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東大法学部は今後凋落していくのか

2019.03.17

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・・・・・・・・・・・・・・・・・河辺啓二の教育論(12)

〈東大文Ⅰより文Ⅱが難関に〉
この春、一部マスコミで報道されたが、今年の東大入試で、初めて文Ⅱが文Ⅰより難しくなったらしい。合格者の最低点・平均点・最高点のすべてが文Ⅱのほうが文Ⅰより上回ったという。
そもそも、このような合格最低点の発表など、昔はなかった。私は若いとき、理Ⅰを2回、年取って理Ⅲを1回と計3回受験しているが、一体何点で合格なのか、知る由(よし)もなかった。予備校や受検者の噂で「(二次試験は)だいたい5割以上、ただし理Ⅲは6割以上」(世間的に見れば、そんな低い点で受かるのかと思われるかもしれないが、それだけ東大2次の問題は難しいのだ)などと言われていたものだ。秘密主義が改められて今や徹底した公開主義となった。
【2019年の東大合格最低点:1次試験・2次試験の合計点】
文科一類: 351.8333、文科二類: 358.0667 、文科三類: 342.7222
理科一類: 334.6667 、理科二類: 330.3778、 理科三類: 385.3778
〔注:おおむね、文系が理Ⅲを除く理系より点が高いようだが、以下のように2次試験の科目・配点が異なるためで、文系が理系より優秀というわけではない。
(問題は英語のみ共通で、数学と国語は共通とは限らない。理系より文系のほうが高得点であるのは、理系数学の問題が難しいからではないかと思う。ちなみに東大数学は1問20点で理系6問、文系4問。この1問分(20点)が文系と理Ⅰ・理Ⅱとの点差にほぼ等しくなっている。)
  文科 英語120点、数学80点、国語120点、社会120点 合計440点
  理科 英語120点、数学120点、国語80点、理科120点 合計440点
 
〈東大の科類〉
我が国を代表する、最古の官立大学の東大は、入学時において少々他の大学と異なる。この文Ⅰとか理Ⅰとかいう科類だが、入学時いきなり○○学部○○学科というのがなく、全員、駒場の教養学部生となる。
文科一類:法学部へ進学
文科二類:経済学部へ進学、
文科三類:文学部、教育学部、教養学部等へ進学
理科一類:工学部、理学部(非生物系)等へ進学
理科二類:理学部(生物系)、農学部、薬学部、医学部等へ進学
理科三類:医学部医学科へ進学
1962年からこのような仕組みとなったらしく、それ以前は、おおむね
文科一類は社会科学→法学部・経済学部
文科二類は人文科学→文学部等
理科一類は自然科学(物質系)→工学部、理学部(非生物系)
理科二類は自然科学(生物系)→理学部(生物系)、農学部、医学部
という科類だった。要するに文科一類が2つに分かれ、理科二類が2つに分かれたということだ。推測するに、旧理科二類の中では医学部医学科進学を巡って熾烈な競争があったことだろう。現在の新理科二類でも、成績上位者10人だけ医学部医学科に進学できるため、激しい点取り合戦がある。平均点90近い点が必要だ。同じ東大生相手に90近い点を取るため、何年もわざと留年する学生もいる。試験場で85点以上取れなさそうだと思ったらわざと落第点を取って次年に期する作戦だ(ヘタに低い合格点を取ると平均点に組み込まれてしまい、修復不可能となるため)。

〈東大入試の得点計算〉
上記の合格最低点が小数点4桁まで算出されていることに、「?」と思う方は多いだろう。これは、1次試験(センター試験)の合計点(900点満点)を(むりやり?)110点満点に圧縮換算して、440点満点の2次試験の合計点に足したためである。
例えば、1次試験で合計800点、2次試験で230点だとすると
800×(110/900)+230=327.7777
う~ん、今年はこの得点ではどの科類も不合格だ。昔はこのくらいの得点なら理Ⅲ以外は受かったように思うが、受験生の学力が上がったというより、2次試験の問題が昔より易しくなったのだろうか?
1次試験:2次試験の比率が1:4という、2次試験比重の高さは我が国大学で最高だろう。それくらい、基礎学力の高い東大受験生では易しい1次試験の問題では差がつきにくいということだ。

〈東大法学部のプライド〉
昔から東大文系には、法学部>経済学部>文学部という「序列」があった。伝統的によく言われる例え話に
「法学部生は銀杏の葉の青い時季から勉強し、経済学部生は葉が色づいた頃から勉強し、そして文学部生は葉が落ちる季節になっても勉強しない」
といったものがある。それくらい、明治以来多くの大物政治家、官僚、法曹人(弁護士等)、大企業社長などを輩出してきた法学部の学生のプライドは高い。
ところが、(以前からもあったが)政治家や官僚の権威失墜の事件の数々・・・文系受験生にとって「東大文Ⅰ」は絶対的な憧れの最高峰でなくなってしまったのだ。先日観たテレビのインタビューで「昔のように天下りできないから官僚は魅力ない」とはっきり言い切る東大生もいて少し驚いたものだ。この学生のように現実的ウマミ・経済的メリットを考えることは決して非難できない。弁護士も(歯科医同様に過剰となり)「ワーキングプア」化傾向で憧れの職業でなくなりつつある。
私の若い頃は、受験生仲間では「まず現役では文Ⅰ受験、浪人したら文Ⅱ」と言われていた。理系でも「現役なら理Ⅰ、浪人したら理Ⅱ」という風潮があった。浪人したら受かりやすいほうの文Ⅱ、理Ⅱをということだ。実際、文Ⅰ・理Ⅰは現役比率が高く、文Ⅱ・理Ⅱは浪人比率が高かった(この傾向は今もほぼ同様だろう)。
今年のような「異変」は、上述のような法学部卒業後の職業の魅力低下のほか、やはり、文Ⅰより文Ⅱのほうが合格しやすいだろうという従来の方針でたまたま優秀な受験生が多かったせいかもしれない(昨年文Ⅰ落ちて文Ⅱ受験に回った浪人生が気の毒だが)。来年からの文Ⅰvs文Ⅱはどうなるか予測が難しい。

〈東大法学部はこのまま凋落するのか〉
東大医学部が凋落していると言われて久しい。理Ⅲの難易度が下がったというわけではなく、iPS細胞で京大医学部の名声が高まろうと、やはり国内医学部で最難関の地位を維持している。東大医学部の凋落は、この入口=入試のことではなく、(出口の)卒業生の他大学医学部教授激減のことである。鳥集徹著『医学部』に詳しく述べられている。
各大学医学部教授で東大医学部OBが占める割合
 51%;383人/755人(1980年)→19%;183人/961人(2017年)
更に言えば、英数国理社の能力と医師としての実力(特に外科系の手術の腕)との間の相関関係が乏しいことは誰しも認めることであろうが、東大OB医師が臨床現場でそれほどは活躍していないというのもあるとされる。。
東大法学部は、入口=入試の時点で凋落傾向が出現し始めていることになる。もし、今年だけでなく、長期的な状況になるとすると、その理由は、政治家、官僚、弁護士といった職業が魅力低下したことのほかに、昨今の異常とも言えるような医学部人気により、以前なら文Ⅰを目指すような偏差値の高い受験生(だいたいこういう学生は理数科目が苦手で文系に進むという人は少ない)が全国の医学部に流れている可能性が多々あるのではないか。前述の『医学部』では、数十年後は医師過剰となり、第二の歯科医、弁護士になるだろうと著者は予測している。
とはいえ、今のところ「医師は食いっぱぐれがない」「やり甲斐がある」というイメージがすぐに変わるとは思われない。すなわち、シンプルに言えば、もともと優秀な文系学生が経済学志向か医学志向に転じる傾向が今後も続くのではないだろうかと思う。この傾向が日本の将来にとってよいことなのか、それとも・・・・。

「一発勝負」の効用

2014.03.24

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・・・・・・・・・河辺啓二の教育論(11)
文部科学省は、大学入試センター試験に変わる「到達度テスト」を高校3年時に複数回実施する方針案を打ち出した。年1回の「一発勝負」でなく、複数回受験で「再チャレンジ」を可能にしようとしている。果たして「一発勝負」は本当に悪いのだろうか。
最近では、ソチ冬季オリンピックでみたように、オリンピックという4年に1度の世界最大のスポーツ檜舞台で期待通りに活躍した選手、期待に添えなかった選手の明暗ぶりを見たばかりだ。実力どおりの順位には必ずしもならないのが勝負の世界。大学受験だって全く同様ではないか。
大学入試をはじめ「一発勝負」的な出来事は、長い人生に幾度となくあるものだ。それに成功するからこそ、オリンピックでのメダル獲得と同様に喜びが大きいものだ。僅かに年1回とか、機会の少ない「一発勝負」だからこそ、それに向けて真摯に努力邁進していくものではないだろうか。失敗すれば(敗れれば)もう○回チャンスがあるからいいや、などというexcuseを生じさせることにならないほうが、自らを厳しく律することになるものだ。
私自身、これまでも重要な試験に何度も成功したり、失敗したりしてきた。成功した時の至福感はもちろんだが、失敗した時の挫折感もその後の人生に大いにプラスになったに違いないと今は思っている。
「一発勝負」だが、全ての受験生に平等に門戸が開かれ、同じ時刻に同じ土俵で戦わせる、現行の大学受験システムは決して悪くはないと思う。
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以上の意見を朝日新聞「声」に投稿したところ、久々に採用された。いつものように修正され、3月23日(日)、掲載された。本当に久々である。かつて「投稿マニア」と自負していた私が、この1年以上、掲載から遠ざかっている。レギュラー執筆者だった2011年(平成23年)の愛媛新聞「道標」を除いて、全国紙投稿の掲載実績は、以下のとおり。
2010年(平成22年):朝日新聞「私の視点」1回、朝日新聞「声」3回、読売新聞「気流」2回
2011年(平成23年):朝日新聞「私の視点」1回、朝日新聞「声」3回、読売新聞「気流」3回
2012年(平成24年):朝日新聞「私の視点」1回、朝日新聞「声」3回、読売新聞「気流」1回
2013年(平成25年):読売新聞「気流」1回
3年連続難関「私の視点」掲載は自分でも快挙だと思うが、その最後の「私の視点」掲載が2012年8月で、それ以来の朝日新聞掲載である。同紙「声」にいたっては、2012年5月が最後で、ほぼ2年ぶりの掲載となる。2013年は、1月10日に読売新聞「気流」掲載があって、その後掲載ゼロ、まさしく「スミ1」であった。
なぜこうも掲載頻度が激減したか。実は、投稿意欲減退に伴う投稿頻度低下×新聞社の採用率の低下のためである。数年前は(2か月連続とか)おもしろいように採用してくれたこともあった。それがなかなか採用されにくくなった。そうなると、投稿意欲も下がり、投稿数も減る。なにも、採用されないから書く気が起きないというだけでもない。いくら全国紙で主張したところで、結局、政治経済社会に大して影響を与えるものでもないという諦観があるのである。

理系科目へのしわ寄せが心配

2014.02.01

・・・・・・・・・河辺啓二の教育論(10)

政府は、高校等の教育において英語と日本史を重視する姿勢を見せてきた。確かにグローバル化する社会で世界共通語の英語力を高めることは重要だし、日本人でありながら日本の歴史をろくに知らない若者が増えてきている現状に鑑みれば、至極当然の方針であることは間違いない。
ただ、私が危惧するのは、これらの科目教育の重視により、他の教科、特に数学や理科といった理系科目がしわ寄せを喰って授業時間が減りはしないかということである。高校の授業の1週当たりの授業時間には一定の限度があり、英語や日本史の教育充実が授業時間数増加につながり、ひいてはその分理系科目の時間数減を引き起こすことはないだろうか。
いうまでもなく、我が国は、科学技術立国であり、若いときに理系科目の教育を十分受けた科学者、技術者たちが今の日本の繁栄を支えてきたと言っても過言ではない。今世紀になってノーベル賞の自然科学部門の受賞者の数がアジアで突出しているのも、近代・現代の日本の科学教育が優れていたことの傍証ではないか。「ゆとり教育」が見直され、今後、数学と理科が元のように充実強化されようとしているときに、英語・日本史教育強化の「犠牲」となって再び弱体化されることのないよう強く希望するものである。(524字)

東大よ、お前もか

2013.03.24

・・・・・・・・・・・・・河辺啓二の教育論(9)

東京大学が、2016年度から2次試験の一部で筆記テストを廃止し、推薦入試の導入することを決定したらしい。後期日程入試の定員100人を振り分ける方針だという。しかも、その後の経過によっては前期日程への拡大もあり得るという。
筆記テストだけでなく推薦入試で多様で優秀な学生を確保したいというのは、ここ数十年の大学入試の趨勢となっており、私立大学のみならず国立大学でも増えてきている。しかし、これまで東大などごく一部の難関と言われる大学は、推薦入試を行わない姿勢を貫いてきた。
私は、2回東大を卒業している。地方の無名高校の卒業生であり、学力だけの一発勝負の入学試験は厳しくもあったが、努力すれば報いてくれそうな東大入試(「良問」が多い)は嫌いではなかった。特に、30歳過ぎての医学部(理Ⅲ)再受験の際にも、高校の調査書や年齢に全く無関係で学力だけで受かることができた。
このような極めて公正な現行の大学入試を(大学院入試ならともかく)改変する必要があるのだろうか。推薦入試となれば、千差万別の各高校の調査書の公平性、信憑性は担保できるのか。面接で、話上手で機転のきく人が、優れた頭脳で話下手な人より高い評価になってしまうのではないか。
浜田学長は「1点刻みで合格、不合格を決めていていいのか」と話しているそうだが、スポーツをはじめ多くの世界で僅差での勝者、敗者は存在するわけだし、学長の考えには賛同できない。昨年の天皇陛下の心臓手術では、変なプライドを捨てて非東大の名医を起用したことには拍手を送ったが、今回のことには賛成できない。

研究資金を増やさないと日本は凋落の一途

2012.10.01

・・・・・・・・・・・・・河辺啓二の教育論(8)

文部科学省は、学長の裁量で運用できる研究資金を20大学に重点配分する新制度を導入することとした。背景にあるのは、日本の自然科学研究の地盤低下だ。同省科学技術政策研究所によると、影響力の大きい論文数(09年~11年)は、日本は10年前の世界4位から、中国などに抜かれ、7位に低下しているという。
国土も天然資源も乏しい日本が、欧米各国と伍して一流国となり得たのは、多くの優れた科学者、技術者たちの勤勉な働きによるものであることに違いない。理科系の研究にはカネがかかる。しかし、現在の大学や研究機関の研究予算は、十分というにはほど遠い現状にある。老朽化した設備に古い機械では、いくら頭脳が優れていても満足できる研究ができるはずがない。研究者たちは、海外の学会に行く費用の工面にも苦労するという。こんな環境にあれば、米国など海外へ「頭脳流出」するのも当然だろう。
政府は子供の理科離れに歯止めをかけようと努めてはいるようだが、芳しい成果をあげているようには思えない。憧れの科学者になっても、研究環境が貧しい上、給料もあまり高くはないことを知った今の若者たちにどのようにしてインセンティブを持たせることができるのだろうか。現状では、理系研究者を目指す若者が少なくなるのもいたしかたないような気がする。理数に秀でた才能をもった若者たちが、生活の安定を勘案して、理工系でなく医学部に進学する例が後を絶たない。
政府は大局観をもって、自然科学研究にもっと国家予算をかけてほしい。

討論力教育の充実を

2012.09.02

・・・・・・・・・・・・・河辺啓二の教育論(7)

次々と周辺国に恰も嘲弄される我が国の国境領土問題は、日本の外交力の弱さというより私たち日本人のメンタリティーが関係しているように思える。
我が国には、古くから「拈華微笑」、「以心伝心」、あるいは「阿吽の呼吸」といった、言葉で表わさずに理解し合うことが美徳とされている。このことを、国民性が異なり、異質の文化を持つ外国相手の交渉にも当てはめてしまってきたのではないか。(これらの言葉は仏教から生じたものだが、強かな外交力を持つ現代の我が国周辺仏教国には通じないだろう) 
私たちの世代は、自己主張し、相手を論駁することのトレーニングは全く受けていない。学校の勉強さえできれば一流大学に入れるため、ディベートが苦手でも困らなかった。
最近は、各種ディベート大会が行われたり、学校教育のカリキュラムにディベートが導入されたり重視されつつあるが、まだ十分とはいえない。大学入試で集団討論を取り入れているところもあるものの、英語や数学などのペーパーテストに強い学生が大学入試勝者となる傾向は、依然として変わっていない。
大学入試において、多数の受験生を客観的に選別するに筆記試験は極めて有効であり、ディベート技術の試験を一律に課すことは難しい。となれば、中学や高校、あるいは大学でディベート(討論)力を養う教育をもっと充実できないだろうか。入試に無関係なディベートを学習するインセンティブを学生に持たせる工夫をしてほしい。
日本国内では以心伝心が通じても、海外では通用しない。自己主張を持ち、容易には謝らない民族性を有する諸外国との交渉において「美しき日本文化」は損ばかりだと感じるものである。

「いじめ」問題で教師を断念しないで

2012.08.05

・・・・・・・・・・・・・河辺啓二の教育論(6)

昨今、次々と表面化する学校の「いじめ」問題を見るに危惧するのは、教師を目指す若者が減少するのではないかということです。
確かに、テレビ等で報道される、「いじめ」に関係した校長等教師や教育委員会の方々の「釈明」は事なかれ主義という誹りは免れないと思います。しかし、彼らも教育者を目指した若者の時は美しい志(こころざし)を持っていたに違いありません。それが、年齢や経験が増えるにつれて、「教育」より「保身」を重く見る「お役人」になってしまったのでしょう。教師は雑用が多く、激務で、時間的精神的余裕がなくなっており、また扶養すべき家族を抱え、なるべく波風を立てないで現在の生活を維持していきたいと思ってしまうのは、ある程度しかたがないような気がします。
現在、大学教育学部に在学する学生やそうでなくても将来教師を目指す大学生や高校生の中には、「いじめ問題で教師は大変だ」と思って教職に就くことを敬遠する人が増えやしないかと心配です。もちろん、「事なかれ主義の公務員先生」では困りますが、是非教師を目指したときの高くて美しい志を保持して、夢を実現してほしいものです。国土も狭く資源も乏しい日本が、曲がりなりにも、世界の中で先進国の位置を維持しているのは、人材育成、すなわち教育のおかげなのです。その重要な教育を将来担おうとする若者たちよ、その志を捨てないでください。

「秋入学」には10年かけて

2012.01.29

・・・・・・・・河辺啓二の教育論(5)

〈東大が投じた一石〉
東大の「秋入学」が波紋を呼んでいる。有名主要大学が同調する動きを見せ、政府も前向きな姿勢を見せている。
東大に学生として2度も在籍した私だが、もし東大の言うように5年後実現したとしても、自分の子らが大学生になる頃より後のことになりそうなだけにやや関心が薄い(というか自分の子らにこれら有名大学に入れる学力はなさそうだが)。

〈実現までに問題は山積〉
今、いろんな分野の人々の間で議論になっているが、一部の有力大学だけが秋入学になるのは、チト無理がある。国家試験や就職など卒業時期と関連する多くの「区切り」事項との調整が困難を極めるのは必至だ。日本社会全体が「秋」スタートになる必要があるかもしれない。
そもそも、明治の昔は、大学は秋入学だったらしい。それが小中学校と歩調を合わせて春入学となった。「桜の時季に入学式」という日本の定番(風物詩)が確立された。官庁の会計年度が4月1日開始であることが、各種学校の4月入学・始業にリンクしているに違いない。

〈5年で実現できるか?〉
今回の東大の「国際化に向けた」一石は、確かに意義はある。国民的議論を経ていつかは実現しなければならないだろう。しかし、5年というのはやや急ぎ過ぎの感がある。10年くらいは掛けて、議論を深化させ、種々の制度・慣行の改変を(段階的にでも)して行くことが適当ではないだろうか。
大学合格後入学までの半年間のギャップタームはどうなるのだろう。果たして全ての「入学予定者」が有意義に過ごせるのだろうか。私のような年取った再入学者の場合、生活費稼ぎに追われるはずで、そんなのでも大学は可とするのだろうか。

「近現代史」科目設置して必修に

2012.01.07

・・・・・・・・河辺啓二の教育論(4)

高校時代、古代や中世に比べ重要なはずの近現代史について十分授業で教わらなかったという社会人の方が多くいるのではないだろうか。
古代や中世の歴史も、「教養」として必要なものであるとは思うが、現代に生きる私たちは「なぜ今このような国際社会、日本社会なのか」(たとえば、なぜ今でも中国や韓国で「反日」感情が繰り返し高まるのか、など)ということを理解するため近現代史をしっかり学んでおくことがとても重要である。
外国との繋がりが少ない江戸時代までと幕末・明治維新以後とでは世界の動向と日本の歩みとの関係の強さが桁違いに異なる。世界史の表舞台に19世紀終盤以降、日本が登場してきたこと、そしてその後の急速なグローバライゼーションに鑑みれば、近現代史を日本史と世界史に区分して学習する妥当性が乏しくなっている。そこで、現行の日本史・世界史とは別に「近現代史」という科目を設置して、世界から観た日本の近現代の歩みを学習することが適当ではないだろうか。
現在高校で行われている歴史教育の多くが「ゆとり教育」と大学受験に歪められ、まともに歴史を学ばないで卒業してしまう若者が多数いる。日本の将来を担う若者達全員に「近現代史」を学ばせるよう、(「世界史」の代わりに)「近現代史」を履修必修科目にしてほしいと思う。

地震学の基礎は地学

2011.07.29

・・・・・・・・河辺啓二の教育論(3)

今日、ほとんどの国民は、改めて「日本は地震大国だ」という認識を強めている。
地震に関する学問の基礎は地学なのだが、現在の高校ではその地学がほとんど教えられていない。私たちの世代は、高校生のとき、理科は4科目(物理・化学・生物・地学)履修が義務付けられ、地学に関しては、大学入試用に選択しなくても、週1回程度の授業と定期試験が課せられていたものだ。
ところが、「ゆとり」世代になってからは、理科は2科目履修でよくなり、最も不人気の地学の授業が行われている高校が珍しくなり、地学教師は専門外の生物を教える、といった状況になっている。地学が入試で選べない大学も少なくなく、高校の地学を全く勉強していない人が普通というのが現状である。
地学は、地震学のみならず、地質学、火山学、海洋学、気象学、天文学、地球物理学など多岐な学問をカバーする学問であり、高校生時にこれらの基礎を学ぶことは大変意義があると思う。
特に、日本のような地震大国であるにもかかわらず、高校時代、地震に関する学問に一切触れずに卒業してしまうというのはいかがなものだろうか。
今回のような大惨事を経験すると、地震学研究の予算的人的充実強化が求められる。現行のような教育体制が何十年も続くと、将来、地震学の優秀な研究者の数が保たれるのか不安でしかたがない。

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