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2011年回顧録

2011.12.31

〈「想定外」の2011年〉
2010年は、妻の母が71歳で急死し、私と妻にとっては最悪の年だった。今年こそはよい年になるだろうと楽観して迎えた2011年の70日め(3月11日)にとんでもないことが起きてしまった。(天国の義母は何と思ったことだろう)

〈震災後の苦悩〉
当ブログでもたびたび取り上げてきた。「東日本大震災」という分類を新たに設けたほどだ。この未曽有の災害及びそれに伴うあのフクシマで私たちの生活態度が変化したことは明らかだ。地震後、私は医師として、同じ日本人として、いや人として何かすべきではないかと自問自答で悩んだ。多数いる「私の患者さんたち」を放って東北に行くわけにもいかない。実際、聞いた話では、私の周りで休診して被災地に駆けつけた医師はいないようだった。やがて医師会から被災地へ医師派遣募集の知らせが来た。ただ、救護活動でなく、遺体の死亡診断のための医師が不足しているということであった。確かに被災してほとんどが(命が)助からない人ばかりだから、治療する医師より死亡診断する医師のニーズが高いということであった。「死亡確認かぁ・・・」私と同じように溜息をついた医師は多かっただろう。結局、多くの歯科医の先生方のご協力により、遺体確認が遂行できたらしい(遺体の確認は、歯型でも行う)。
被災地で生まれ育った、あるいは被災した東北三県の医学部を卒業した医師の中には当該地に向かった人もいたようだ。東北に全く縁がない私はついついここ群馬にとどまって、「計画停電」などの不便な生活をしつつ、日常の診療を続けた。震災関連の診療といえば、たまに、福島県南相馬市などから避難してきた患者さんが(災害とは関係のない普通の病気で)来院してきたことがある程度だ。

〈義捐金で罪滅ぼし〉
被災地のために何もしないのは、と自責の念に駆られ、せめて、義捐金くらいは送らねばならないと考えた。自分の経済力等を勘案し、自分なりに出せるだけの金額を日本赤十字社に送金した(私なりの罪滅ぼし)。3月中だったと思う。しかし、全国から送られてくる義捐金が当該地に迅速に的確には配分されていないことをニュースで知り、落胆した。「ああ、これが日本のお役所仕事なのだ」とまた溜息が出たものだ。

〈新聞で意見を発信〉
ほかに、震災に関して私が実行したのは、全国紙(朝日・読売)への投稿と今年コラムを担当した愛媛新聞で反原発を世に訴えたことである。朝日新聞「声」と読売新聞「気流」の投稿掲載は、震災までは結構高い確率で実現した。しかし、震災後は全国からの投稿数が激増したらしく、掲載は「激戦」となった。当ホームページ「メディア(その他)」を見ていただければわかるが、震災後は、私の投稿回数を増やしたにもかかわらず掲載頻度は「苦戦」を強いられている状況だ。
奇しくも、今年は、生まれ故郷・愛媛県の地元紙「愛媛新聞」の日曜コラム「道標」の執筆を担当させてもらった。一年で10回の掲載だが、当初、あれこれと構想を練っていた。予定どおり、1回目の「官僚論」、2回目の「医療行政論」を書いたが、その後に震災・原発事故が起きた。このため、3回目以降は原発に関することを何度か書くこととした。よって、当初構想していた少子化政策や教育行政など、訴えたいことが全部書けないまま、12月の最終回となった。ちょっぴり不完全燃焼だが、いたしかたない。地元の愛媛県は「伊方原発」を抱えているため県民の原発への関心は高く、一部住民に私の反原発論はかなり好意的に受け入れられたようだ(四国電力には嫌われただろうなぁ)。

〈今年は私的にも悪い年だった〉
震災・原発事故は、日本いや世界を震撼させたが、私のプライベート生活でも、(昨年に続き)今年も悪い年だった。自らはダイエット効果で血圧も内蔵脂肪も改善して「健康勝ち組」になりつつあるが、ごく近い人が相次いで重病に陥った。二人とも昔からよく知る人で、ともに脳血管障害であった。両人とも、私と年齢が近い(そういえば、今年亡くなった、あのスティーブ・ジョブズは私と同い年だし・・・)。「明日は我が身」と思わざるを得ない。ご両人の1日も早い回復を祈念してやまない。