への「お勉強出張」で記憶に残っているのは、製糸工場で見聞きした、機械音や工員たちの忙しい動きのみであって、桑畑や繭の見学での印象は覚えていないのである。
〈富岡製糸場訪問は初めて??〉
明治5年(1872年)に開業した富岡製糸場は、115年後、昭和62年(1987年)に操業停止した。すると、私の「勉強出張」の時はまだ操業中だったようだ(ぎりぎり)。だが、私がそのとき見学した製糸工場が富岡製糸場であったかどうか覚えていないのだ。今も「現役」の碓氷(うすい)製糸工場だったかなぁ・・・。