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記事一覧

東日本震災で被災された方々に心よりお見舞い申し上げます

2011.03.23

・・・・・・・・・・・・・東日本大震災(1)


3月11日以来、私たちの生活は「非日常」となってしまいました。まさに未曾有で、太平洋戦争を知らない私たちにとっては人生最大の事件で、生活ばかりか人生観までをも変えてしまいました。

当日、私は午前中の診療の後、急いで昼食をとり、地元の保健センターにポリオの集団接種に出かけました。年に何回か、このような集団予防接種や幼児健診等の仕事をすることが医師会の中で割り当てられているのです。

他の2人の医師とすべての接種を終え、一服の後、午後3時からの診療のため、クリニックに戻って間もない時でした。かつて経験した記憶のないような大きな揺れが襲って来ました。真っ直ぐに立っているのが困難なくらいでした。午後2時46分でした。

生まれ育った四国でも、また四半世紀住んだ東京でも、地震は何度も経験しており、少々の地震では「またか」くらいにしか思わないようになっていました。でも、今回はさすがに驚きました。当地の震度は6弱でした。12年住んで「(大きな)地震のない群馬」と思っていたのですが。群馬で生き続けておられる80歳代の患者さんもこんなの初めてと言っていました。当地の揺れは、「未曾有」クラスだったと思いますが、私の周辺も含め、群馬県内では大した被害は起きませんでした。

さすがに地震直後の当日午後は患者さんが激減したのですが、翌12日(土)は花粉症などの患者さんが大挙して来られ大忙しでした。

このまま、月曜から通常どおりの診療、と思いきや、計画停電が始まり、困っております。電気がないと診療が困難となります(検査、会計、投薬etcすべて電気頼りですものね)。東京電力にもっとよい対策を求めるのは酷なのでしょうか。宮城県等の方々に比べれば停電くらいですむのだから我慢しなくてはと思っております。停電中にも診療できるように自家発電機を購入しようとしましたが、どこも売り切れで、やっと他県まで行って手に入れた次第です。

大惨事にもかかわらず、略奪もなく、冷静で秩序を守る日本人のメンタリティーは世界から称賛されていますが、一方、原発対応が必ずしも適切でなかった日本国政府は批判を浴びています。隠蔽体質や計画停電の手法等で東京電力も国民から非難されています。いつでも政府と大企業は批判されるものですが。

今まで「便利」にどっぷりと浸かっていた私たちは不便な生活に追いやられてしまいました。特にガソリン不足と停電は、私ら医療従事者にとっても、極めて困る問題ですが、被災者の方々の生活を考えれば、全く耐え得るものです。

いまだに放射能の広域拡散の恐怖は拭いきれないですが、関東地方の住民全員が西日本に移動できるわけではないし、いちおうの「覚悟」はしております。


〔呼称について〕

公式には「東北地方太平洋沖地震」と呼ぶそうですが、マスメディアでは「東日本大震災」が主流となっています。まず、新聞では、読売新聞が「東日本巨大地震」と呼ぶほかは、朝日新聞等ほとんど全ての全国紙・地方紙で「東日本大震災」と呼んでいます。テレビでは、NHKのみが「東北関東大震災」と言っていますが、民放各局は、「東日本大震災」としています。各有力週刊誌でも、同様です。

私も、「東日本大震災」が最も適当な呼称だと思います。

気象庁の公式名「東北地方太平洋沖地震」は長すぎますし、被害のあった茨城県や千葉県などのある関東地方が含まれない印象です。

また、読売新聞の「巨大地震」より、地震に伴う災害(津波による被害の意が含まれるでしょう。原発事故までをも含められるかもしれません)をも含めた「大震災」のほうが適当だと思われます。

そういう意味では、NHKの「東北関東大震災」も悪くはないのですが、後半の五文字があの「関東大震災」と同一というのがうまくないと感じます。「東日本」とすると、北海道をも含み、広すぎるのではとも思うが、その被害の甚大さ、深刻さ、広域性に鑑みれば「東日本」としてよいのではないでしょうか。

以上のことから、私は、「東日本大震災」を用いることとします。

信頼される後発医薬品の普及には企業統合を

2011.03.07

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・・・・・・・・河辺啓二の医療論(9)


〈後発医薬品は先発医薬品と異なる〉

2月19日付け朝日新聞「私の視点」に『後発医薬品 先発品と「同一」望ましい』と題して非常に優れた投稿が掲載されていた。私は、この意見を強く支持する。

厚生労働省は、実際は「同一」でないのに「先発品と同効果で価格は安い」と国民に喧伝し、医療側に対しては診療報酬の加算点変動で後発品処方増への誘導を行う。健康保険組合は、組合員に後発医薬品(ジェネリック)推奨カードの配布に加え、「あなたが服用している○○(先発品)を△△(後発品)に変えれば、一月当たりの負担金は●●円安くなります」という通知までしているのには驚く。健保組合の事務量、コストを増大させても後発品を普及したいのだろう。

(厚生労働省と健康保険組合と後発医薬品メーカーが、「先発品と全く同じ効果で価格ははるかに安い」と喧伝していたが、主成分以外の添加物や製造工程等が異なるため、実際は効果が異なることを認めたのか、さすがに最近は「同じ効果」と言わなくなったようだ。) 

私も、いまだ、後発医薬品の処方には二の足を踏む医師の一人だ。実際に処方して、先発品と全く変わらない場合もあるが、「利きが悪い」「副作用が出た」という患者さんに出くわすことも少なくない。その際、次回からはその薬剤は他の患者さんにも処方するまいと思ってしまうものだ。


〈真の「同一」後発品の製造販売の実現へ〉

「私の視点」で主張されているとおり、真の「同一」後発品が製造販売されることが望ましいと思う。そのためには、現在後発医薬品を供給しているのは小資本の製薬会社が多く、良質の製品を安定的に供給できる会社の数も少ない(後発品メーカーの都合で製造中止になることが少なからずある)という現状を踏まえ、医療政策として、企業の合併統合を進めていく必要があるのではないだろうか。
多数ある小企業の後発品メーカーが合併統合することにより、充実した製造設備を有し、多くの医療情報提供者を配置できる大きな企業となれば、われわれ医師側も、安心して、もっと後発品の処方に積極的になれるのではないだろうか。


〈日本はドイツのようになっていいのか〉

ドイツのように医療費抑制策が強化されたために、製薬会社がほとんど後発品メーカーになる国家はいかがなものか。世界の製薬会社のランキングを見るに、米国、英国、スイス、フランスなどに比べ、医療先進国であるドイツのメーカーは、意外に少なく、やっとベーリンガー・インゲルハイム社がやっと15位あたり(日本のトップ武田薬品と同レベル)に入っているくらいだ。

国土や天然資源に乏しい日本の今後の経済を考えるに、得意とするナノテクノロジーなど頭脳集約型産業の中で医薬品産業がその一角を担うのにふさわしい産業なのだが、今のような医療費削減策で後発品メーカー優遇策を進めればドイツの二の舞になるだろう。

反捕鯨の欧米豪人は奇妙な動物愛護意識を改めよ

2011.02.23

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・・・・・・・・河辺啓二の社会論(6)


〈農水省、苦渋の決断〉

農林水産省は、南極海で捕鯨調査をしていた日本船団が反捕鯨団体「シー・シェパード」の悪質な妨害に屈した形で当該調査を中止することとした。船団員の安全に鑑みればいたしかたない決断と考える。


〈理解しがたい欧米豪州人の動物愛護意識〉

確かに、鯨の乱獲防止や生物資源の保護という観点は理解できる。私がどうしても理解できないのは、欧米や豪州といった反捕鯨国、反捕鯨団体の、誠に奇妙な動物愛護意識である。動物愛護の大義名分で日本船団のヒトに傷害を与えかねない事態は異常だと思わざるを得ない。

彼らは、牛肉や豚肉を決して食べないのか。牛や豚を屠殺場で何頭も殺すことは許され、同じ哺乳動物の鯨を殺すことはなぜ許されないのか。彼らは、動物実験で無数の動物の生命を犠牲にして開発された医薬品のお世話に一度もなったことがないのか。


〈欧米豪州人の狭量さを改めよ〉

確かに、鯨の乱獲防止や生物資源の保護という観点は理解できる。私がどうしても理解できないのは、欧米や豪州といった国が違えば、人種も歴史も文化も異なるが、グローバル化した現代に異国の文化(食文化)をある程度受容することは必要だと思う(日本人は比較的寛容だと考えられる)。殺人や窃盗など古今東西許されない普遍的ルールがあることはもちろんだが、欧米人や豪州人には、この程度の食文化の相違を受容する度量がないのだろうか。


〈動物愛護の線引きの難しさ〉

動物愛護の線引きは、国により、人により様々である。動物すべて愛護だと、魚も食べられないし、蚊も殺せなくなる。哺乳類で線引きすれば、上記のとおり牛や豚は食べられない。

もっと言えば、(日本人にも多いが)犬や猫を虐待することは残虐行為で牛や豚を食べるのは残虐でないと思う根拠は何なのだろう。
結局、ヒトとそれ以外という最低限の線引きのほかは、難しいような気がする。

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上記の内容を2月20日(日)昼に読売新聞「気流」に投稿したところ、翌21日(月)昼頃に同紙担当者から電話があり原稿修正の確認がありました。23日(水)に、同欄アタマに掲載されました。今回もQuick Responseでした。

「・・・ので」の多用が気になる

2011.02.23

・・・・・・・・河辺啓二の社会論(5)

最近、テレビで有名スポーツ選手をはじめとする若い人たちのインタビューを聞く際、気になる表現がある。

「・・・と思うので」など、大した順接的意味合いでなくてもこの「・・・(常体表現)ので」と何度も発言するスポーツ選手が非常に多いということだ。

せっかくの全国放送のインタビューで日本中のファンが聞いているのに、この表現は、煩わしい敬語表現を避けるがごとく安易に聞こえてならない。むしろ大相撲の外国人力士のインタビューのほうが、「・・・ので」の連発がなくて綺麗に聞こえる。

なぜ、「・・・と思いますので」とか「・・・と思います。だから・・・」とか「・・・なのです。それで・・・」といった敬語表現を挟まないのだろうかと考えてしまう。

人気のある有名選手が話す言葉遣いは、多くの若者たちに大変大きな影響力をもつ。「・・・ので、・・・ので・・・」と目上の人にも話すことが彼らに「カッコイイ」と映ることを危惧する。

このような若いスポーツ選手たちの日本語表現に対し、文法的に大きな誤りがあるわけでもないし、決してぞんざいな言葉遣いでもないのに、軽度とはいえ違和感を抱くのは私だけなのだろうか。

「沈まぬ太陽」と「ノルウェーの森」

2011.02.20

・・・・・・・・河辺啓二の映画論(2)


〈観たかった「沈まぬ太陽」〉

昨日やっとテレビ録画したままだった「沈まぬ太陽」を観た。テレビ放映のものなのでCMを含めると4時間もある大長編(映画自体の長さは3時間22分らしい)だったが、その長さを感じさせることのないすばらしい作品だった。

以前、話題になったとき、映画館に行く時間がなく、いつか観てみたいと思っていたものである。数年前映画館で観た「クライマーズハイ」も、日航機御巣鷹山墜落事故が舞台となっていたが、地元新聞社の記者の立場から描かれていた。「沈まぬ太陽」は日航社員の立場から描かれている。映画時間が倍ほどもあり、御巣鷹山のことだけでなく、日航(映画では「国民航空」)社員で同社の労働組合委員長を務めた恩地元(渡辺謙)と彼を取り巻く人々の描写を通して、人の生命に直結する航空会社の社会倫理を表現した作品であると言える。


〈「沈まぬ太陽」で描かれる対照的なサラリーマン人生〉

国民航空の労働組合委員長として経営陣と対立した結果、カラチ、テヘラン、そしてナイロビと足掛け8年に渡る「現在の流刑」にも等しい左遷人事に耐える中で、母と死別し、家族と別れることになった恩地と、大学の同輩であり組合の副委員長として恩地を蔭ながら支えてきたものの、後に恩地と袂を別ち、出世街道を歩むこととなる行天四郎(三浦友和)の、対照的な二人の人生が描かれているところが実におもしろい。

要するに、愚直なまでに信念を通す人生とうまく流れに乗っていく人生の対比だ。多くのサラリーマンの視聴者の琴線に触れたのではないか。私のように、同じ大組織に所属していながら、十年足らずに離脱して転身した者から観て、同じ組織―会社に何十年も帰属して生きる人生ってどういうものなのだろう・・・とこの二人の社員の生き様が完全には理解できなかったような気もするが。
久しぶりに、映画館でないにしてもいい映画を観た。


〈映画「ノルウェーの森」を観た理由〉

直近に映画館で観た映画は、「ノルウェーの森」である。先月上京した際、時間が空いたので、以前から興味のあったこの映画を観ることにした。

興味があったのには、三つ理由がある。一つには、村上春樹という毎年ノーベル文学賞候補になる世界的作家の作品を一度も読んだことがないので「村上文学」の一端に触れてみたいと考えていたことだ。二つめは、主人公を演じる松山ケンイチの演技だ。以前、映画「デスノート」「デトロイト・メタル・シティー」やTVドラマ「銭ゲバ」を観て、若いのに様々な役柄を見事に演技する名俳優松山ケンイチに関心を持っていたのである。三つめは、なんといってもビートルズマニアゆえタイトルに惹かれたことだ。実際には、映画の中で出演の女性がアコースティックギターで「ノルウェーの森」の弾き語りをしたのと、エンディングでオリジナルのビートルズナンバーが1回流れただけである。特にBGMでも流れなかった。ストーリーと「ノルウェーの森」との関係がわからなかった。


〈映画「ノルウェーの森」は理解し難い〉

映画「ノルウェーの森」は、私個人の感想ではあまり好きなタイプのものではなかった。あまりに性的表現が多すぎて、「え~、これが世界的評価を受ける村上文学なのか」と少し驚いた。昔から文学作品にはよく性的表現はあったものだが、私のように文学的センスのない人間には理解しにくいものだった。小学生や中学生には観せられないなぁと感じた。

そもそも、私は文学青年でなかった。もちろん、現在「文学中年」でもない。小学生の頃、学校の図書室から本を借りてよく読んだものだが、小説などフィクションは、大人になってからはほとんど読んでないような気がする。いつも教養書的なものばかり買って読んできた。悲しいかな、フィクションという架空の世界がどうも受け入れにくくなってしまったようだ。そう言えば、史実により近い「項羽と劉邦」のほうが脚色の多い「三国志」より好きなのも同様な理由からだろう。
〔ちなみに、大学入試センター試験の国語は、毎年、第1問:論説的文章、第2問:文学的文章、第3問:古文、第4問:漢文 と出題が決まっている。私は、模擬試験でも、本番でも、この第2問でいつも失点していた。〕

「大関互助会」もあった?八百長大相撲

2011.02.11

「大関互助会」もあった?八百長大相撲

・・・・・・・・河辺啓二のスポーツ論(2)


〈「ケータイがなくてよかった昭和の力士たち」〉

連日のように大相撲の八百長がテレビ、新聞、雑誌で報道されている。「ケータイがなくてよかった昭和の力士たち」と見事に皮肉る方もいらっしゃるが、私も、八百長相撲は遠い昔からあったと思う。

「週刊ポスト」など一部の週刊誌では、何十年も前から八百長疑惑報道がされていた。ただ、なぜか有力全国紙では扱われず(新聞では決定的な証拠がないと動かないものだ)、やっと今になって暴かれたという感が否めない。

そういえば、私がライフワークの一つとしている利根川上流産業廃棄物不法投棄事件も、「週刊現代」「フライデー」が扱ってくれたくらいで、メジャーなメディアは全く扱ってくれていない。

要するに、週刊誌には、やや誇張された記事もあるが、全国紙が報道しない真実の報道が実はあるということを私たちは認識すべきだと思う。


〈「大関互助会」疑惑〉

7勝7敗で千秋楽を迎えた力士の不自然な勝率が報道されているが、相撲をテレビでよく観ていた純真無垢な少年時代は「やっぱ人間って切羽詰まると力が出るんやなぁ」と単純に思っていた。少し「世間擦れ」した青年時代、カド番を迎えた(弱い)大関が意外と勝ち越すことが多いのに気づき、「大関互助会」という言葉を耳にするようになった。要するに数人いる大関たちがカド番になった大関仲間を助けるようにわざと負ける(最近人口に膾炙している「無気力相撲」)ということだ。それが「無気力」と見られないように一生懸命な形相をし、あたかも接戦のように見せるなど上手なテクニックを駆使していたように思う。当時相撲好きな兄とテレビ(夜のダイジェストだが)を観ながら「いやぁ、芸が細かいなぁ」と二人で笑って観ていた記憶がある。


〈みんなも認める「プロレス」ショー〉

私の親しい医師で熱烈なプロレスファンの方がいる。彼は、プロレスは「ショー」だと断言される。まぁ、プロレスファンすべて、そう認識しているのだろう。筋書きのあるドラマでもおもしろいものはおもしろいということだ。

プロレスの不自然さは、少年時代にも気づいていた。たとえば、タッグマッチで相方がフォールされそうになると、リング内に助けに入って敵の背中を真上から蹴る(というかドンと踵を押し当てる)。そうすると、馬乗りでフォール体勢を取っていた敵レスラーは必ず呻き声を上げて仰け反る。幼い私はどうして背中蹴られて必ず仰け反るのだろうと不思議でならなかった。背中をボンとされてもそのままの体勢を維持することはそんなに困難でないと思うのだが・・・。このリアクションはどうもプロレス界の不文律のような気がする。今後、大相撲が「復権」するには、プロレスのようなショー化を志向するのも一つの方法かもしれない。ただ「国技」(←法令上の規定はないらしい)であるだけに難しいだろうなぁ。

「ハッピーマンデー」に関する議論を深めよう

2011.02.11

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・・・・・・・・・・河辺啓二の社会論(4)

以前から現行のハッピーマンデー制度に疑問を持ち続けていた私は、1月28日(金)付け朝日新聞「声」に極めて賛同できる投稿が載っているのを見つけました。早速、翌日29日(土)夜に、以下のような文章を投稿したところ、翌々日の31日(月)午後、朝日新聞の担当者から連絡が来ました。そして、手直しされた上、2月3日(木)掲載となりました。かなり速いresponseでした。

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1月28日付け「ハッピーマンデー制度見直そう」には全く共感します。政府の経済優先の施策によって祝日制定の意義が薄らいでいる感じは否めないと思います。

そのことに加えて、国民生活で多少なりとも支障が生じていることがあると政治家の方々はわかっているのでしょうか。

例えば、各学校では、月曜の時間割に当たる教科の時間数がバランス上減らないよういろいろな工夫をしています。本来の教育に向けるべき現場の先生方の労力の一部がこんなことに費やされているのは、ばかげています。また、病院では、月曜の診療科目の診療回数が減ったため、一部を他の曜日に移行するなどの措置も講じているものの、やはり、休みの次週の月曜に混雑するなど、多くの患者さんたちに不便を強いているのが現状です。

そもそも、二連休を三連休にすることで景気浮揚を図って十年も前に制度化されたようですが、その経済効果を実感している国民はどれくらいいるのでしょうか。教育や医療という国民生活に密着した部分でこのような不都合が生じても、それを上回る経済的効果があると、今の政府は胸を張って言えるのでしょうか。政府の定量的な経済効果検証がいまだ行われていないような気がします。

新政権は、「仕分け」「仕分け」で国民の支持を得ようとしていますが、国のお金に係る事業の仕分けだけでなく、このような制度についても、一般国民とともに議論をしてもらいたいと思います。

「私の視点」掲載後の「慶事」と「凶事(?)」

2011.02.11

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昨年3月の朝日新聞「私の視点」掲載(日本脳炎ワクチン問題)に続き、本年1月にも同欄に掲載となったが、今回も反響があった。

前回はNHKからの取材オファーがあったが(結局はボツ)、今回は「日刊ゲンダイ」から取材オファーの連絡が掲載日の1月22日にあった。24日夜、診療後、私のクリニックで取材を受けた。2月3日付け(2日発行)同紙に掲載された記事は、上掲のとおりで、担当記者さんにはよく書いてもらったと思っている(感謝ですね)。

一方、奇妙なことが起こった。1月22日の5日後の27日の読売新聞「気流」に私の投稿を盗用した投稿が同欄アタマに掲載されたのだ。「明らかに盗用だ」と読み比べた人は誰をも驚いたものである。パクリ投稿者の個人情報を消して上掲した。

POSITIVEに考えれば、河辺啓二も盗作されるほどの文章を書ける身になったのだという変な喜びもなくはないかな。
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昨年3月の日本脳炎ワクチンのときもそうだが、今回も「月刊医療情報」(日本出版弘報センター)に私の「私の視点」が再掲載されることになった。

「雨後のタケノコ」流行の高血圧配合剤は医療を雑にしないか

2011.02.11

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・・・・・・・・・・・河辺啓二の医療論(8)

〔第2案・提出案〕
医療産業の中核を担っている大手製薬会社は、現在厳しい状況にある。「医薬品の2010年問題」と呼ばれるもので、これまで各社の主力をなしてきた薬品の多くが、この数年以内に特許切れを迎えた、又は迎える予定なのだ。特許が切れてしまうと同じ有効成分を持つとされる薬品が別の会社が作って安価で販売できるようになる。これが「後発医薬品(ジェネリック医薬品)」である。

医薬品は特許制度によって保護されており、製薬会社が特許申請し、認められた構造の化合物は、一定期間(通常20年)の間、他社が勝手に製造・販売してはならないとされている。しかし、この期間が経過した後は、他社が同じ構造の薬を販売することが許されるようになる。こうした後発医薬品は、臨床試験の巨大なコストの負担がないため、先発品に比べて安く販売できることとなる。

政府は、膨張する社会保障予算の拡大をなんとか食い止めようと、医療費の中で比重の大きい薬剤費を削減するため、後発医薬品のシェアを拡大しようと数々の措置を講じてきた。このため、先発医薬品から後発医薬品へのシフトが全国の医療機関で起き、先発メーカー各社は、その経営が一層厳しくなり、かといって新薬開発には膨大なコストと時間がかかるため、生き残りの知恵を絞った結果、既存の薬品の2種を合剤とし、新たに新薬扱いとして、当分ジェネリックができないようにする手段に訴えてきた。現在のところ、ARBという最も主流の降圧剤に利尿剤又はカルシウム拮抗薬という降圧剤を付加したものが6社からなんと13品目も出されており、更にはカルシウム拮抗薬+高脂血症治療薬というものまで登場しており、この「雨後のタケノコ」のような配合剤ブームは収まりそうもない。

いまのところ、メディアでは「今まで2つだった薬が1つに減った」「薬剤負担金も減った」と歓迎的である。本当に手放しで喜んでよいのか。

例えば「A剤+B剤」という合剤でコントロールしてきた患者が、生活習慣の改善により、血圧又はコレストロール値が少々下がってきた場合、B剤の成分をゼロにするのはちょっと怖い、「A剤+1/2×B剤」の強さにしてみたいと思っても、それに合致する合剤がない。となれば、「まぁ、今の強さのままでいいか」という判断が起こりかねない。つまり、当該患者は、適正な強さの合剤がないというだけの理由で、その後も数週間、その人の現状態にしてはやや強い薬剤を飲み続けることになる。こういう事態が、今、全国の病院・診療所で起きているのではないかと危惧される。

上述のとおり、生活習慣の改善の程度、あるいは季節(血圧が夏場に下がり、冬場に上がる患者も少なくない)により、疾患の状態は変化するものであり、それに合わせて処方薬剤はきめ細かく変化させていくことが(もちろん安定していれば変える必要はないが)我々医師の当然の責務だと思う。

「まぁ、今のままでいいか」と多忙な医師の怠慢感を増長させないためにも、製薬会社は、後発品対策で合剤を増やすことはもうやめてほしいものだ。とはいえ、しかし、製薬会社は、私的な株式会社であり、経営維持のため、このような「合剤戦略」を行うことを直ちに批判はできない。製薬会社をこのような窮地に追い込んだのは、厚生労働省・財務省の財政健全化至上主義による不適切な医療費削減策であることはいうまでもない。


〔第1案〕
医療産業の中核を担っている大手製薬会社は、現在とても厳しい状況にある。「医薬品の2010年問題」と呼ばれるもので、これまで各社の主力をなしてきた薬品の多くが、この数年以内に特許切れを迎えた、又は迎える予定なのだ。特許が切れてしまうと同じ有効成分を持つとされる薬品が別の会社が作って安価で販売できるようになる。これが「後発医薬品(ジェネリック医薬品)」である。
財政健全化を至上命題とする財務省及び同省に首根っこを抑えられた厚生労働省並びに赤字減らしに躍起な健康保険組合のベクトルが揃ったところが「後発医薬品(ジェネリック医薬品)」のシェアアップである。

医薬品は特許制度によって保護されており、製薬会社が特許申請し、認められた構造の化合物は、一定期間(通常20年)の間、他社が勝手に製造・販売してはならないとされている。しかし、この期間が経過した後は、他社が同じ構造の薬を販売することが許されるようになる。こうしたジェネリック医薬品は、臨床試験の巨大なコストの負担がないため、先発品に比べて安く販売できることとなる。

政府は、膨張する社会保障予算の拡大をなんとか食い止めようと、医療費の中で大きなシェアを占める薬剤費を削減するため、ジェネリック医薬品のシェア拡大のため、数々の措置を講じてきた(例えば、処方箋に医師が署名捺印しなければ薬局は後発品に変更できるなど)。このため、先発医薬品からジェネリック医薬品へのシフトが全国の医療機関で起き、先発メーカーの経営が厳しさを増し、かといって新薬開発には膨大なコストと時間がかかるため、生き残りの知恵を絞った結果、これまでの薬品の2種を合剤とし、新たに新薬扱いとして、当分ジェネリックができないようにする手段に訴えてきた。現在までのところ、ARBという現在最も主流の降圧剤に利尿剤又はカルシウム拮抗薬という降圧剤を付加したもの、更にはARB+高脂血症薬というものが処方可能となっており、その数や、現時点で7社、なんと17種にもなっている。

いまのところ、メディアでは「今まで2つだった薬が1つに減った」「薬剤負担金も減った」と歓迎的である。本当に手放しで喜んでよいのか。

例えば「A剤+B剤」という合剤でコントロールしてきた患者さんが、生活習慣の改善により、血圧又はコレストロール値が少々下がってきた場合、B剤の成分をゼロにするのはちょっと怖い、「A剤+1/2×B剤」の強さにしてみたいと思っても、それに合致する合剤がない。となれば、「まぁ、今の強さのままでいいか」という判断が起こりかねない。つまり、当該患者は、適正な強さの合剤がないというだけの理由で、その後も数週間、その人の現状態にしてはやや強い薬剤を飲み続けることになる。こういう事態が、今、全国の病院・診療所で起きているのではないかと危惧している。

上述のとおり、生活習慣の改善の程度、あるいは季節(血圧が夏場に下がり、冬場に上がる患者も少なくない)により、疾患の状態は変化するものであり、それに合わせて処方薬剤はきめ細かく変化させていくことが(もちろん安定していれば変える必要はないが)我々医師の当然の責務だと思う。

「まぁ、今のままでいいか」と多忙な医師の怠慢感を増加させないためにも、メーカー各社は、後発品対策で合剤を増やすことはもうやめてほしい。(更に、薬局もいままで以上に品目を置かなければならなくなり、在庫管理という本来の調剤業務以外の仕事が増大してしまっていることも認識しなければならないだろう。)医薬品メーカーの社会的存在意義は大きい。国民の生命の維持や健康の向上に大きく貢献していることは否定できない。ただ、会社の形態は、商法上の株式会社であり、利潤追求を行うものであり、国民の生命の維持や健康の向上という公的な役割となじませるべく、種々の法的規制が被されているのだ。このバランスが難しい。もっと根幹的なことをいうと、薬剤メーカーをこのような合剤戦略に追い込んだのは、冒頭述べた厚生労働省・財務省の財政健全化至上主義による不適切な医療費削減策であることはいうまでもない。

財政主導の医療行政が昨今の「医療崩壊」を招いたことは明白だが、このような財政によって歪められた医薬行政により新薬開発の遷延が起きていることに鑑み、ジェネリック偏重についても政府は方針を改めるべきではないだろうか。(1789字)

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上記と同様な内容を朝日新聞「私の視点」に1月9日に投稿したところ、1月22日に掲載されました。その間、修正につき何回かやりとりがありました。実際に手直しされて掲載されたものは、上掲のとおりです。(「メディア(その他)」のコーナーにも示します。)

愛媛新聞コラム「道標 ふるさと伝言」2011年の執筆者となる

2011.01.09

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愛媛新聞『道標(みちしるべ)』は、2004年1月からスタートし、毎週日曜日付け朝刊1面肩に掲載される大型コラム(評論)です。愛媛県出身の人や、以前愛媛県内で活躍した人など、愛媛にゆかりがあり、現在は県外で活躍する5名の人が、交代で、現代文化論や社会時評、ふるさとへのメッセージなどを寄稿するものです。8年めの2011年、愛媛県出身の河辺啓二に執筆者の1人として(昨年秋に)依頼が来たのであります。

私としては、とても嬉しいことです。愛媛新聞は、愛媛県に住んでいた子供の頃から馴染んでいた唯一の新聞です。というのは、当地北関東当たりでは地元新聞(群馬県では上毛新聞)ばかりでなく読売新聞などの全国紙の購読者のシェアが高いのですが、愛媛県では全国紙のシェアが(関東地方のように)あまり高くないようです。事実、愛媛にいたとき、読売や朝日を読んだ記憶がほとんどないものです。担当記者さんのお話では、数十万部の発行数だとか。日曜1面の記事だけに「視聴率」は高いようで、数十万人の人が私の文章を読んでもらえるのではと思うと、大変光栄なお役目をいただいたものだと感謝にたえない。

 さて、今後のこの愛媛新聞掲載記事ですが、形式的には「メディア(その他)」のコーナーに該当するのですが、連続もの(10回掲載の予定)だし、「愛媛」という地域色も濃いので、同じく地域的な香りのする「わがいとしの上州弁」の次のコーナーに独立したコーナーとして設置することとしました。

2010年12月27日付け愛媛新聞に、2011年の執筆者の紹介記事が掲載されましたので、ここに掲載します。

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