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ありがとう ! 『太田総理』 ――放送終了決定――

2010.08.15

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・・・・・・・・・・河辺啓二のテレビ論(1)


<『太田総理』とは>

『太田光の私が総理大臣になったら…秘書田中。』は、日本テレビで、2006年4月7日から毎週金曜午後8時~9時に放送されている政治・経済等を扱うバラエティー番組である。略称は『太田総理』。正式タイトルはやはり長いと考えられているようで、頻繁に『太田総理…秘書田中(。)』と略される場合が多いようだ。

当番組は、爆笑問題の太田光が総理大臣に扮し、マニフェストを掲げて国会議員らとトークバトルを繰り広げる内容で、その激論ぶりに一時は20%近い視聴率に。しかし、2010年9月いっぱいで、4年半に及んだ番組はひとまず幕を閉じることになった。

その背景には、2009年4月からTBSの人気バラエティー『ぴったんこカン・カン』が火曜19時台から当時間帯に移動、フジテレビ『ホンネの殿堂!! 紳助にはわかるまいっ』の開始もあり、視聴率が10%を切ることが多くなり、1ケタ状態が続いていたことが主因と思われる。が、前枠(午後7時台)で放送されている『寿命をのばすワザ百科』とともに、2010年9月を以て終了することが決定したのだ。10月以降は、2009年3月に終了した『モクスペ』以来1年半ぶりの単発特別番組枠となる予定らしい。


<ど素人の私を8回も出演させてくれた番組>

 私は、ふだん、日常の診療に追われて、夜はほとんどテレビを見ない。特に午後8時台なんて、クリニックで(さすがに診療は通常終わっているが)残務整理しており、テレビを見ることがまずない。
だから、2006年6月に出演オファーの連絡が入ったとき、テレビ局の人に「えっと、どんな番組でしたっけ?」と正直に尋ねるのも悪いと思い、とぼけて答えたものだ。これが、『太田総理』との「邂逅(かいこう)」であった。
以後の出演歴は以下のとおり。

第1回 放映日;2006年6月30日(金)
マニフェスト:「天下りしたら時給500円にします」

第2回 放映日;2007年11月16日(金)
マニフェスト:「不祥事を起こした省庁は連帯責任で1か月間タダ働きにします」

第3回 放映日;2007年12月14日(金)
マニフェスト:「不祥事を内部告発した人には国から賞金最大1億円をあげます」

第4回 放映日;2007年12月25日(火)
『爆笑問題の証人喚問 太田内閣がアノ関係者とっちめちゃうぞSP』

第5回 放映日;2008年2月1日(金)
マニフェスト:「国が病院を格付けし最低ランクの病院をつぶします」

第6回 放映日;2008年3月21日(金)
マニフェスト:「天下りする官僚は全ての退職金をなしにします」

第7回 放映日;2008年10月31日(金)
マニフェスト:「医学部の定員を3倍にして授業料を免除します」

第8回 放映日;2008年11月21日(金)
マニフェスト:「ムダな省庁を潰して官僚を半分にします」


冒頭に2009年春頃から視聴率が低迷と書いたが、上記のとおり、私がよく出演した、2007年秋~2008年秋(この丸1年で7回出演したことになる)は、視聴率2ケタはキープしていたはずだ。それも、15%前後あったように思う。

テレビ局の廊下を歩くと、「○○(番組名)、視聴率16%達成!!」などと書かれたビラが至るところに貼られているのに気づく。テレビ局にとって視聴率が至上であることを目の当たりにしたものだ。このことは、日本テレビに限らず、他のテレビ局でも見かけたことだ。最近のFIFAのような狂気じみた視聴率は別として、15%もあれば高視聴率に入るようだ。それが、1ケタとなると、厳しいTV業界にあって、スポンサーには見切りをつけられるということなのだろう。


<『太田総理』との邂逅、その後のブランク>

 記念すべき『太田総理』初出演は、2006年6月30日(金)だった。それに先立ち、取材とスタジオ収録があった。

6月20日(火)夜、診療後のクリニックに東京からスタッフが3人も来てくれて取材を行った。このときの取材VTRも本番に放映された。

私は白衣姿で撮ってほしかったのだが、プロデューサーの考えでは、「元官僚が白衣では唐突な印象になる」ということで、妻に急遽用意させたカジュアルなブルーシャツを着て取材・撮影を受けることに。スタッフの1人が、私と同じ愛媛県出身ということでなお和んだ雰囲気で取材が終了した。

続いて6月26日(月)夜に東京・汐留のスタジオで、収録。約20人の「議員」の1人として出演。3年前「タックル」で共演した参院議員の藤末健三氏(「タックル」時は東大助教授だった)と再会した。また、農水省キャリア事務官で2年後輩の大村秀章氏(自民党衆院議員)と会った・・・「再会」?・・・彼とは農水省現役時代、会ったことあったかなぁ・・・。

以後、何度か、当該番組のスタジオでお会いすることとなる、当時野党の原口一博議員(現総務大臣)や自民党の平沢勝栄議員と名刺交換した。

更に、以後、面識を持っていただく、有田芳生氏(現参院議員)、若林亜紀氏(ジャーナリスト)、ケビンクローン氏らと初めてお会いした。

 このような有名人多数の中にあって、非国会議員の元官僚が私だけであったためか、あたかも私が主役のごとく、放映では、予想以上に多く登場させてもらった。(←あとにもさきにもこれが私にとって最高の「画面登場率」の番組だったと思う)

番組では、官僚擁護する私に対し、松本明子さんや高橋ジョージさんが総攻撃する場面もあった。「なんで(テレビ)素人の私が、プロの人たちにやり込められるのだろう」と思った。ところが、収録後、松本明子さんが、私のところに駆けて来て「さっきはごめんなさい」と謝ってくれた。やっぱりこの人、イイ人やんかと感じたものだ。

 放映翌日、クリニックのスタッフに「先生、たくさん出てましたね」などと言われたものだが、その後1年半、出演オファーは途絶えた。

もう出演なんてないと思っていた2007年秋から急に出演オファーが続けてくるようになった。防衛省事務次官不祥事問題が大ニュースとなり、彼と同期組のキャリアで天下りもしていない太田述正さんがメデイアでひっぱりだことなり、太田さん出演と合わせて、やはり天下りしていない元官僚ということで、1年半前出演したことのある私が選ばれたようだ。
〔その後の出演状況は、「メディア(TV出演)」のコーナー参照〕


<『太田総理』が果たした役割とは>

 一般国民に政治を身近なものにしたショー番組としては、テレ朝の『たけしのTVタックル』がある。歴史も長く、人気も高い。お笑い芸人が仕切る番組に国会議員が多数出て議論するパターンのまさに先駆けであろう。

『太田総理』も、『タックル』とは違った手法で、一般国民が、笑いながら難しい政治の問題に興味が持てるようにつくられている。放映時間帯がやや早いこともあって、『タックル』より年齢層の低い中学生・小学生にも視聴者がいて、これら若い世代に政治・行政の問題を楽しみながら「勉強」させた「業績」があったのではないか。そういう意味においても、今回の打ち切りは残念だ。

国会議員にとっては自身の顔と名前を視聴者にアピールする番組の代表格でもあり、番組への出演機会が多かった某議員は「政治がお茶の間に身近に感じてもらえる番組だっただけに残念」と語っているという。

私は、出演していた頃、この番組も、『タックル』のように「長寿番組」になるだろうと思っていたが、その予想は外れた。現実は厳しいということだ。芸人第一人者・たけしと、(たけしに比べれば若輩の)太田光との違いなのだろうか。

とまれ、8回も出演させてもらい、多くの思い出となる、なかなか一般庶民にはできない経験をさせていただいた『太田総理』関係者・スタッフの方々には、厚く御礼申し上げます。

歴史を学ぶは楽しい(1)---クイズ付き

2010.07.21

・・・・・・・・河辺啓二の「お勉強」論(2)


<中年検定マニアは歴検に挑戦>

先日、歴史能力検定を受験した。昨年、(受験者の中で高齢の部類に属するも)恥ずかしがらずに4級と準3級を同日に受けて合格したので、今年は3級を受験することとした。3級以上は日本史と世界史に分かれる。大昔、私が高校生の頃、ある程度身を入れて勉強したのは世界史のほうということもあり世界史3級を受験することとした。


<若き日の歴史学習歴>

「ゆとり教育」以前のマトモな教育を受けていた私たちの世代では、高校時代、社会は、1年時に地理を履修し、2、3年時に世界史・日本史・倫理社会・政治経済を履修した。大学入試では、当時センター試験(共通1次試験)はなく、国立理系なら英数国+理科2科目+社会1科目、国立文系なら英数国+理科1科目+社会2科目というのが定番だった。で、国立理系志望だった私は、理科は物理と化学、社会は世界史を選んだ。

しかしながら、受験した東京大学は、当時から独自の1次試験(これが後の共通1次試験のモデルになったと言われていた)を行っており、当日の試験会場で、理科から2科目、社会から2科目を選んで答える方式だった。すべて選択式で比較的容易な問題だった上、理系では現行と同じく2次に社会がなかったため、現役時も1浪時も、特に社会の勉強は大してはしなかった。世界史を選んだと書いたが、それは模擬試験を受ける際、国立理系志望者は社会1科目受験が求められていたので、そのための勉強をしたということだ。

14年後、再度東大受験したときは、共通1次試験で社会1科目受験のため、暗記量の多い世界史を避けて「政治経済・倫理社会」(←覚える量が少ないため、2つで1科目扱い)を選んだ。当時は、官僚としての常識で「政治経済」の問題が解けやすかったので、当該科目を選んだのだ。


<中年になっての歴史学習再開>

試験がないとなかなか勉強意欲の湧かない私は、今回の歴検世界史3級受験で歴史勉強のモチベーションを保持した。

まずは、教科書。最近ベストセラーになっている「もういちど読む山川世界史」を基本書とした。そのほか、歴検問題集を解き、「ナビゲーター」という高校参考書を参考にした。寝る前の布団の中での読書は「マンガ世界史」。

若き日、理系受験生だったため、勉強したくともその時間的余裕がなかった歴史の勉強が今できる幸福感を味わう日々である。


<楽しい歴史クイズ>

更に面白い本を見つけた。永岡書店の「脳を鍛える!書き込み式歴史ドリル(世界史編)」だ。試験に出そうもないような、しかしテレビのクイズ番組では出題されそうな楽しい問題が多々あった。ここでそのうちのいくつかを以下に示す。私のブログを読んでくださる方、挑戦してみてください。最後に正解を示します。


第1問
秦の始皇帝が都に建設を進め、美女3000人を集めたという阿房宮(あぼうきゅう)は、その非常識なほどの大きさから、後にある言葉の語源となった。その言葉とは?


第2問
いつも裸で樽に暮らしている賢人ディオゲネスは、望みを聞いたアレクサンダー大王に何と言ったといわれているか?
〔1〕小さな家がほしい 〔2〕もう戦争をやめてほしい 〔3〕そこをどいてほしい


第3問
玄宗皇帝の寵愛を受けた楊貴妃が好み、産地である中国南部から長安まで早馬で運ばせたという果実は何か?
〔1〕梨 〔2〕桃 〔3〕ライチ


第4問
イングランド軍に捕えられたジャンヌダルクは、1431年、宗教裁判により異端者として死刑が宣告され、ルーアンの広場で処刑された。それはどのような方法によるものであったか?


第5問
「東方見聞録」は、マルコ・ポーロの語った話をもとに作られた。この話をしたときのマルコ・ポーロが置かれていた状況は?
〔1〕国王に在位 〔2〕獄中 〔3〕闘病

    
第6問
オスマン帝国によってヨーロッパに伝えられたといわれるものは何か?
〔1〕コーヒー 〔2〕アヘン 〔3〕ワイン


第7問
スペイン無敵艦隊に対抗したイギリス艦隊を指揮したフランシス・ドレーク提督の経歴は?
〔1〕皇太子 〔2〕海賊 〔3〕庭師 
〔4〕牧師


第8問
王妃マリー・アントワネットは貧しい民衆に「パンがなければ○○を食べればいい」と言ったといわれている。○○とは?


第9問
ベルサイユ宮殿にはあるものがなかったといわれている。それは何か?
〔1〕教会 〔2〕トイレ 〔3〕調理室


第10問
リンカーンはどこでピストルによって暗殺されたか?
     

第11問
日露戦争の日本の司令官、東郷平八郎は何の生みの親としても有名か?
〔1〕カレー 〔2〕インスタントラーメン 〔3〕肉じゃが


第12問
孫文が死の前日までやっていたといわれる遊びは何か?
〔1〕麻雀 〔2〕競馬 〔3〕花札


第13問
ラストエンペラー溥儀が、皇帝の位を追われた後、晩年していた仕事は何か?
   

第14問
14か条の平和原則で有名なウィルソン大統領の妻は、ディズニー映画でも有名な人物の子孫である。それは誰か?
〔1〕ポカホンタス 〔2〕ターザン 
〔3〕ヘラクレス


第15問
1933年、日本は国際連盟を脱退した。このときの外相松岡洋右が、脱退の宣言書を読み上げた際、最後に言ったといわれる言葉は何か?
〔1〕また会おう 〔2〕さようなら 
〔3〕これで自由だ


第16問
ヒトラーが子供の頃、なりたかった職業は何か?
〔1〕パン職人 〔2〕医者 〔3〕画家


第17問
太平洋戦争の戦犯が収容されていた巣鴨プリズンの跡に建てられたものは何か?


第18問
ソクラテスの妻・クサンチッペが悪妻であることを象徴する名言として、「良妻をめとれば、幸せになれる。悪妻をめとれば、(  )になれる。」(  )に入る言葉は何か?
   

第19問
ハンムラビ法典138条には「子を産まない妻を離縁しようとする者は、(   )」とある。
(   )に当てはまるものは?
〔1〕自由に離婚できる 
〔2〕彼女の花嫁代の総額の銀を与えれば離婚できる
〔3〕相手が拒否したら離婚することはできない
       

第20問
十字軍が聖地から持ち帰った「聖遺物(せいいぶつ)」は、どんな力があると信じられていたか?
〔1〕キリストを蘇らせる 〔2〕罪が救われる〔3〕病気が治る
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――――――――――――――――――――――-------------------
正解:第1問 阿呆(あほ) 第2問 〔3〕 第3問 〔3〕 第4問 火あぶりの刑 第5問 〔2〕 第6問 〔1〕 第7問〔2〕 第8問 ケーキ 第9問 〔2〕 第10問 劇場 第11問 〔3〕 第12問 〔1〕 第13問 庭師 第14問 〔1〕 第15問 〔2〕 第16問〔3〕 第17問 池袋サンシャイン60 第18問 哲学者 第19問 〔2〕 第20問 〔3〕

自信もって半分以上を正解できた方、あなたは立派な歴史通か雑学王です!!

バカ大量生産の「ゆとり教育」

2010.07.21

・・・・・・・・・・・河辺啓二の教育論(1)

<今の若者は「ゆとり教育」の被害者>

私の子らの受けている学校教育については、あまりの「ゆとり」に驚かせることが多い。まず、中学で英語の筆記体は学ばない(もちろん高校でも)。今の大学生以下の若者のほとんどは、筆記体が書けない。吸収能力の高い中学生の時期なら数日あれば覚えられそうなものなのに、それさえも「詰め込み教育」とみなされたのか、学校で教えない。

私の記憶では、確か、高校1年生の頃に数学で平方根の求め方を学習した。√2≒1.41421356(人よ人よに人見頃)とか、√3≒1.7320508(人並みにおごれや)とか、覚えるのは今も昔も同じだ(これは中学で学ぶ)が、例えば、53とか、257とか、どんな数であっても平方根を求める方法があるのに、それを今の高校では教えていないらしい。だから、(「ゆとり世代」の)今の若い高校数学教師は、この方法を知らない。


<地学や倫理の教師も「ゆとり教育」の被害者>

もっとひどいと思われるのは、高校の理科と社会のあまりの「ゆるさ」だ。現在中年以降の世代は、理科なら物理・化学・生物・地学の4科目、社会なら世界史・日本史・地理・政治経済・倫理社会の5科目を必修だった。つまり、受験科目であるなしにかかわらず、中間試験・期末試験を受け、単位を取得した。

それが、今の若者たちといったら、理科も社会(←主に地歴という)も2科目程度の修得でよくなった。学習機会の減った若者たちも可哀そうだが、もっと悲惨なのは、地学や倫理社会を専門で教えていた教師たちである。いわば仕事の場が激減したのだ。昔はどこの高校でも、1人程度地学の先生がいて、週1コマ1年生各クラスに授業していた。今では地学を選択する学生がほとんどいなく、代わりに生物などを教えさせられている。(大学入試二次試験で地学が選択できるのが東大以外に見つけにくい現状にある。)


<遅すぎた「ゆとり教育」見直し>

英語の筆記体が書けないどころか読めない、そして中学までしか地学や政治経済・倫理を勉強していないような教養レベルの人間が、いまや大学を卒業し、社会人となっている。国力に大いに関係する国民の教育レベルだが、昨今の学力テスト国際比較における日本の劣勢といい、日本の将来が不安なのは私だけでないだろう。

狭い国土、少ない天然資源の我が国が、曲がりなりにも先進国の位置を維持しているのは、特に明治以降の高い教育レベルに負うものが大きいと言って誤りではないだろう。それが徐々に崩れかけてきている。学力テストも、科学技術国際競争力も、かつて世界第1位だったのが見事に滑り落ちている。かろうじてキープしていた経済力第2位も中国に抜かれた。国際競争力や経済力の相対的低下は、教育レベル低下に起因していることはおおむね明白ではないか。

やっと最近になって文部科学省が「ゆとり教育」見直しを始めたが、遅きに失した感がある。この数十年間、吸収力ピークの子供たちに誤った「ゆとり教育」を押し付けてきた文部省(文部科学省)の「大罪」やいかん。

日本人はブレやすい国民か

2010.07.21

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・・・・・・・・河辺啓二の政治・行政論(5)

<参院選民主党敗北-菅首相の「英断」は拙速だったか>

先の参院選選挙で民主党は大敗したと評されている。つまり、「新政権夏の陣」は民主党の敗退に終わった。敗因の第一位に挙げられているのが菅首相の消費税10%発言とされている。選挙前に不利となるのが当然な増税発言の意図は何だったのか。「癒着」している財務省の意向が働いたのか。「ライバル」の自民党が消費税10%と既に言っているので同じ税率なら大丈夫と考えたのか。

消費税に言及しないで、ぼかしながら選挙戦に入っていたら過半数議席を取れていた可能性は高い。もちろん、敢えて言及した首相の「英断」を評価する声もある。

〔民主党・自民党以外の党は、消費税増税しなくとも財源はあると言い張っている。いったいどっちなのか。ただ蓮舫議員がその名を轟かせた事業仕分けでも、今のところ「捻出」できた金額は、現在の国家財政から見れば「焼け石に水」程度だろう。(増税しなくても)財源があるのかないのか、埋蔵金はまだまだあるのか、真相はいまだ闇の中のようだ。〕


<今さら自民党?>

それにしても、日本国民の声の変動の大きさは何なのだろう。昨年夏のあの狂気じみた「民主党フィーバー」、「猫も杓子も民主党に投票」からわずか10か月でほとんど豹変だ。あのとき比例の下位で(数合わせ程度に立候補して)まさかの当選をしてしまった人たちが、この10か月間どのような議員活動してきたのか、全く見えて来ない。マスメディアも、そのときだけ取り上げたが、以後全く報道されていないようだ。

首相が交代した直後の支持率急上昇、支持率高いうちにやってしまえとばかりに、国会法案審議もそこそこに参院選挙突入させ、かの消費税発言でやや失速する中、投票開票、そして与党敗戦。(←この過程に、「格調の高さ」は微塵もない。)

自民党政権約50年の負の遺産を引き継いだ民主党への同情は乏しいようだ。民主党の目玉政策・財源根拠の薄い「こども手当」「高速道路無料化」「高校授業料無償化」などへの期待感の減少もあるが、もっと大きいのは、「カネと政治」問題、普天間問題であり、わずか10か月で、国民は「元の恋人」自民党によりを戻そうとしているかに見える。

あれだけ自民党、そして民主党に国民は失望したのだから、他の政党の当選者が急増するかと思いきや、みんなの党が健闘したくらいで、既存の他党も新政党も、無議席~わずかな議席数しか確保できなかった。

鳩山前首相が「発言がブレる」と叩かれまくったものだが、日本国民の有権者もブレているような気がする。あの、沈滞し、多くの大物議員が脱走した自民党に、今さら何を期待してあんなに票を入れたのだろう。昨年、あんなに民主党に惚れていたのに。


<消極的選択投票続きでいいのか?>

私は、みんなの党以下他の政党の得票数が伸びるのではと期待していたが、それは見事にはずれた。既存政党で歴史のある社民党も共産党も伸びない。「次期総理への国民期待人気ナンバー1」だった舛添要一氏の政党も、結局は不人気だった。なぜ、日本の有権者はもっと多くの政党に分散して投票しないのだろうか。

昨年の「民主党フィーバー」も、自民党でない政党に一度政権とらせてみてはという消極的選択だった。今回のみんなの党躍進も、自民も民主もあかんから他の政党で最もまともそうだと思って票を投じた人も多いのではないか。つまり、これも消極的選択投票といえる。

こんな消極的選択投票ばかりで日本の政治が動いていていいのだろうか。もちろん、外国に目を向ければ、北朝鮮のような問題外の国家もあるし、欧米各国の政治・政治家が日本に比べずっと素晴らしいかというと疑問符がある。まだ、日本は、マシなほうな国家なのだろう。
〔最近、豪華な衆院議員会館が完成したこともあって、国会議員数削減論が出てきた。国家公務員数削減だけでなく、こちらに、国民・メディアの目がやっと向けられ始めたことは大変喜ばしい。〕

「RAILWAYS」を観て

2010.06.12

・・・・・・・・・・・河辺啓二の映画論(1)


〈「少年時代の夢」と聞いて思うもの〉

先日、映画「RAILWAYS」を観た。東京の大企業のエリートサラリーマンだった主人公が、49歳のとき、親友の事故死や故郷島根の実母の末期癌罹患を機に、会社を辞め、少年の時からの「夢」を実現すべく、地元の鉄道会社に運転士として就職する物語だ。

私としては、おもしろかったと思う(DVDで観た「アバター」よりよかった)。私の名前「啓二」の由来、往年の人気スター「佐田啓二」の息子:中井貴一が主役を好演(同じ実年齢)していた。中井貴一といえば、昨年TVドラマ「風のガーデン」で、主役の末期癌の麻酔医を見事に演じていたことが思い出される。

映画の中で、ほとんどが20歳代と思われる若者の中で50歳目前のオジサンが奮闘している研修の様子が描かれていた。33歳で医学部入学・39歳で研修医の道を辿った私は、自分と重ね合わさずにはいられない気持ちになったものだ。

この主人公は、少年時代、電車の運転手になるのが夢だった。私はどうだっただろう。四国の山の中で、大した夢も抱かないまま成長してしまった。しいていえば、「漫画家」か。官僚や医師という職業に憧れを持ったのは、純真な少年時代を過ぎた高校・大学時代の頃からではなかっただろうか。


〈私の「少年時代の夢」は実現ならず・・・〉

「漫画家」といえば、今、朝のNHK連ドラ「ゲゲゲの女房」がおもしろい。昔はタイマー代わりに毎朝観ていたNHK朝ドラを、最近は、おもしろそうにないため観ていなかった。その習慣が、数年ぶりにこの「ゲゲゲ」で復活した。自分が少年だった昭和30年代、40年代のお話は、ほのぼのという感じが湧き起こしてくれる。

ただ、「貸本屋」という仕組み・言葉は、馴染みがない。昭和40年頃は、既に普通の本屋で漫画週刊誌「サンデー」「マガジン」、漫画月刊誌「ぼくら」「冒険王」など(月刊誌は付録が楽しみだった)を買って読んでいた記憶がある。もちろん、私の生まれ育った村に本屋などあるはずもなく、隣町まで行って買って来てもらっていた。「貸本屋」については全くの?なのだ。東京など大都会のみで行われていたものなのだろうか。

〔ここで、「貸本漫画」で検索してみると「貸本漫画のページ」というホームページがあり、次のような解説があった。
・・・・昔は今と違い、一般的な家庭では、子供が漫画本を買えるほどの余裕はそうなかったので、貸本屋というのがありました。ちょうど今でもCDやビデオが高いのでレンタルで借りる人が多いのと同じです。

 1960年代で漫画単行本一冊の値段が220-240円。当時の1円=現在の10円の価値と概算してみると、漫画本一冊が2000円台。皆さんは、もしお気に入りの漫画本一冊がCDアルバム一枚と同じ定価だったら、どうしますか?

 でも貸本屋だと、当時は一泊二日で10円とリーズナブル。貸本屋は大繁盛しました。

 貸本屋に多く置かれていたのが、貸本向けの書き下ろし漫画(これを「貸本漫画」と呼びます)。これ専門の出版社や漫画家もたくさんありました。

 しかし1960年代後半から70年代に入ると、日本も高度成長によって豊かになり、子供も漫画本を購入できる余裕ができてきました。そのため貸本業界は急速に廃れてしまいました。
・・・・う~ん、おおむねわかった。〕

「漫画家」の夢は、19歳のとき、1回めの大学入学後「漫画倶楽部」に入部して、ささやかながら漫画創作に挑戦したものの、(プロの漫画家に遠く及ばないであろう)自らの才能の乏しさに断念したものだ。


〈「少年時代の夢」を実現できる人ほど幸せ者はいない〉

 私だって、やりたい職業を2つも実現できたのだから幸せ者に違いない。だが、漫画家をはじめとして、画家、作家、作曲家、プロ音楽奏者、歌手、役者、タレント・芸人、プロスポーツ選手など、「本当に好きなこと」で生計が立てられる人たちは、日本の全就業人口の中での割合はとても低いと思われるが、とてつもなく幸せな人たちだと思う。成功している彼らは、生まれもった才能と大変な努力でこれまで歩んで来たのだ。

2人めの理系宰相に期待?

2010.06.09

・・・・・・・・河辺啓二の政治・行政論(4)


〈宰相はツライよ、でもなりたい?〉

たった8か月半で鳩山内閣は終わった。それにしても、首相という職業は、あらゆる職業の中で最も悪口・批判を浴びるものであろう。麻生前首相、いや元首相だって、デビュー時は「人気者」だった。鳩山首相は、政権交代の初っ端だけに期待が大きかったものだ。

それが、就任数か月後の「母親からのお小遣い」問題発覚頃からから酷評され始めた。極めつけが沖縄基地移転問題だ。政府・与党をケチつければよい野党って精神的には気楽に違いない。政府批判の先鋒だった長妻議員だって厚生労働大臣になったとたんおとなしくなって、最近は全くテレビでお目にかからない。


〈鳩山→菅は既定路線か〉

鳩山首相辞任の決定打となったのが普天間問題だが、私には若干奇妙に思えることがある。政府の施策にはそれぞれ所管省庁がある。米軍基地問題といえば、防衛問題という観点から防衛省、外交問題の観点から外務省が所管しているはずなのだが、この普天間問題で、首相だけが矢面に出て、なぜか防衛大臣と外務大臣の顔がほとんど出て来なかった印象がある。防衛省・外務省を超えた国家的大問題なので、あたかも首相専管事項となったのか。「Trust me」、「腹案」、「5月末までには解決」など空手形を切ったのが首相自身であるからなのか。いずれにせよ、防衛大臣と外務大臣は表だって首相擁護するほどでもなく、沖縄県民及び国民からのバッシングを受けることもなかった。同様に菅副総理は「鳩山総理を支えてきた」と一応評されているものの、やはり、普天間問題ではメディアに全く登場していない。というか、この8か月間、ほとんどメディアに現れず「なりを潜めて」いた感がある。支持率急落の際、表に出るのは(鳩山総理同様にバッシングを受ける公算大だから)次期総理になるためにはマイナスだと判断したためであろう。このことは野党となった自民党の石破氏が菅新首相を非難しつつ述べていた。

まぁ、一国の宰相というのは、政治の道に進んだ者にとっては最高のゴールであり、このような「手練手管」(?)くらいしかたないかなとも思う。それくらい強(したた)かな「策士」でないと首相の重積は果たせないのかもしれない。


〈菅新総理に期待する理由〉

 私個人的には同じ東大工学部の先輩だけに期待はしていた。これまでの文系宰相とは違うぞというところを見せてほしかった。横柄尊大でなく真面目な人柄なのに、そんなことは首相の資質には無関係とばかりにバッシングを受け続けたものだ。今度の菅直人首相は、東工大理学部の物理出身だ。鳩山前首相と異なるのは、政治家名門一家の超お坊ちゃま育ちの学者上がりでなく(その前の安部・福田・麻生各元首相も世襲議員だったが)、サラリーマン家庭に育った市民運動家出身という逞しさだろうか。

高学歴ではあるが、鳩山氏のような超サラブレッドでなく、落選3回のいわば「たたき上げ」の政治家というところが、国民の好感を得て内閣支持率急上昇の一因にもなっている(「小沢外し」が主因だろうが)。かつて厚生大臣時の薬害エイズ問題で見せた猪突猛進さを首相でも発現できるだろうか。興味津々だ。


〈昨夏の総選挙はナンだったのか?〉

そもそも、昨夏の民主党に圧勝させたのは誰だ?われわれ国民が悪いのではないか。「比例」で全く期せずして(棚ぼた)当選した新人議員たちは、この8か月半の間、お給料に見合うお仕事をしてくれたのであろうか。このあたりは全くメディアに出てこない。
自民党政治に「ウンザリ」極限になった国民は、とにかく他党に頼りたかった。それに加えて「子ども手当」「高速道路無料化」「高校授業料無償化」など財源のアテもない甘い甘い公約で(その頃は普天間問題はあまり注目されていなかった)一般国民を引っ張り込んだ。その果てが猫も杓子も民主党に投票してしまった。

ときあたかも不景気風がビュービュー吹き荒れ、「貧困」という言葉が人口に膾炙し、小林多喜二の「蟹工船」が売れているというのに、共産党の当選議員数は全く増えなかった。日本国民の「民度」は低いのだろうか。民主以外の(当時の)野党にもっと票が入るべきだった。

今回の民主党支持率急上昇(20%弱→60%台)も、ちょと異様な気がする。日本国民は「心変わり」しやすい民族なのか。それとも柔軟性に富んだ国民なのか。


〈政治は「政治主導」が当たり前でないのか〉

だいたい「政治主導」って何だ?国会議員の先生方が政治やるのは、もともと「政治主導」が当たり前だろう。官僚バッシングは国民のウケ狙いにしか見えない。

「脱官僚」「脱官僚」とまるで官僚が悪者かのような印象を与えながらも、財務省とは結託して政権運営してきたのが、これまでの民主党政権だ。最近、やっと、官僚をたたくより官僚と協調して仕事すべきだと考えるようになったが、当然だろう。

〔菅首相は、財務大臣時に国会答弁で「消費性向」とか「乗数効果」とか経済学用語を問われて狼狽えたそうだが、財務相のポストにありながらちょっと情けない。これらの用語は経済学部専門課程1年めで学ぶ極めて基礎的な専門用語なのだ。国会答弁時官僚を外しておいたために大恥かいたことで「学習」した? かつては「霞が関の官僚は勉強はできても大バカだ」と話していたものだが・・・。〕

7月は参院選、9月は民主党代表選と、菅内閣が短命となる可能性は十分ある。「どうせ内閣支持率が逓減していくだろう」という冷めた予測もあるが、1年くらいは続けてもらいたいものだ。

財政主導の医薬行政が新薬開発を阻む

2010.05.21

・・・・・・・・・・・・河辺啓二の医療論(7)


〈政府はジェネリック大好き〉

財政健全化を至上命題とする財務省及び同省に首根っこを抑えられた厚生労働省並びに赤字減らしに躍起な健康保険組合のベクトルが揃ったところが「後発医薬品(ジェネリック医薬品)」のシェアアップである。

医薬品は特許制度によって保護されており、製薬会社が特許申請し、認められた構造の化合物は、一定期間(通常20年)の間、他社が勝手に製造・販売してはならないとされている。しかし、この期間が経過した後は、他社が同じ構造の薬を販売することが許されるようになる。こうした後発医薬品(ジェネリック医薬品)は、臨床試験の巨大なコストの負担がないため、先発品に比べて安く販売できることとなる。


〈財政主導でジェネリック拡大へ〉

政府は、膨張する社会保障予算の拡大をなんとか食い止めようと、医療費の中で大きなシェアを占める薬剤費を削減するため、ジェネリック医薬品のシェア拡大のための施策を次々と打ち出してきた。というのは、欧米では、医師が処方する全薬剤に対するジェネリックの割合が約5割もあるのに対し、日本では、それが2割程度しかなく、なかなか伸びない状況にあったからだ。

〔日本政府は、何かというと欧米の猿まねをする。かの裁判員制度もそうだが、大きい後発品メーカーの多い欧米と中小後発品メーカーの多い日本と同列に考えている。裁判員制度だって、キリスト教をバックボーンとする欧米人と無信教の日本人と同じに考えるべきではない。〕

この数年間、政府の医療費抑制施策で、「先発医薬品減らし+後発医薬品増やす」策のため、数々の措置が講じられてきたのだ(例えば、処方箋に医師が署名捺印しなければ薬局は後発品に変更できるなど)。ところが、依然としてシェアが低いことに「業を煮やした」国は、この4月から遂に決定版ともいえる策を打ち出した。薬局の投薬の中での後発品のシェアが低い場合、当該薬局が大きな減収になるという「ペナルティー」を課したのだ。薬局の経営に関わる施策で薬局を脅してしまっている。今後は、薬局経営が破綻しないか、という不安が生じている。


〈医師たちの反応〉

日本の医師たちの意識では、使い慣れた先発医薬品から後発医薬品への転換には抵抗がある。後発品は先発品と同じと(政府は)言うが、同じなのは主成分の化学構造であって、添加物は異なることがあり、また水に溶解する試験など先発品と同じ試験を行っていないものも多く、もし(先発品投薬と違って大きな副作用が発現しないにしても)先発品ほどの効果が得られなかったら、という一抹の不安が払拭しきれないのである。先発品の場合、何か問題が生じたらMR(※)に連絡したら、すぐに来てくれるという安心感があるのに対し、(中小メーカーが多い)後発品の場合、なかなか来てくれそうにないという不安がある。何しろ、先発品メーカーのMRは、一会社につき一市当たり何人もいるに、後発品メーカーの場合、一県に一人しかいないという、圧倒的なマンパワーの差があるのだ。もちろん、この差が価格差に反映してはいるが、価格差の主因は何といって、上述の試験開発費の差である。


〈膨大な医薬開発費〉

医薬品の開発費は、他の工業品のそれから見れば、驚異的なほどだ。これは、ひとえに人体の中に入って作用するという極めて重要な製品であるがゆえ、厳重な許認可体制の下に置かれているためだ。先発品メーカーは、オーファンドラッグ(※)のような国からの助成があるものを除き、自前で研究開発をしてきた。その原資は、会社の薬品の売り上げから生じる「儲け」だ。先発医薬品メーカーは儲け過ぎだという批判も、昨今の政府のジェネリック傾倒の根底にあるのかもしれないが、この「儲け」が減少したらどうなるだろうか。新しい医薬品を開発するインセンティブは半減するに違いない。つまり、今でさえ、全医薬品メーカーを通じて、年間やっと十数個くらいしか開発されないのが、ほんの数個になってしまうだろう。


〈苦境に立たされる先発メーカー〉

1990年前後は大型医薬品(ブロックバスター)の開発が多く、これらが医薬品メーカーの収益を支えてきた。しかしこれらの医薬は2010年前後に特許切れし、これらがジェネリックに置き換われば、開発企業の収益が激減する。

他業種に比べた製薬業界の特色として、少ない商品数で巨大な売り上げ・利益を得ている点が挙げられる。従って一つでも大型商品の売り上げが失われれば、巨大メーカーといえども大きな打撃を受けることになる。今後、特許切れによる利益減少を埋め合わせるために新薬を開発しようとしても、臨床試験の厳格化・新規医薬のターゲットの枯渇などの問題があり、これまでのような繁栄を謳歌してきた大きな製薬会社は苦境に陥る可能性が大きい。

医薬品メーカーの社会的存在意義は大きい。国民の生命の維持や健康の向上に大きく貢献していることは否定できない。ただ、会社の形態は、商法上の株式会社であり、利潤追求を行うものであり、国民の生命の維持や健康の向上という公的な役割となじませるべく、種々の法的規制が被されているのだ。このバランスが難しい。実質的には、第三セクターか公益法人に行わせることが適当かもしれない医薬品の開発・製造・販売が、すべて純然たる民間会社が行っている。(オーファンドラッグなら第三セクターか公益法人が扱うのが適当ではないか)


〈政府は方針転換すべきだ〉

肝要なことは、新薬開発を待っている難病や治療不調の患者が少なくないことを認識することである。新薬開発が遅れれば、そのぶん、死や長期の苦痛を受容せざるを得ない人たちが多くなるだろう。財政主導の医療行政が昨今の「医療崩壊」を招いたことは明白だが、このような財政主導の医薬行政により新薬開発の遷延が起こることに鑑み、ジェネリック偏重についても政府は方針を改めるべきではないだろうか。

※ MR・・・Medical Representative の略。医薬情報担当者のことで、医薬品の適正な使用に資するために、医薬関係者を訪問すること等により適正使用情報を提供し、収集することを主な業務とする。多くの場合、製薬会社に所属しており、自社の医薬品情報を医師等医療従事者に提供し、副作用情報を収集することを主たる業務とする。

※ オーファンドラッグ・・・Orphan Drug(orphanは孤児を意味する)で、希少疾病用医薬品のこと。難病などの治療で必要性が高いにもかかわらず、患者数が少ないため、採算の取れない医薬品のことをいう。日本では、薬事法第77条で指定された、希少疾病に用いられる医薬品を指す。患者数の少ない病気の治療薬は採算が取れないため、企業の自主努力に期待するのは困難であることに鑑み、政府は、指定した疾病について企業に研究開発費を助成している。

バンド「Chicago」の特異性

2010.04.19

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・・・・・・・・・・・河辺啓二の音楽論(3)

〈私たちのCBS〉

私が高校生だった1970年代前半、CBSソニーのCBSといえば、当時「ニューロック」と言われたChicagoとBlood,Sweat&TearsとSantanaの三大ロックバンドだった。ちょうど1960年代を席巻したBeatlesが解散し、「明日に架ける橋」で70年に頂点に立ったSimon&Garfunkelも解散した直後くらいの時期である。(ちなみに当時の私個人の趣味でのCBSは、CarpentersとBeatles(BeeGeesも含めて)とSimon&Garfunkelであった。)

高校の友達とBlood,Sweat&Tearsの「スピニングホイール Spinning Wheel」、Santanaの「ブラックマジックウーマン Black Magic Woman」などのヒット曲を聴いていた。

それらと並んで聞いたのがChicagoの「長い夜 25 or 6 to 4」だった。当時聞いた曲で記憶があるChicagoといえば、ほかに「クエスチョンズ67/68」くらいだろうか。特にアルバムを買うほどでなく、古レコード屋で「長い夜」と「流血の日」(←後者は記憶が定かでない)のシングル盤を買ったと思う。


〈Chicagoとの「再会」〉

以後40年近く、Chicagoを聴くことはほとんどなかった。1982年頃大ヒットした「素直になれなくて Hard to Say I‘m Sorry」でさえもぼんやりとした記憶しかない(当時超多忙な官僚だったため音楽を聴く余裕がなかったためかもしれない)。

途中唯一買ったシングルCDがある。1997年当時観ていたTVドラマ「シングルス」の主題歌「ムーンライト・セレナーデ」である。Chicagoのオリジナルではないが、見事に歌い、演奏している。あとは、ごくマレにカラオケで「長い夜」を歌ったくらいかなぁ。
それが今Chicagoにハマッている。きっかけは、2月に東京国際フォーラムで行われた「Chicago Japan Tour 2009」コンサートを観てからである。2009年9月来日の予定だったものが、主要メンバーのロバート・ラムの怪我のため延期されて今回実現したものである。

上記「ムーンライト・セレナーデ」で述べたとおり、彼らは実に歌も演奏もうまい。バンド結成当時のオリジナルメンバーは、ロバート・ラム(ピアノ、ボーカル)と金管楽器の3人の計4人しかいない。彼ら4人は60歳代半ばという高齢だが、衰えを感じさせないのだ。


〈Chicagoのユニークさ;他グループとの比較〉

Beatlesは、1962年~70年の活動の後、分解してしまった。ごく初期にピート・ベストの解雇など、メンバーチェンジがあったが、世にBeatlesとして出てからは、ジョン、ポール、ジョージ、リンゴの「固定メンツ」でとおし、最後は仲違いし、別れてしまった。

Rolling Stones は、Chicagoよりやや早い1960年代前半に誕生(Chicagoの結成は1967年)以来、やはり現在進行形のいわば「怪物」バンドだ。デビューして間もない頃、人気メンバーのブライアン・ジョーンズが急死(変死)している。以後、名実ともにトップのロックバンドとして(ミック・ジャガーのほぼ「ワンマンバンド」として)ヒット曲を連発した。40年以上解散もしないでいるが、「軽量」のメンバー脱退・加入は行われている。現行のオリジナルメンバーは、ボーカルのミックとギターのキース・リチャード、そしてドラムのチャーリー・ワッツの3人だ。なぜBeatlesは(グループとして)短命で Rolling Stones は長寿なのか。答えは簡単だ。ジョンとポールという両雄を抱えるBeatlesと違い、Stonesは、既述のとおりミック・ジャガーの「ワンマンバンド」だからだ。曲作りは、ミックとキースの共同作業と言われているが、ほぼ全部の曲のリードボーカルがミックなのだ。つまり、Stonesの人気の9割は、ミックの歌声・ステージパフォーマンスによるものと言っても過言ではないだろう。

Simon&Garfunkelも1960年代から70年まで活動し、やはり70年に二人の仲違いにより解散した。名曲作りの天才・サイモンと美声のガーファンクルがそれぞれの道を歩むことになったが、以後、ときおり再結成して来日も果たしている。

きょうだいグループその1・Carpentersは、ボーカルのカレンの死(拒食症)によって終了した。きょうだいグループその2・BeeGeesは、途中、ロビンの脱退・復帰を経て「Saturday Night Fever」の大ブレイクがあったが、2003年にモーリスの死亡(腸閉塞だったらしい)により、実質的に解散終了した形となった。


〈Chicagoのユニークさとは?;あたかも「新陳代謝」〉

以上、私の好きなグループについてばかり述べた。主要メンバーの仲違いか死亡が原因で解散しているもの以外、グループとして生き残っているのは、ミック・ワンマンバンドのStonesのみだ。

Chicagoがユニークなのは、主要メンバーの死亡(リードギターとボーカル担当のテリー・キャス。なんと拳銃の暴発で弱冠31歳で亡くなった!)もあったが、メンバーの入れ替わりが多く、何度も「部分的若返り」が行われていることだ。ここまではStonesにも当てはまりそうだが、Stonesと決定的に違うことはワンマンバンドでないことだ。曲によってリードボーカルを取るメンバーが3人~4人もいるし、バックコーラスとなると、ドラム以外全員が歌える(しかもうまい)。死亡又は脱退したメンバーには「後釜」がオーディション等で選ばれる。「後釜」は「前任者の業務」を原則としてそのまま引き継ぐ。担当する楽器はもちろんだが、「前任者」がリードボーカルの曲は、自分がリードボーカルで歌う。

その最たる例が、ベースのジェイソン・シェフだ。キーボード担当のロバート・ラムが曲作り・歌唱ともにリードしていた初期(ただし、「長い夜」「クエスチョンズ67/68」のようにロバート作曲でもキーが高い曲は、ベースのピーター・セテラがリードボーカルを担当していた)を経て、「愛ある別れ If You Leave Me Now(1976年)」「素直になれなくて Hard to Say I‘m Sorry(1982年)」といった全米ナンバーワンヒットを作曲し歌った、ベースのピーター・セテラが「Voice of Chicago」と称される頃、ピーターは脱退する(1985年)。その「後釜」がジェイソン・シェフだ。ピーター脱退後、コンサートで看板曲「長い夜」「素直になれなくて」といえば、ジェイソンが歌っている。甲高い声はピーターを彷彿させる。このように「後任者」はどうも声質の似たミュージシャンが選ばれるようだ。更におもしろいのは、Chicago脱退後ソロ活動を続けるピーターは、自らのコンサートで、これらChicago時代の持ち歌を披露するという。来日することもあるらしいので、今度機会があったら、ピーターのコンサートに行ってみたいと思っている。

〔ところで、ベース演奏者が曲を作り甲高い声で歌うというと、Beatlesのポール・マッカートニーが連想される。ポール、ピーター、ジェイソンに共通して言えるのは、低い音のベース演奏者が、キーの高い声でリードボーカルを務めるということだ。〕


〈Chicagoの音楽の継続性〉

このように、Chicagoは、いなくなったメンバーの担当した曲を「引き継いで」見事に歌い上げてくれるのだ。オリジナルメンバーの4人が、

●ロバート・ラム(ボーカルとピアノ担当。現在65歳。彼がリードボーカルで有名な曲といえば「サタデイ・イン・ザ・パーク Saturday in the Park」)

●ジェイムス・パンコウ(トロンボーン担当。現在62歳。口を使う楽器担当ゆえか、リードボーカルの曲はないが、実は最も多くの曲を書いている。2月の日本でのコンサートでは、日本語で挨拶するというサービスを披露してくれた。)

●リー・ロックネイン(トランペット担当。現在63歳。コンサートで、トランペットという楽器ゆえか、真顔で演奏する様子が印象的。今回の来日コンサートではすっかり白髪姿だった。)

●ウォルター・パラゼイダー(サックスとフルート担当。現在65歳。バンド創設の中心人物だったらしい。残念ながら、どういう理由か、今回の来日コンサートには代理が来ていたようだ。)
と、グループの平均年齢を上げているのに対し、ベースとボーカルのジェイソン・シェフは47歳、リードギターのキース・ハラウンドは45歳と比較的若手である。40歳代から60歳代の20歳もの年の差バンドというのも、おもしろい。

もう1人、主要メンバーの、いや主要メンバーだったビル・チャンプリン(チャップリンでない)のことも触れておきたい。彼は、1981年、途中加入したメンバーだが、作曲はしないものの、キーボードやギターを担当しながらも、その独特のshoutするガラガラ声が非常に印象的なシンガーである。彼のボーカル曲「ルック アウェイ Look Away」は、1988年の全米年間シングル・チャートのナンバーワンヒットになったほどだ。しかし、ちょうど、2009年9月の来日コンサート直前に、28年間も在籍したChicagoを脱退し、もとのソロ活動に戻ってしまった。理由は不明だ。来日の延期はロバートの怪我とされるが、こちらのほうが主因ではないかと、私は勘ぐっている(「後任」選びで時間がかかった?)。果たして、本年2月の来日コンサートでは、彼の「後任」がやはりダミ声で歌っていたようだ。


〈Chicagoの音楽といえばブラス〉

確かにChicagoの特徴は、BeatlesやStonesのような、ボーカル・ギター・ベース・ドラムというバンド基本形に加え、トランペット・トロンボーン・サックスという金管楽器(ブラスセクション)がおおむね常に演奏に加わっていることだ。

Beatlesにも「Got to Get into my Life」のようにブラスを前面に出した曲もいくつかはある(特に中期)が、外部ミュージシャンに参加してもらったものだ。ちなみに「Got to Get into my Life 」は、Beatles回顧のアルバム作成企画の際に、Chicagoはこの曲を演奏しないかと打診されるも断ったらしい。そして代わりに演奏したのが、Earth,Wind&Fireというわけだ。当然の如く、Earthの「Got to Get into my Life 」はヒットし、いまや彼らの代表曲の1つになっている。

Stonesも、Beatlesにインスパイアされたのか、一時ブラスを多用した時期(1960年代後期。アルバム「Their Satanic Majesties Request」など)があった。それとは別に、印象的なStonesのブラスサウンドといえば、ローリングスートン・レーベルで初めてリリースしたアルバム「Sticky Fingers」からのシングルヒット曲「ブラウンシュガー Brown Sugar」の間奏で登場するサックスの荒々しいサウンドだ。もちろん外部からの「非常勤メンバー」によるものだが、来日コンサートの際にも必ず披露してくれる。

そういう意味(ブラス奏者が「常勤メンバー」)で、Chicagoに似るのが、Blood,Sweat.&Tearsであり、Earth,Wind&Fireである。EarthとChicagoは「仲良し」で、アメリカでは、たびたび一緒にコンサートを行っている。どちらも好きな私は、是非観たいコンサートなのだが、日本では実現困難なようだ。DVDで両者が一緒にしているものがあり、それを観て、自分を満足させている。


〈飽きさせないChicagoの音楽〉

Chicagoファンなら誰しも知っていることだが、初期のブラス色満載の「長い夜 25 or 6 to 4」等のヒット曲から、「愛ある別れ If You Leave Me Now」「素直になれなくて Hard to Say I‘m Sorry」といった大ヒット・バラードへの転換により、ピアノやギターのサウンドが前面に出てブラスは後退した印象だ。

Beatlesは、たった7年間で、シンプルなエレキ・ロックバンド・サウンドから始まり、古典楽器サウンド(「Yesterday」など)、ブラスサウンド(前述)、インド楽器サウンド(「Norwegian Wood」など)、ピアノサウンド(「Let it be」など)と変化・進化してファンの耳を楽しませてくれた。やはり、何年も同じようなサウンドでは、ファンは飽きるものだ。

Chicagoも、数十年かけてサウンドを変化させ、われわれファンを飽きさせないでいてくれる。

思わず笑ってしまった投稿

2010.04.03

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朝日新聞や読売新聞で最近自分の投稿が採用されたからというわけでもなく、以前からときどきおもしろそうな(or興味のある話題の)投稿文は読むことにしている。

この数か月の両紙(「声」「気流」)の投稿文の中で、私が選ぶ最優秀作は、私のものではなく、3月4日付け朝日新聞「声」に掲載された、熊本県の82歳の男性の寄稿『82歳のつれづれなる日常』だ。実におもしろかった。自分も82歳まで生きられてこんな楽しい文章を書ける高齢者になりたいものだ。

ワクチン政策の拡充を望む(2)ー日本脳炎再開に当たって―

2010.03.29

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・・・・・・・・・・・河辺啓二の医療論(6)


〈日本脳炎ワクチンの事実上中止から5年〉

日本脳炎ワクチン接種と急性散在性脳脊髄炎(ADEM)の因果関係が否定できない事例が認められたため、2005年5月、厚生労働省から「現行のワクチンでの積極的推奨の差し控えの勧告」が行われた。

このときは、より安全性が高いと考えられた新しいワクチンが1、2年で登場し、再び積極的にワクチンが行われることになるだろうと思っていた(事実、2006年夏に接種再開の予定だったが、治験において副反応が認められたため、治験が追加され、遷延したらしい)。

ところが、待てど暮らせど一向に出て来ない。やっと新しいワクチン(「乾燥細胞培養」日本脳炎ワクチン)が2009年6月に発売されたと思いきや、依然として積極的推奨の差し控えは継続されるという。今回の理由は、副作用問題でなく、メーカーの供給体制が整っていないからだという。こうして2010年春、供給体制が整い、やっと積極的推奨が復活する見込みとなった。そのブランク、なんと5年である。


〈臨床の現場で悩ましい問題とは〉

この5年間で、3歳の幼稚園児は小学2年生に、小学1年生だった子は小学6年生になった。さて、この春から接種が積極的に行われるとして、困る問題がいくつかある。

その前に、日本脳炎ワクチン接種の現行のスタンダードをお示ししよう。

A.1期初回 生後6か月から90か月(7歳半)未満(推奨は3歳)に1週~4週の間隔で計2回

B.1期追加 生後6か月から90か月(7歳半)未満で、1期初回終了後おおむね1年後(推奨は4歳)に1回

C.2期 9歳から13歳未満(推奨は9歳(小学4年生)) 1回
〔かつては、第3期 (14歳から16歳未満)というのがあったが、有効性に乏しいということで、2005年7月に廃止された。〕

まず、上記に該当しなければ、公費で行えないことがある。5年間もお上(かみ)から「待った」をかけられて待っていたのに、再開しようとしたら90か月超えているから1期のワクチンは公費ではできません、あるいは、13歳以上だから2期のワクチンは自費で受けてくださいというような非情なことを行政は言うのではないかという懸念である。

このようなおカネの問題だけではない。以下のような状態の子どもたちには、今後どのようなワクチン接種をして行くべきなのか。

①A. 1期初回で1回目を受けた後の4週間の間、2回目を受ける前に、積極的推奨が差し控えさせられた者

②A. 1期初回の2回は済んだものの、その後1年の間でB.1期追加を受ける前に、積極的推奨が差し控えさせられた者

③A.B.の1期は済んでいるものの、2期の接種の前に積極的推奨が差し控えさせられ、現在、高校生くらいの年齢に達している者

③については、1期終了からずいぶんと期間が空いている(最大で約14年となる)が、2期の1回接種で有効性が担保されるかという懸念がある。

もっと厄介なのは①と②のケースである。すなわち、それまでの接種は「水に流し」、振り出しに戻って今回の新しいワクチンをスタンダードどおり行うのか。ただ、例えば②の場合、スタンダードの合計接種回数より2回も多くなる。これで身体への影響は問題ないのかという懸念が生じる。


〈国に求めること〉

最年長で12歳11か月で上記Cの2期接種を予定していて中止した人は18歳になっている。したがって、18歳、すなわち高校生までの人は、すべて公費で日本脳炎ワクチンが受けられるようにしてほしい。「いのち」を大事にする鳩山政権なら、これくらいの国費を捻出して然るべきだと思う。

更に、前項で述べたように、複数回接種の途中過程において「待った」をかけられた人たちに、今後どういうスケジュールで接種を受けるのが最も適当であるかを示してほしい。医学的データに基づいた指導が望ましいが、前例がないだけに困難かもしれない。しかし、医療現場の医師たちに「丸投げ」されては困るのである。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
上記と同様な内容を朝日新聞「私の視点」に2月17日に投稿したところ、3月27日に掲載されました。その間、修正につき何回かやりとりがありました。実際に手直しされて掲載されたものは、「メディア(その他)」のコーナーに示します。

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